『一人が三人』

第一章・目黒考二篇の「『本の雑誌』にこんなコラムを書いていた」より。

 携帯電話
 街を歩くと、今や携帯電話を持っている人をあちこちに見かけるがあんなもの必要ないと思う。
 携帯電話を持っていてよかったな、助かったな、と思うのは年に数回くらいなものだ。あとはあってもなくても別に関係ない。公衆電話がこれだけあるんだもの、そんなものがなくても、なんとかなる。まあ、職業特性というものがあるから、携帯電話が欠かせない人もいるかもしれないが、我々のような普通の人間にはとりたてて必要のあるものではない。
 にもかかわらず、つい買ってしまったのは、大阪の中場利一という男が何度も電話してきて自慢したからである。ずっと以前、ワープロを買ったときも沢野が先に買ってしまって、自慢話を聞かされるんじゃかなわないというのが動機だったが、今度の自慢話は毎日だから、ええい、うるさい、買ってやれとなるのも仕方がない。
 困るのは、年に数回のためにいつも持ち歩かなければならないことで、これが不便なのである。鞄の中に入れておくと、呼び出し音が鳴ってもすぐに取り出せないから、あやややと、あわててしまう。こちらからかけるのは年に数回でも先方からはかかってくるのだ。いちばん多く電話がかかってくるのは週末で、たまに競馬場に携帯を持っていかないと、「お前に馬券を頼もうとしたのに留守電になっていたぞ」といろいろな友人から文句がくる。
 そんなわけで、競馬場に行くときはウェストポーチの中に携帯を入れていく。ところが私の機種はバイブレーション機能がついているから、呼び出し音が鳴る前にブルブルっと震えるのだ。だからお腹が鳴るたびに、携帯の呼び出し音と間違えてあややや、早く出なくてはと焦ってしまうのである。それだけの話なんだけど。