「第1章 ケントの男たち」より


 自分をとりまくさまざまな問題にいらいらしているとき、そのお返しというわけだろうか、思いもかけぬ楽しい夢を見ることがある。もちろん、眠っているあいだにだ。その夢はいろいろな建物を次々と見せてくれるのぞきからくりのようだ。このときのために建てましたといわんばかりの美しく品のよい真新しい建物が、起きているときに見るのと同じくらい、はっきりと見えるのである。夢の中でよくあるように、ぼんやりとしていたり、理屈に合わないといったことはなく、あらゆる細部にいたるまではっきりしており、しかも理にかなっているのだ。たとえば、十四世紀初期の建物の名残をとどめたエリザベス朝の家屋が見える。また、それに続くアン女王、変わり者のビリー、ヴィクトリア女王時代の建物が、いずれもサセックスの砂っぽい森林地帯の真ん中の、かつては開拓地だった古い村に建っている。それらは、エリザベス時代の勢いをなくし、かつての栄光をすっかり台なしにしているとはいわなくとも、傷つけてしまっている。または、平信徒の教区委員たちの手によって管理されてきた、古めかしく、ことのほか興味深い教会があるかと思えば、その隣には、見るものの目を楽しませずにはおかないエセックスの農家の木摺りや漆喰にかこまれた十五世紀の民家がある。それらは、眠たげな楡の木立や、庭先の寝わらを考え深げにつっつきまわっているめんどりたちの姿にしっくりと融けこんでいる。その踏みしだかれた黄色の藁くずを追ってゆくと教会の扉の脇柱に続いている。手のこんだ彫刻がほどこされたノルマン様式の扉である。ときには、修復を加えようとする教区牧師や建築家の手には一切触れられていない、荘厳なカレジエイト・チャーチを見ることもある。(……中略……)こういったものすべてが、昼間、頭の中で夢うつつに思い描こうと努めるときよりも、夜見る夢の中でははっきりと見えるのだった。というわけで、ある晩床について、また建築の夢を見はじめたが、それだけならば、とりたてて言うべきことではない。お話ししなくてはならないのは、すっかり寝入ってしまってから起こった奇妙な出来事についてなのだ。ノドの地に身を落ちつけはじめたとき、私はマンチェスターとミッチャム・フェア・グリーンの二か所で同じ日曜日の夜十一時半、同時に講演をする約束をしてもいいだろう、うん、きっとできるとも、などというまったく理不尽なことを考えていた。そのうえ、戸外に大勢集まった聴衆に、そのときの格好で――寝間着のシャツに、おまけに、この夢ではズボンつりなしでズボンをはいていた――うまく演説してやろうというところまできていた。そのことに気がついて、すっかり動転してしまったために、聴衆たちの真剣な顔――彼らは服装のことには気がつかないかもしれないが、まちがいなく社会主義に反対するおそるべき難問を用意して私を待ちかまえているはずだった――が次第に薄れていき、夢そのものさえもぼんやりしていった。そして目を覚ますと(その時は、そう思ったのだが)、とある村のはずれの樫の林のそばの、それほど広くない道ばたの荒れ地に横になっていた、というわけである。