大名・小名

 大名・小名といっても、大きなお城を構えて、何万石という領地をもち何百人という家来を抱えた江戸時代の一国一城の主、いわゆるお殿様ではありません。中世の大名・小名は、わずかながらも名田(自分の名を冠した田畑)を領有している名主、まぁ、チョッとした領主に過ぎません。それから大小の違いですが、江戸時代では何万石以上が大名で、それ以下は小名と区別していたこともあったようですが、狂言ではその役柄の軽重でこの二つを区分していることは前に述べたと思います。おさらいをしますと、主人がシテ(主役)である狂言では大名、太郎冠者がシテである狂言では小名と呼びます。ここでは彼がシテとして活躍する「大名狂言」のなかから、何人かのお大名に代表として登場してもらうことにします。(中略)こんな純情な大名もいます。彼は『鬼瓦』という作品に登場します。
 これは明らかに裁判のため長らく京都に逗留していた「遠国に隠れもない大名」が、その裁判が全面的に自分の勝訴になり、明日にでも本国へ帰ろうという前の日のことです。裁判に勝てたのは、都に滞在中にたびたびお参りした因幡堂の薬師如来のお陰だと思い、太郎冠者をひきつれてお礼参りにやってきます。そこでフと思いつきます。国へ帰ってしまったら、二度とお薬師さまにお参りすることはできないだろう。そうだ、本国の屋敷のなかへお堂を建て、このお薬師如来をお祀りして毎日お参りしょう。それならいっそのこと、名人飛騨の匠が建てたといわれる素晴らしいこのお堂を写して建立しよう。そう思った大名は太郎冠者とともに、お堂の隅々まで子細に眺めて記憶に止めようとします。 ところが、大名の目が、屋根の頂きにおかれた鬼瓦に止まったとき、彼はにわかに大声をだして泣きだしてしまいます。いぶかる太郎冠者に、大名は涙を啜り上げながらこう答えます。「あの鬼瓦の面が誰かによう似たと思ったら、国許へ残して来た女ども(狂言では、亭主は女房をこう呼ぶのが普通です)とそっくりじゃ」。そしてまた前にも増して泣きだすのです。あっけにとられる太郎冠者ですが、なるほどよく見ると、たしかにおかみさまに生き写しです。大名は、その妻を思い出し、恋しさのあまり号泣したというわけなのです。しかし、明日にでも本国へ帰ったら、早速会えるのだと気を取り直し、最後は二人声を揃えて大笑いする、いわゆる「笑い止め」で終曲するのですが、何とまあ、可愛い大名ではありませんか。
 上演時間二十分にも満たない小品ではありますが、心底、妻を愛している大名の心情にほだされて、お腹の底から笑えると同時に、何とも清々しい心地にしてくれる、珠玉の作品だと私は思います。