第1章 被験者の尊厳――第二次大戦以前の状況

 ひとりの告発者とスキャンダルが歴史の流れを変えるきっかけになった。
 一九六六年六月ハーヴァード大学医学部麻酔科、研究部門教授ヘンリー・ビーチャーは、ニューイングランド医学誌に「臨床研究と倫理」の分析を発表し、これによって彼は、ハリエット・ビーチャー・ストウ、アプトン・シンクレア、レイチェル・カーソンとともに、歴史に名を残すことになった。米国の歴史にしばしばあったように、『アンクル・トムの小屋』『ジャングル』『沈黙の春』などの出版は、奴隷家族への冒涜、食物の汚染、あるいは環境の汚染といった隠された事実をあばき、有無をいわせず一般 市民の姿勢や政策に変更をせまった。ビーチャーの論文もこうした伝統にあてはまるものだった。研究の倫理にたいする痛烈な告発によって、医療上の意思決定のプロセスに一連の新しいルールと新しいプレイヤーたちを登場させる動きが加速したのだ。
 この論文は短く、かろうじて二段六ページのものだった。文章は簡潔かつ学術的で、一般 の人々でなく、おもに専門家を対象にしていた。ビーチャーは(すべてうまくいったわけではないが)、これに、他の論文と同様の、学術論文らしい体裁を与えたいと考えた。彼は「論文から感情や価値判断などを排除したと確信している」と述べている。それでも、この論文が発表されると、医療専門家以外にも大きな波紋が広がった。
 論文の核心部分は、被験者に危険性を知らせず、彼らから同意をえることなく、「被験者の生命や健康」を危険にさらした二十二の研究の要約だった(巻末付録参照)。もとの研究論文や研究者名には触れていない。ビーチャーはニューイングランド医学誌の編集者に完全な引用文献のコピーを提出し、彼らが、論文が正確であることを保証した。発表後、引用文献を教えてほしいという要求が続いたが、ビーチャーはこれを一貫して拒否した。彼ははっきりと、研究者個人を指弾する意図はなく、「広く行なわれていることに注意を喚起すること」だといった。また彼は、ハーヴァード大学法学部の仲間から、氏名を公表すると研究者を訴訟や刑事訴追にまきこむかもしれない、と忠告されたことを個人的に認めていた。
 ビーチャーの論文の不名誉なリストにのせられた臨床研究は、被験者の福利を無視した点で目にあまるものだった。彼の論文の第二例では、合併症予防の新しい方法を研究するため、連鎖球菌に感染した兵士に意図的にペニシリンを投与しなかった。兵士たちは実験に参加していることをまったく知らされず、リウマチ熱にかかるまま放置され、実際そのうち二十六例で発症した。第十六例では、州立の知的障害者施設で障害者になまの肝炎ウイルスが与えられ、病因の研究をするとともに、予防ワクチンをつくろうとしていた。第十七例では、身体の免疫反応を研究するために、がん細胞と知らせず、入院中の二十二人の老人に生きたがん細胞を注射した。第十九例では、心臓の機能を調べるため、心臓の左房に特殊な針を刺した。被験者には心臓病の患者も、健常者もいた。第二十二例では、生後四十八時間以内の二十六人の新生児に膀胱カテーテルを挿入し、膀胱の機能をみるため、充満しているときと排尿時の一連のレントゲン写 真を撮影した。「幸運にも、カテーテル挿入による感染症は起きなかった。X線に広範囲に被爆したことの影響がどうなのか、だれにも分らない」とビーチャーは指摘している。
 予想にたがわず、議論の的になったビーチャーの重大な結論は、研究者のあいだで「非倫理的あるいは倫理的に疑問のある臨床研究は稀ではない」――つまり、患者の人権の無視は広範囲に及んでいる、というものだった。具体的に指摘されてはいないが、ビーチャーはこうした問題のある行為が「指導的な医科大学、大学病院、私立病院、政府軍事部門……政府の研究所(国立保健研究所)、在郷軍人病院、企業で行なわれている」と断言している。端的にいえば「告発の裾野は広い」ということである。さらに、ビーチャーは、研究者たちのあいだに広まっているこうした行為を数字で評価しようとはしなかったが、前記のリストの作成は、おどろくほど容易だった、と報告している。はじめ十七例を拾い出したが、すぐに五十例に達した(そのうちの二十二例が論文に採用された)。彼はまた、一九六四年の「有力な雑誌」に載った百の臨床研究を検討し、「十二の研究を非倫理的と考えた」。彼は、「それらのうちの四分の一が真に非倫理的だったとしても、きわめて重大な問題だ」と述べている。
 マスメディアが、特ダネを捜して医学雑誌を調査する以前に、ビーチャーの告発は一般 大衆から桁外れの注目を浴びた。ニューイングランド医学誌の論文の解説が大新聞や週刊誌に載り、これはまさに彼の意図したことだった。慎重な告発者は、自分が知ったことを、医学雑誌に研究者名をあげずに発表したが、同時に彼は有力な出版社(ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、タイム、ニューズウィークなど)に近く論文を発表する旨通 知した。報道機関が臨床実験を詳細に報告すると、記者、読者、行政担当者らは一様に、立派な科学者たちがなぜこんな行動をとったかと考え、落胆と不信を表明した。どうして研究者は入院中の老人にがん細胞を注射したり、知的障害児に肝炎ウイルスを与えることができたのか。ほどなくして、研究の主要な助成機関である国立保健研究所は、立法府からこの問題をどうするつもりか、という質問状をうけとることになった。