まえがき

1 森村組入りして日米貿易にかかわる

オールド・ノリタケのアートディレクター
日米貿易界の草分け「森村組」に参加
輸出奨励金を借りずに耐えつづける
無類の名手だった商品の仕入れ

2 純白硬質磁器実現までの長い長い闘い

やっとのことでコーヒー茶碗ができる
純白硬質磁器への挑戦
ローゼンフェルドとの出会いと工場の視察
断然強力だった森村組の輸出陶磁器

3 日本橋の書店街に大倉書店を開く

森村市左衛門との出会いと絵草紙屋の開店
ニュース種の錦絵類を続々と刊行
三代目広重に「大日本物産図会」を描かせる
幸野楳嶺の「百鳥画譜」ほか画集に力を入れる

4 大倉書店と大倉洋紙店を成功させる

地図や学術書から英和・独和辞典まで
大倉保五郎の手で夏目漱石の処女出版
富士製紙と組んで洋紙店の基礎を固める
ユニークな経営者だった大倉文二と大倉邦彦

5 日本陶器の設立とディナーセットの完成

孫兵衛と市左衛門が分裂寸前の危機
五年たっても八寸皿はできず、技師長を解任
和親の海外工場視察と八寸皿の成功
「ノリタケ・チャイナ」が世界のブランドに

6 日本碍子と日本特殊陶業の設立と発展

食器の工場で送電線用の碍子をつくる
社長は和親、現場は江副で「日本碍子」発足
ユニフォーミティーの鬼だった江副孫右衛門
スパークプラグへの挑戦と「日本特殊陶業」の設立

7 東洋陶器と伊奈製陶の設立と育成

「東洋陶器」の創立と日本初のトンネル窯
衛生陶器における絶対的地位の確立
常滑の窯元伊奈家と大倉父子の関係
建築用タイルの「伊奈製陶」を確立させる

8 「良きがうえにも良き物」をめざして

中国の大連に「大華窯業」を設立
「この上なき美術品」を作るべく「大倉陶園」設立
天皇家の婚礼用に三千余点の食器を納める
「各務クリスタル」の創立と「サカタのタネ」への援助

9 大倉孫兵衛の体験的経営哲学

松村介石の「道会」を物心両面で支援
良品をつくるために贈答は一切禁止
東郷元帥も静養した湯河原の大倉別荘
何もかも満足できた晩年の境地

10 大倉和親の心やさしき人間操縦術

大府のまちづくりに大いなる貢献をする
自宅の設計者はブルーノ・タウト
死ぬまで持ちつづけた最高のものへの夢
徹底していた社員への思いやりと親切


 参考文献・引用資料