十七歳の頃、なにしてました?



 「十七歳の少年の凶悪事件が相次いでますよね、それに関してはどんな風に思われますか?」
 ということをよく質問される。
 わからない。全くわからない。
 私が十七歳の頃も、少年の凶悪事件はあった。いつの時代にも「前代未聞」の凶悪事件は起こっていたように思える。「なぜ今」なのかもわからないし「なぜ十七歳」なのかもわからない。本当に「今、十七歳が危険」なんだろうか。そう論じていい特別な理由ってあるのだろうか。
 「ぜんぜんわかりません」
 と、正直に答えると、びっくりされる。でも、わからないんです、ごめんなさい。
 しかし、あまりにもたくさんの方がたから「十七歳の心の闇」について聞かれるので、私は自分が十七歳だった頃、何を考えていたのかについて思い出してみることにした。
 さすがにこれならわかる、自分の事だから。

 十七歳の時、一番嫌いな年齢は「十八歳」だった。
 十八歳にはなりたくないなあと頑なに思っていた。だって、十八歳はもう大人なのだ。十七歳は少女で通用したけど、十八歳は女だと思った。子供として生きる最後の年。それが十七歳。大人を憎める最後の年、それが十七歳。十八歳になって、大人の仲間入りをしたらもう子供のように純粋に大人を憎めない。自分の純潔さが失われるような気がした。十八歳ってすげえダサいって思ってた。
 だから十八歳の誕生日はちっとも嬉しくなかった。あー、なんかアタシももう大人かよ、って思った。つまんね〜な〜って。

 十七歳の頃、私は自分の高校のクラス担任が嫌いだった。
 私にはその先生の小悪党ぶりが許せなかった。タバコのヤニ臭くて、いつも鼻毛が出ていて、フケだらけで、常識だけを優先して、薄っぺらで、尊敬できるところが全くないって思っていた。
 ある時、私のクラスの物理の試験の答案が盗まれた。採点前の全員の答案が忽然と消えてしまった。仕方なく追試が行われた。ところが、その追試の答案も消えてしまった。二度も盗まれる学校側も間抜けである。開校以来のミステリーと騒がれた。
 すると担任がホームルームで言ったのだ。
 「みんな目をつぶりなさい。そして、答案を盗んだ者は手をあげなさい」
 私は呆れた。そんなこと言ったって手をあげるバカがいるか、と思っていた。もちろん誰も手をあげない。すると担任はこう諭したのだ。
 「実は先生たちは、誰が盗みに来るのかを物陰に隠れて見ていたのだ。だから犯人を知っているのだ。いいか、自分から名乗り出たら穏便に済ませてやろう。だが、もし自ら名乗らなければ反省の色無しとして厳重に処罰しなければならない。だから、どうか自分から名乗り出てほしい」
 私はこれを聞いて脱力した。アホか。嘘つくのもいいかげんにせえよ。それにもし本当に隠れて見てたのなら、盗もうとした時に止めるのが教師だろうが。あーもうほとほと大人というのは汚いと思った。こいつら腐ってる。こんな嘘を、まるで正義と錯覚して生徒に話す大人はどうかしている。なんてえげつないんだと思った。
 十七歳の私はこの担任の嘘にかなり傷つき絶望していた。十七歳ってのはそういう年齢だった。担任は私ではない。別の人格だ。でも、担任がずる賢いことをすると、それをまるで自分のことのように恥に感じて、怒り、吐き、絶望してしまう。
 他者のずるさや醜さにいつも翻弄されて、腹を立てて、自分が苦しくてたまらない。醜い大人、えげつない大人、愚かな大人、小ずるい大人を見ると、自分の心が嘖まれて荒れ狂ってしまう。人は人、自分は自分なのに、十七歳の頃はどういうわけか大人の言動が許せなかった。大人たちの態度に傷つき、怒り、反発した。すべて他人事なのに……。

 十七歳の頃、初めて寺山修司さんに会った。
 昭和の天才はめっちゃかっこよかった。凄い、って思った。寺山さんは覗きの容疑でつかまったりするかなり変な大人だったけど、正直で純粋で真っ直ぐだと思った。こんな大人は高校の先生の中にはいなかった。この人を見ていても、ちっとも苦しくならなかった。でも、なんだか会っているといつもせつなかった。寺山さんといると、自分が取るに足らないちっぽけな存在に思えた。ああ、あたしなんかてんでダメだ、この人に認められないって思った。
 嫌な大人に会うと怒りまくり、凄い大人に会うとぺしゃんこになる。自意識が強すぎて自分の手に負えない。感情がコントロールできなくて苦しい。感情のあっち側からこっち側へ、ジェットコースターみたいに駆け抜けている。泣いたり、笑ったり、幸せの絶頂に昇ったり、そうかと思うと死にたくなったりした。

 十七歳の頃に両親が夫婦喧嘩をして、母親に連れられて家出して、親類の家に身を寄せたことがあった。二週間くらい高校も休んだ。母親は父の暴力に脅えてメソメソしている。
 「母さんが離婚したらあんたも母さんといっしょに来て働いてくれるね」
 と母親が言う。
 うっそ〜! と思った。母子で働いて苦労するなんて冗談じゃねえよと思った。私は私、あんたはあんただ。こりゃヤバイ、早く親に影響を受けない人生を生きねばと思った。もう親に振り回されるのはごめんだ。高校を卒業してこの家を出て行こう。そして自分で稼いで好きなようにハレンチに生きてやると思った。

 十七歳の頃、好きな男の子がいたけど、まったく鼻も引っかけられなかった。
 夏にみんなでキャンプに行った。でも、どうしてもツーショットに持ち込めない。せっかく星降る高原に来ているのだから、ロマンチックに好きな男の子と夜を過ごしたい。みんなでカレーを作っているときも、歌を歌っている時も、私の頭は男のことでいっぱいだ。
 でも、自分から誘うことは絶対にできない。私の自意識が私を許さない。私は男の子の前を行ったり来たり、用事をこじつけては男子のテントに出向いたりしたが、相手は知らんぷりである。ちくしょう。キャンプファイヤーの火が消えた後、連れ立って星を見に行く「両思い」の友達が羨ましかった。

 十七歳の頃、よく息を止めて死ねるかどうか実験していた。
 なんというバカな事をしていたのだろう。でも、やっていた。布団の中に潜って息を止めて、そのまま死ぬまで息を止めてみようと思うのだけど、死ねなかった。死ぬことにちょっとだけ憧れていた。私が死んだら誰が悲しんで泣いてくれるかよく空想していた。

 ものすごくセックスしてみたかった。
 オーガスムス=快感というものに憧れていた。どれくらい気持ちいいもんなんだろうなあ、セックスって。マンガなど読むと女は失神するくらい気持ちいいらしい。男の子に体を触られるってどういう快感なんだろう。ああ、早くエッチしてみたい。と妄想を膨らませていた。気持ちがやる気満々だから、十七歳の頃は体もめっちゃ感じやすかったんだな。今となっては「この程度か」と知っているので、あんなに感じない。「好き」って言われただけで、じーんって感電してた。若いうちのセックスは痛くても気持ちよかったもんな。

 人間の体の中を見てみたいと思っていた。
 死体を見たいと思っていた。なぜなのかわからない。私は思春期の頃はずっと、人間の体の中がどうなっているのか気になっていた。手術を見てみたかった。内臓はどんな風に詰まっているのか知りたかった。なんで内臓を詰めたまま自分が動き回っているのか不思議だった。

 どうして私は私なんだろう。なんで私は生きているんだろう。考えるとクラクラするけど、とても知りたいと思った。私の生きている意味を知りたかった。誰かに「お前はこれこれこういうために生きているのだから」と説明してほしかった。この世の真理を知りたい。なぜ私が生まれたのか教えてほしい。そしたら頑張れると思った。私の人生の意味は渾沌としていた。自分が何者なのかさっぱりわからなかった。

 酒も飲んだし、煙草も吸った。なんとなくいつも寂しかった。よく一人だった。あの頃、楽しかったけど私は十七歳の頃にはもう戻りたくない。自意識が強すぎて生きるのが苦しかった。ちょっとしたことにグサグサ傷ついて、落ち込んで、恥ずかしがって、悩んで、本当にめんどくさい。もうあんな時代はごめんだと思う。

 そんなことをメールマガジンに書いたら、十七歳の少年たちから何通かメールが来た。
 メールを読んで、今の十七歳も同じようなことを考えて生きているんだなあって、ちょっと嬉しかった。いつだって十七歳は十八歳になりたくないみたいだ。
 「ランディさん、僕も十八歳になりたくない」って書いてある。十八歳になること、というよりも大人になることにある種の恐怖を感じている。それは自分の純粋さが失われる恐怖だ。わかるよ。このまま何もわからずに大人になって、自分はどうやってこの世界で居場所を見つければいいんだよ、って私もそう思ってたもの。
 小学校でいじめを経験している子が多かった。そういう子が、中学になったら学校に行きたくなくなる。不登校してます、ってメール、たくさんあった。
 思春期に入って体も劇的に変化してホルモンのバランスも崩れる。体が変化している時は心だって変化する。そういう変化の時期に「変化すること」はいけないことだ、と親から言われている。なんでだろう。変化しなかったら大人になんかなれないのに。
 「親は俺が変わったって、泣いてるんです」
 小学生が変化せずに高校生になるわけない。中学生は激変の時期なのに、子供の変化に大人がついていけない。不思議だ。変わることを経験しない大人は子供の変化すら受け入れられなくなるのかな。
 不登校、そしておきまりの精神科。カウンセラー。
 精神科に通っている……という十七歳たち。精神科しか行くとこないのかな。なんだか読んでいて苦しくなってしまった。カウンセリングルームに閉じこめて、彼らの何が変るんだろう。思春期は変化の時だ。肉体も心も変容する。変容には熱と混乱がつきものなのに。

 十七年間、生かされただけ。

 そう書いていた男の子がいた。
 でも私は「生かされただけ」と書くことができたその子の力を信じる。「生かされただけ」と文字にして、私に送ってきたその子の力をなんだか信じられる。きっと、けじめのつもりで私にメールをくれたんだと思った。そう言えたら、そう書けたら、超えていける。言葉はそんな力をもっている。書けばいいんだ、どんどん書いて、体の外へ呪縛を解放しちゃえ、って思う。

 私はいま、すっかり大人になっちゃったから「人は人だから」と思える。状況のなかでどう行動するかは個人の自由だ、と冷静に傍観できる。他人が自分に侵入してきて苦しむことはなくなった。だけど、十七歳の頃の私は、そうじゃなかった。「結局、大人は自分さえよければ人はどうなったっていいんだ」って思うと、それだけで苦しくて絶望してた。
 自分と親とか、自分と社会との境界線が曖昧で、周りの人間が理不尽な事をすると、その理不尽さに自分が押しつぶされていた。そして、苦しんでた。それなのに、
 「バカみたい。なんであんたは他人の事でそんなに怒るのよ」
 って母親に言われて、殺してやりたいと思うほど憎んだことがある。
 むなしくて、くやしくて、どうとでもなれ、と思って、
 「ああ、あたしはただ生かされてるだけだ」
 そう思うことで自分の心を鎮めてた。

 だけど、私は幸運な事に、かっこいい大人にもたくさん出会った。
 きっちりと自分におとしまえをつけて生きているような大人の男や女とも、思春期の頃に出会った。その人たちが、この社会のものすごい理不尽や、とてつもない不合理と体を張って闘っているのを見せてもらった。すげえって思った。マジだぜコイツら、ってびびった。
 その頃から、つまんないことで自分が絶望してちゃいけない、って思ったような気がする。
 私がくだらない大人に絶望してスネてても、世の中をナメても、結局はそれは何の意味もない。優しい奴ほど図太くならなくちゃいけないんだな、ってそう思った。

 子供の時は親の背中を見て育ってきたけど、思春期以降は赤の他人の背中を見て生きてきた。
 他人の背中に育てられて、ここまで来たのだ。

 少年を絶望から救うような、そんな背中をいま私はしているだろうか。
 自信はない。だけど、きっと誰かは私の背中を見ている。そう思って生きている。
 かつて私がそうだったように、いま、私も誰かから、この背中を見られているのだ。
 私は初めて会った時の寺山修司さんの年齢を超えてしまった。
 今度は私が見られている。子供たちから。