「ダイエット …… 生きる道。生きかた。
または考えかた。
……自己を管理すること」
(オックスフォード英語辞典)


「はじめに」より

 体重を減らしてそのままの状態に保つにはどうしたらいいか。これは、その方法をのべた本だ。また同時に、生きることの哲学を示してもいる。この本の中身は減量計画であり、この本の型ははなにかといえば、生きかたの哲学である。
 現代というむずかしい時代に、生きるとはいったいなんだろうと自問する。この本の読者はそういう体験があるものとして、私は話しを進めることにしたい。生きるとはいったいなんだろう? 哲学者はなぜそのことを話してくれないのか? こういう二つの質問を何年か前にしたのは私の母で、当時七十二歳だった。子供たちは成人して家を離れ、父とは母家庭用菜園の世話、読書、テレビを見る以外にすることがなかった。息子は哲学の専門家なのだから、きいてみよう。母はそう思ったのだ。これは答えないわけにはいかない……

「死にかたにこだわろう」より

 生きているうちになにかひとつ、全身全霊をあげての打ちこみなしにはやりとげられない、困難なことに挑戦してみたい。それをやりとげれば、その後一生、喜びと達成感の記憶が残るような。とすれば、中身が大切だ。しかし、それをやりとげさせてくれるのは型のほうである。型こそがことの成否を左右する。
 中身については二つの約束ごとがある。やることはなんであれ、楽しんでやる。そして、他人に害をあたえないようにする。
 体重を一〇キロ減らしてそのまま一生保つことは、行動の中身としてはほかのことに劣らずすばらしい。くだらないことだと思ってはいけない。他人にけなされてひるんではいけない。これは、崖っぷちで足を踏みはずせば一巻の終わりというような危険こそないものの、大洞窟の探検や高山の登頂以上に困難なことなのだ。何年かのあいだ打ちこみ、それをやりとげて勝利の栄冠を手にし、あとは引退して太るというわけにはいかない。体重の操作は死ぬまでつづく。それに、だれも栄冠を授けてはくれない。
 私のすすめるのは自己管理であり、自信をもつことだ。私はあなたに、自分自身の人生を狂信的に生きてもらいたいのだ。……(中略)……食べものと脂肪は生命の象徴だ。それだけでなく、実際に生命を支えるものである。食べものや脂肪をこばむのは、生命をすこしばかりこばむことだ。体重を一〇キロ減らしてそのままの状態を保ってみると、生命の終わりを迎える時期の予習になる。
 ここで言っておかなければならない。この本では、脂肪とはひとつのたとえなのだ。そうありたい状態からわれわれを遠ざけるもの、つまらないことにごたごた文句を言われること、どうしようもない陳腐さ、避けようのない平凡な現実、そういったものを「脂肪」で表現しているわけだ。この世にわれわれをしばりつけ、永遠の生命から遠ざけているのは、人間の肉体の部分である。天国というイメージは苦しいことだらけの日常生活から現世の喜びを抽出し、それを薄めたものにすぎない。私はそう考える。
 そういう脂肪の幾分かを溶かしてしまおう。筋肉に置きかえよう。ふく風に身をさらそう。前にも言ったが、ここでまた念を押しておく。あなたがやることは、他人に害を与えないかぎり、ほかの人にとってなんということもない。だが、後になって自分が誇れるようなことをやりとげるかどうかは、あなた自身にとって大いに関係する。
 腰を据えてがんばってみよう。
 きっとあなたにはできる。