恋のゾンビ

 「恋がしたいのに、なかなかうまくいかないのです。なぜなんでしょうか」
 という質問をよく受けるので、恋というのは個人差があるのだよ、とお答えする。
 恋をしたいのにできないのは、それは性分なのであって運命のせいではないと思う、と。
 「人を好きになってもなかなか恋愛まで発展しないんです。こっちが好きだと向こうがダメだったり、向こうが好きでも私が興味がなかったり……そういうすれ違いの繰り返しで恋に至らないんです。これって私のせいなの?」
 そうです、あなたのせいです、と私は断言する。決して神様のせいではありません、と。
 このタイプの女性、実はたいへんく多い。
 といってももちろん私の周りに多いということであって、全人類的に多いかどうかは定かではない。私の知る範囲ではたくさんいらっしゃる。恋ができない女は恋多き女よりはるかにたくさんいる。
 恋多き女は、意外なほどワンパターンである。恋多き女は、男だけじゃなくていろんなものに惚れっぽい。陶芸に惚れ込んで山奥にこもったり、外国に魅せられて全財産を旅行に投じたり、ワインを極めてソムリエになったり、歌舞伎の通になったりする。そういう女の人は対象が人間に移ればいとも簡単に恋に落ちる。行動はまちまちだが、性格的にはわりと類型化しやすい。
 それに対して恋少なき女は多種多様だ。だから、どちらかと言えば恋少なき女の方が現代のマジョリティなんじゃないだろうか。
 恋というのは病名をつければ自律神経失調症とでも言うべきか。胸がドキドキしたり、息苦しくなったり、気分が不安定になったりする。体に異常をきたせばこれはもう十分立派な病気だ。だから「恋をする」というよりも「恋にかかる」というべきかもしれない。
 で、風邪をひきやすい人と、ぜんぜん風邪なんかひかない人といるように、恋にかかりやすい人と、かかりにくい人がいる。体質的に恋に対して免役のある人はいくらでも恋にかかり立ち直るが、恋免疫のあまりない人は、かかるのを恐れて用心するので恋をしない。そして、どうもこの恋の免疫ってのは、恋の最初の一回目が大きく影響しているように思われる。

 いまどき人って何歳くらいで恋をするのかな?。
 私の場合、お互いがお互いを好きだと確認しあい、燃え上がるような恋をしたのは十四歳の時だった。その最初の恋愛が私の場合「成就」してしまったのだ。幼い二人の心はがちっと一つに結ばれて、学校帰りの公園で毎日逢瀬を重ねたものだ。もちろん別れはあったが、恋とは成就するものだ、という確信を十四歳の小娘だった私は得てしまった。
 その後、振られても振られても恋をし続けてきたのは、最初の一回目が成功体験だったからではないかと思うに至った。あの時、手ひどい裏切りや、苦しい片思いの果ての挫折を経験していたなら、美人でもない私はこれほど恋に走る女にはなっていなかったような気がする。「恋愛はうまくいく」この最初の体験における自信が、その後の恋愛人生を左右するように思える。思春期の体験は、女の一生に大影響を与えるものなのだ。
 十四歳の頃ってのは、女の子は成熟してても男の子の方はまだ子供である。子供相手に初恋をするようなものなので、うまく成就しない場合が多い。また、中学生が年上の男と恋愛しちゃったりすると、体も心も年齢差のギャップが生じてしまうので、これまたうまくいかなかったりする。とにかく思春期の女にとって恋とはうまくいきにくいものなのだ。たぶん、私の成功体験は稀な方なのではないかと推測する。

 「じゃあなに、私は最初の一回目で失敗してるから、恋が下手になっちゃって、もうどうしようもないっていうわけ? そんなのひどい」
 「いやいや、誰もそんな事言ってるわけじゃないよ。そういうこともあるかも……って話よ」
 「でも、実際そうかも。私の初恋は実らなかった。告白したら男の子が急に冷たくなって消えてしまったの」
 そうだろうそうだろう。最初の一回というのは何かにつけて大切なのだ。初めてのキス、初めての抱擁、初めてのセックス、これらはけっこう後の人生に禍根を残す。そしてここで小さく挫折してしまうと、ねん挫した足首をかばうようにしか恋愛ができなくなるのだ。そういう時はしかたない。後戻りしてていねいにやり直すしかない。急がば回れとはこの事だ。もちろん最初の一回には戻れないけど、ねん挫してることを自覚して、丁寧に恋をするしかないだろう。
 肝心なのは、上手に成功体験を上書きすることである。ところがどういうわけか女ってのは、一度失敗すると、失敗の上書きを繰り返してくようなとこがあるのだ。

 「やだやだめんどくさい、あたしは今すぐ恋したい! 胸きゅんがしたいの。人を思って、胸がきゅんとしちゃう、あの感動を味わいたいの」
 恋少なき女は恋に恋している。こういう時、私がいつも言う言葉がある。
 「あのね、したい、したいってあなた言うけどね。恋愛したい、結婚したい、したい人は死体人って言うのよ」
 「したい人は死体人? なにそれ? 誰の言葉」
 「誰の言葉って、私の言葉よ。したいしたいって言ってる人は、死体なの。生きていないの。物事はしたがってはダメなの。死体になる前に生きるの。実行するの。動くの。ああしたい、こうしたい、って言っている限り、自分は死体、ゾンビなんだよ」
 死体が多い。ものすごく多い。街を歩いていても死体ばかり目につく。おぞましい。ああ死体、こう死体。なぜ死体になってしまうんだろう。思い立ったら行動すればいいのだ。どんな小さな事でもいいから、願ったことにむけて一歩を踏み出せば、人生はそのように変わっていく。やりたい事を実行する人はいつもそのような小さな選択を繰り返している。
 したい……と言い続けているだけではなにも起こらない。死体になってしまったとたん、人は「しない」事を選択しているわけだから。
 本当はなんでもできるのに、すぐ死体になろうとする。生きるより死体になる方が簡単だからだ。行動するのってめんどくさいし、怖いし、嫌なことも多い。死体になってたほうが本当は楽だから死体になる。
 恋愛したいの、と言われると、私には「恋愛死体の」って聞こえる。
 そうか死体なのか、と思う。あなたは死体なんだね、ゾンビになってなにかを待ってるんだね。
 仕事死体、楽死体、恋死体、金儲け死体、旅行死体、親孝行死体、ボランティア死体。
 いろんな死体がゾンビみたいに歩いている。
 私もずいぶん長いこと死体やってた。死体歴十年だ。死体だったとき待ってるだけだった。だって死体だから。動けない。身動きできない。生きているのに、死体だった。

 「じゃあさ、ゾンビにならないためにはどうしたらいいの?」
 「えー、簡単なことだよ。したいって言わなければいい。恋したい、じゃなくて、恋します、って言って行動すればいい」
 「恋します! 恋愛します!……なんかコレって変じゃない?」
 「変です。恋愛は相手がいて成り立つものだから。するぞと断言しても無理がある。でも、したい、って言った時と、するぞ、って言った時の気分って違わない?」
 「そういえば……、します、って言った方が気持ちがぐっと締るような……」
 「そうそう、それが生きてるって事なのだ」
 したい、って言ったとき、私はすでに死んでいる。恋のゾンビになっている。