■腕時計

 腕時計と胃薬の会社は関係があるかもしれません。
 時々、約束の時間に遅れそうになって電車に乗っていると、目的の駅まであと五つあるからひと駅三分かかるとして一五分、そこから急ぎ足で何分、合計するとギリギリだぞイカンイカン……と、電車がひと駅すすむごとに腕時計とニラメッコしながら計算していると、きまって胃がキリキリキリッと痛むわけです。
 考えてみたら私は自由業なんですから、もすこし時間を自由に操りたいんですが、これがどうして、なかなかうまくいきません。
 明治一八年、京都で「時間会社」というのを作ろうという話がありました。
 当時の日本人はかなり時間に対してルーズだったらしく、何か会を催して時間どおりに来る人はなく、はなはだしい人は二時間も三時間も遅れて来たりしたそうです。
 そこでこの弊を矯正するために、この「時間会社」を創立しようじゃないかということになったようです。ただし、これは営利目的の会社ではなく、単に「会」といった性格のものでしたが、会則は……

 この会員となりし者は今後人と約束したる時間はたとい一秒時間といえども違えずしてその席に参会し、もし約を違うる者は説諭を加へ、なお用ざる者は会員を除名しかつその旨新聞紙上に広告する

 ……んだそうで、なかなか厳しいものです。
 同じ年に岐阜でも「時間同盟会」という似たような趣旨の会ができてますが、こちらには但し書きがあって……

 時間に遅速異動の差なきを免れざるをもって三〇分以内の遅速はあながちこれを咎めざるべし

 ……となっていて、京都の「一秒時間といえども違えず」と比べたらずっと楽です。
 時間を守ろうという会が、三〇分の誤差を認めるぐらい明治の時間の観念には伸縮性があったようで、これなら私には胃薬はいらないかもしれません。

 この夏、汗でベタベタするし、わずらわしいので腕時計をはめずに外出していました。これは、特に約束のある時は胃に効果がありますね。もう腕時計を見る必要がないんですから、時間に遅れようと遅れまいと、先に人が待っていたら、とにかく、
「お待たせしました」
 と言えばいいんだ、と開き直ってますから気が楽です。
 しかし、世間の時間と無縁になって、まるで自分の時間で生活するというのは、いかに自由業とはいえ無理があります。そこで秋になってから腕時計をしようとしたら、どういうわけか、これがどこかへいってしまって出てきません。そのかわりに見つけたのが、しばらく使っていなかった「ウルトラマン時計」です。
 これは、見かけが頭でっかちのウルトラマンで、足の部分を操作すると、胴体がカシャッと上にのびてデジタルの文字盤があらわれます。ただし電池切れなのか、時間が正確なのは三分間ほどで、あとはこのウルトラマンの気分次第という腕時計です。
 これをほしいと思ったキッカケは、電車に乗っていた時でした。新宿駅から(どう見てもその筋の業界の人としか思えない)サングラスに黒ずくめの強面の人が乗ってきました。そして、その人が吊革を掴んだその腕に「ディズニー時計」がはめられていたのを見て、
「ウーム、なかなか」
 と思って数日後にウルトラマンを手に入れています。
 とにかく、このウルトラマンがマイペースで動いてるものですから、前後約三〇分ぐらいは世間の時間とくい違いがあるのが日常です。
 もし私が約束の時間に遅れることがあったとしたら、こいつのせいにしようと思っています。



■遊戯盤

「東京人」という雑誌に、神田神保町の古書店街のことを書いていたら、急に植草甚一さんのことを思い出してしまいました。
 植草さんとは一度もお会いしたこともなくて、私は単なる一ファンにすぎませんが、私の生き方の路線は、そうとう植草さんの影響をうけています。その路線というのは、「好きなことをやりながら生きる」というもので、これは誰だってあこがれますけど、そう簡単にはできない。それを植草さんは簡単にやってのけているように思えたので、できれば私もそっちの道へ行きたいなと思っていました。
 とりあえず、植草さんの本はほとんど持っています。まず私が気にいったのは、本のタイトルです。
「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」
「ぼくがすきな外国の変った漫画家たち」
「知らない本や本屋を捜したり読んだり」
 とにかく肩に力がはいっていません。常にマイペースで生きているからだろうと思うわけですけど、やっぱりこれは理想の生き方でしょう。
 本のタイトルも長くてリラックスしてますが、本文のタイトルも長い。たとえば、「ジャック・ロンドンの『野性の呼び声』と明治三十三年十月のニューヨークを想像してみた話」というのだって、かなり長いと思いましたが、もっと遠慮なく長いのが、「詩人オーデンやカポーティはじめ現代作家たちが感心してしまったジョー・アッカレーのホモ・メモワール それからアメリカの新現象『ニュー・ホモ』って何だろう?」。
 こんな調子でしたから、いつもタイトルでアッケにとられて、いざ本文を読むと、これがサッパリ内容がわからない。でも、何だかいつも新鮮な気持ちになれたし、何か解放されたようになるのが不思議でよかったのです。
 その植草さんが亡くなられてから、しばらくしてデパートで植草さんの厖大なコレクションが売りに出されました。もちろん、私もすっとんでいきました。
 そこで、選んだのが、植草さんがニューヨークの蚤の市で買ったという「5GAME」というゲーム盤です。これは、単に楽しそうだということと、私がゲームが得意だということで決めただけです。
 当時流行していたピンボールゲームなどは、高得点すると、どんどんフリーゲーム(只で最初からゲームができる)の回数もふえるわけですが、これが適当にたまると、私のゲームっぷりに見惚れて、ずっと側にいた見物の小学生に、
「あと全部やらせてやるよ」
 などと言って、いいところを見せたりするわけです。
 その他に、パチンコもトランプも得意だったし、ジャンケンも肝心なところでは、まず負けません。
 ところが、私の家内はあまりゲームや、勝負ごとが好きではありません。そこで新婚時代にトランプやオセロゲームをしこんでいましたら、本来は負けずぎらいな性格なこともあって、段々と本気になったところで、イヤというほど負かしたら、「ワーッ」と泣かれたので、それからは夫婦でゲームらしきことはやめました。
 ゲームというのは、気分転換、あるいは時間つぶし、あるいはのめりこむと抜き差しならない世界ですが、私の場合、自由業になってしばらくしたら、ゲームらしきことはほとんどしなくなりました。おそらく、やりたいことがやれるようになって、ストレスが減ったからでしょう。