都市において、公園・緑地を拡充することは、住民の居住環境の向上につながると、無条件に信じてきた人々にとって、衝撃的な事件が発生しました。戸外にいた子どもが誘拐され、殺害されるという事件が四件も連続して発生しました。いわゆる“宮崎事件”の発生です(現在裁判継続中)。事件の現場とされる場所に公園・緑地が登場したのです。この現場は、計画的に建設された集合住宅団地のなかの公園と緑地です。この団地は、集合住宅群の中央部に、比較的緑豊かな公園・広場を配し、団地内の各所に小公園や緑地を配した美しい団地です。この団地内の小公園で少女が誘拐され、その隣の緑地で殺害されたとされています。
 この事件を契機にして、人々の公園・緑地にたいする考えにも、はっきりとした変化がみられるようになりました。潜在的問題意識が顕在化してきたといってもいいでしょう。学校では、夏休みに要注意の危険空間として、地域の公園・緑地があげられるような悲しい事態も生れてきました。

 都市計画に、“犯罪から安全なまち”という視点を、はっきりと組みこまなくてはならない。こうした問題意識を基に、警視庁と千葉県警本部を訪ねました。まずは、子どもたちがどんな所で犯罪にあっているのかという実態を知りたいと思ったからです。両警察ともに協力を快諾し、資料を提供してくれました。しかし、そこにみられる子どもの犯罪とは、万引きしたり、シンナーを吸ったりといった子どもが加害者として犯罪をおこした事例でした。しかし、私が必要なのは、普通 の子どもが犯罪の被害者として巻きこまれた実態なのです。犯人を検挙することを主な任務とする警察には、こうした形での資料の整理はなされていないことが判明しました。と同時に、警察にも存在しないわけですから、日本の行政機関には、どこにも、こうした資料は存在しないことも知らされたわけです。すなわち、日本の行政(自治体)では、それぞれのまちやむらで、子どもたちが“どこで”“どんな形で”犯罪にあっているのかという実態すらわかっていないわけです。これでは、子どもが犯罪から守られる安全なまちなど計画できるわけがありません。

 そこで、子どもが犯罪に巻きこまれる実態を調査することにしました。私たちの大学の存在する千葉県松戸市と隣接する市川市の小学校の四・五・六年生を対象にしました。松戸市や市川市は東京のベッドタウンとしての性格の強いまちです。このなかかから、集合住宅地、住工混在地、駅前商業地など、地域条件の異なる小学校を十三校抽出し、高学年の全生徒五○○○余人に調査を実施したわけです。
 調査の結果、驚くべき実態が明らかになりました。地域の性格にかかわりなく、どの小学校でも、小学校の高学年になるまでに四割前後の子どもが犯罪の危険に遭遇していることがわかったのです。これでは、子どもたちは犯罪の危険と背中合せに生活しているといっても過言ではありません。大きい犯罪にいつ巻きこまれても不思議はないのです。
 犯罪が発生した場所を実地に見て歩きました。そこから、どんな場所が危険なのかという知見を引出さなくてはならないからです。しかし、残念なことに、犯罪現場に立っても、そこでたまたま発生したのか、必然的に発生する要因があったのかがわかりませんでした。問題の重要性はきわめてはっきりしたのに、そこからどのように知見を得るべきかがわからないまま悶々としたまま歳月が過ぎました。

 文部省の科学研究費の助成を受けて、同じ調査を、今度は東京でやることにしました。なるべく都心に近くて(千代田区、港区、中央区の都心三区になると子どもの数が少なくなる)かつ子どもたちが少なくない地域として江東区と、周辺部で大学にも近い地域として葛飾区を選出し、地域条件の違いをふまえて各区九校づつの計十八校を抽出し、合計三○○○余名の小学校高学年の生徒全員に調査を実施したのです。
 この調査でも、前回と同じような傾向が浮びあがりました。すなわち、あまり地域の性格にかかわりなく、どの地域でも、四割前後の子どもたちが犯罪の危険に遭遇しているのです。前回の調査結果 をもふまえて、この結果をみると、日本の都市ではどこに住んでいても、子どもたちは蔓延する犯罪の危険といっしょに生活しているといえるでしょう。
 この衝撃的な調査結果をエネルギーにして、代表的な犯罪危険個所としてプロットされた三○○余の地点を一つ一つ見て歩きました。犯罪が発生する場所には、空間的特徴があるのか? この命題に対する知見を得ることのみに焦点をあて、一度ならず二度と、これらの地点を歩いてみました。すると、まるで見えなかった輪郭がうっすらと見えてくるような気がしてきました。深くたちこめていた霧が一気に晴れていくような時機を迎えることができました。犯罪危険個所には、そこが危険個所たり得る空間的要因が必ず存在することがつかめてきたのです。そして、この空間的要因が、今日のまちづくりの結果 として発生していると思えるようになりました。

 こうして得られた結果を、まちづくりにかかわる多くの人たちに、図と写 真をまじえて具体的に知らせていきたいとう衝動にかられて、この本を書くことになりました。