あとがき(抜粋)

 臓器移植法案の国会提出をきっかけに、脳死移植のテーマにかかわって以来、解決しようのない思いが心に重く溜まったまま離れようとはしない。本書の執筆中も、書き終えてもそれは強まる一方である。
 脳死移植と向き合う時、本来、人間が身につけていたいのちへの感性そのものが、出口のない戸惑いに突き落とされる。私たちは病に苦しむ人を見れば救ってあげたいと願う。そういう感性を自然に持ち合わせて生まれてきていると思う。また、病に苦しむ人なら誰もが苦しみから逃れ、一日でもいのちを長らえたいと願う。それはあまりにも当然の願いである。ところが、脳死移植ではこれまで当たり前とされてきた感性や願いが、根本から突き崩されてしまう。それは、もうひとつのいのちの生と死の境界線に踏み込むことで成り立つ医療だからである。そこから、本書に記したようなさまざまな課題が、寄生生物のように増殖しはじめるのである。
 そのような課題をみつめて警鐘を鳴らすことが「いますぐ誰かを救ってあげたい」という最も素朴な人間の基本的感情を凍らせる。生きのびたいと願う人たちを絶望のどん底に突き落とすことにつながる。人間はなんという残酷な医療をつくりだし日常化してしまったのだろう。