はじめに

 この本には、数多くのマンガ本が登場する。
 マンガそのものもあれば、マンガ批評の本、マンガに関する本もある。
 本書には、ここ10年ほどのあいだに、それらの本の解説や書評として書いた文章を中心に集めた。この10年は、また、文庫などによるマンガの復刻がさかんになり、マンガについての本もさかんに出されるようになった時期でもあった。つまり、戦後マンガの蓄積が、復刻としてそれなりの安定した市場を形成し、マンガについての言葉も豊かになってきたということだ。
 マンガ愛好家ですら、一体どこから何を選んで読めばいいのか、とまどうほどの多種多様なマンガ市場が成熟したのは、大雑把にいって80年代だった。もう誰も、マンガの全体をくまなく見通すことなど、できなくなった。ある程度の年齢になると、いくらマンガが好きでも、もはや雑誌を毎週何冊も読み、まめに単行本をそろえるなんておっくうになってくる。そうして、いつかマンガから離れる人も多くいる。
 でも、ときにはマンガを読んでみたい。あのマンガは、今でも読めるんだろうか。面白いマンガがあるなら、雑誌はめんどうだけど、単行本で買って読んでみようかな。そんな読者の変化のなかで、それまで、ほとんど雑誌の読み捨てが主流だったマンガの読み方が、復刻や単行本へ移っていったのだと思う。同時に、若い読者も、上の世代が話題にする本を手にできるようになった。
 一般の雑誌・新聞・テレビなどでも、今のマンガや昔のマンガをとりあげ、ときに歴史的に関連づけて話題にする。車窓を過ぎ行く風景のように、ポイ捨てされるマンガでなく、歴史の厚みをもった大衆的な文化資産としてみられるようにもなってきた。
 70年代末、私は60年代のマンガを「戦後マンガの思春期」とよんだ。自意識にめざめ、悩み、試行錯誤しながら自己表現を獲得していったマンガの変化を、そうたとえてみたのだ。それが青年マンガという分野を生み、70年代の多様化を準備した。同じ比喩でいえば、戦後マンガは70年代に成人し、いろんな仕事をおぼえ、80年代に成功して、成熟した壮年になったのかもしれない。落ちついてしまって、ハラハラするような刺激的な仕事は少なくなったが、安定した能力をもったのだ。
 自分をふりかえる余裕ももてるようになった。そういうことかもしれない。
 マンガが自分をふりかえるとき、どんな言葉でそれを語ることができるか。それが私の試みてきたことでもある。この本には、私なりのふりかえり方が、様々な言葉で語られる。どんなマンガを、どんなふうにふりかえったら面白いだろうと、もし迷っている人がいたら、この本が案内になればいいな、と思う。
 自分の知っている本の項目から読んでも、興味のあるところから読んでもらってもかまわない。それで、このマンガを読んでみたいな、と思ってくれれば、うれしい。
 何にしろ、マンガはやっぱり面白いからだ。


マンガはヘタでも面白い

『東周英雄伝』全3巻(鄭問 講談社漫画文庫 94〜95年 各465円)
『ナニワ金融道』全19巻(青木雄二 講談社 91〜97年 485〜505円)

 戦後マンガがきわめて特異な発達をとげ、日本のサブカルチャーのなかでも特筆すべき位置にあるということは、マンガを知る人たちにとっては自明のことになっている。けれども、では一体どこが欧米やアジアのマンガとくらべて“特異”なのか?そう問うたときに明瞭な答えを出せる人はいない。
 私が『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房 92年、現在ちくま文庫)という本ではじめたことは、やがてその問いにぶつかることになるはずだ。マンガの表現としてのしくみを、手塚がいかにして近代的な物語を語りうるものに高めたか、それを読みとくことがこの本の大きなモチーフであった。
 今、大雑把にいえば、マンガの面白さとは、絵=線とコマ構成のふたつのことなる“時間”がうみだす一致やズレを本質とする(ここではセリフやナレーションの言葉の“時間”は便宜的に絵に包括する)。手塚は、絵のなかに圧倒的な量の、多様な記号表現(緊迫の汗や動作の動線、爆発したような吹き出し、さらに人物の表情をあらわす眉や口や目の変化などなど)を投入することで、絵の“時間”を豊かに重層化し、またコマの構成にも複雑な多様さを実現した。そこで、マンガは飛躍的に複雑な絵とコマの“時間”の重なりを表現できるようになり、高度で複雑な心理描写や物語展開が可能になったのである。

 現在、日本のマンガは東アジア諸国のマンガ家たちに大きな影響を与えている。すでに日本のマンガの海賊本出版の段階から脱して、契約出版の段階に入り、さらに香港、台湾、韓国などでは、その国の人々による新たな物語志向のマンガが輩出しつつある。
 なかには日本の雑誌に掲載されている作家もいる。「モーニング」(講談社)に『東周英雄伝』(90年)を、「アフタヌーン」(講談社)に『深く美しきアジア』(92〜94年)を連載した鄭問{チェンウェン}もそうである。彼は台湾の作家だが、その絵のうまさには驚く。日本のマンガ家で彼よりうまい人はたぶん数えるほどしかいないだろう。筆の荒々しさと精密さの落差を極端に出して、水墨画的な薄墨の、白地を活かした筆法と、細かく描きこまれたペン画の背景をくみあわせて効果をあげている。
 彼の絵は、その線の達者さと構図の見事さだけでいえば、日本でもマンガ家としてトップレベルにあるといっていい。ただ、日本のわれわれが読んでどうかといえば、それほどウマイにもかかわらず“マンガとしていまいち面白くない”のである。
 なぜなのか?
 これは本当は微妙な問題で、そう簡単にいいきれない。“マンガの面白さ”なるものが、日本人と台湾の人で、どこが同じで、どこが文化的なちがいなのか。あるいはどこが未熟といえるのか、というのは、じつのところ非常に見極めのむずかしいことだからだ。
 が、ここではあくまで日本人読者の印象でいえば、ということで“なぜか”の答えをだしてみよう。
 記号表現の貧しさ、コマ構成の単調さ、この二点がおもな理由だ。
 彼のマンガのなかでの心理描写は、手塚が50年代に実現した心理表現よりも単調で定型的にみえる。じっさいは顔の表情を変化させて描きこんでいるのに、マンガの流れのなかでみるとはりついたような“困った顔”“ずるそうな顔”の定型にみえてしまうのだ[図1‐1・2]。
 ここにないのは、ひとつは“動き”である。顔が多様な記号の助けを借りて動的に表情をあらわすのではなく、動かないお面のようになってしまう。動線と汗を使っている図1-1にしても、日本のマンガとくらべると止まってみえる。印象が静止的なぶん、心の動きが定型化してみえるのだ。
 図1-2の“ずるそうな表情”そのものはうまく描けているのだが、流れのなかで読むと、ちょうど『水戸黄門』の悪役のような、ややうるさい印象をもたらす。この印象は、たぶんコマの分節が完成度の高いイラストの並列に近くなってしまって、ムダがなさすぎることからも来ているはずだ。コマ構成の前後関係による心理描写の綾が単調なんだと思う。たぶん、日本のマンガなら、もっと絵的にはムダと思えるコマを使い、とくに間{ま}、余白を使ったコマ構成をつくることで、ひとつの心理描写への伏線にするのではないか。
 誤解のないようにいっておくが、鄭問は特筆すべき優れた作家である。『深く美しきアジア』には注目すべき主題の複雑さ、奥行きがある。だからこそ、あえてとりあげるのだが、それほど力のある作家でも、日本では一般的な人気作家にはならない。日本の読者にとって、そこになじまない何かがあるからで、そのひとつが、ここであげる絵のうまさゆえのコマ構成の単調さ、心理描写の平板さ(少なくとも日本の読者にはそうみえるもの)なのだ。
 日本の読者には、絵の完成度を重視したマンガ、欧米のコミックスなどは、“すごい”とは思えても、なかなか面白いという印象にならない。窮屈なのである。絵の完成度が高いと、コマのあいだが、美術館で絵画と絵画のあいだを歩くような距離感をもってしまう。日本のマンガは、絵の完成度は高くないが、コマとコマの流れが軽く、記号的に物語を印象づけ、早く読める。乱暴にいうと、そんなちがいがマンガの絵をめぐって、あるのだ(しつこいようだが、この問題は文化のちがいを背景にもつので、じっさいは判断がむずかしい)。
 青木雄二『ナニワ金融道』(モーニング90〜97年)というマンガがある。
 つい最近マンガを描きはじめたのではないかと思うような絵だ[註]。それほど絵はヘタである。手足はいつもまっすぐでシャッチョコばっている。背景はうるさいほど描きこまれる(何しろ畳の目が全部描きこまれ、浮き上がってみえるのだ[図1‐3])。表情だって、一体喜んでいるのか、悲しんでいるのか、中性の表情なのか、判断に苦しむ顔が多い。
 にもかかわらず、圧倒的に“マンガとして面白い”のである。
 そうとう悲惨な話をリアルなディテールで描いても、これほどヘタだと笑って読めるという効果はあるが、それ以前に戦後マンガが築き上げた“最低限、こう描けば話はわかる”という表現様式を律儀になぞっていることが、ひとまず成功の理由ではないかと思う。話じたいは、町金融の実態をしっかりしたディテールまでリアルに再現しているので、一度そのヘタなマンガの世界を了解してしまえば“面白い”のである。ただ、ヘタとはいえヘンな愛敬があるのも事実で、落語家でいえばフラがある。これが“笑って読める”理由なのだ。
 話の深刻さのわりに気軽に読んでいるのだが、その“ヘタさ”が逆に感動を誘うこともある。
 たとえば、夫が町金融に借金して追い詰められ、はじめつっぱって抵抗していた妻が、まったく表情のない顔の3コマから、ふいに泣き伏す場面がある[図1‐4]。微細にみると、妻の無表情な1コマ目から、2コマ目で涙がにじみ、3コマ目で流れている。その間を、表情をほとんど変えずに、ただメガネをはずし、肩をたたく動作でつなげている。この、ごく平凡な動作の繊細な描写が、泣き伏す4コマ目の迫力と説得力になる。
 これら微細な動作のコマは、ほとんどムダのようにみえるが、そのムダが生きているのだ。絵はヘタだし、手法も洗練されてはいないが、かえってその人間観察の鋭さが新鮮に迫ってきて、感動的な場面になっている。それでいて、いかにもいそうなオバサンの人生一大事の追い詰められた姿に、そこはかとないユーモアを感じてしまうのは、泣き伏す絵の稚拙な背後の動線や、服の描き込まれた皺や陰影がかもしだす妙なフラが、どうしても読者をしてシリアスになりきらせないのだ。たぶん、われわれはもっとうまいマンガに慣れすぎているのだが、かえってここでは“マンガとしてうまい”とすらいいたい効果になっている。
 さらに、恋人の借金のためにソープに勤める女性の、はじめての仕事の夜を描いた場面がある[図1‐5」。この、お世辞にもウマイとはいいがたい絵の女性が、ウンコ座りで客の陰毛をひろうカットは、マンガ史に残るのではないかと思うほどの名場面だ。かりに池上遼一なら、絶対にこんな格好で女性の悲しみを表現しない。悲しみにも“いい女”の格好をつけ、はすかいに座るだろうからだ。こんなミもフタもない格好で陰毛をひろうという着想の見事さもさることながら、稚拙な線、涙、眉間の皺などが、何ともいえないおかしみと哀しみをもたらす。
 青木のヘタゆえの面白さは、マンガ表現が洗練され成熟した90年代にこそ、逆に効果を生んだ例である。作者が必要だと思う地味な描写を、しつこいまでにコマで切って並べる手法は、現在のマンガの手法からすればあまりに泥臭く、うるさい。が、それがユーモアになってしまう距離感の場所に、今の日本の読者はいるのである。

 要するに、マンガの“面白さ”は、ことほどさように一般的な絵のうまいヘタとは別物なのである。
 私なりの言い方をすれば、マンガの絵の“時間”の豊かさは、いわゆる絵のうまさとは別の要素が大きい。まして、コマの“時間”との一致やズレを組み立てる感性は、鄭問のような才能をもってしても一朝には越えられない文化的蓄積なのだろうと思う。あるいは日本語の構造(漢字+ひらがなの二重性など)からくる発想のちがいも背景に横たわっているかもしれない。
 おそらく、このあたりが“日本のマンガの特異性”をとく鍵になるところだろう。
(出版ダイジェスト93年3月31日号に大幅加筆)

註:青木雄二は、ビッグコミック増刊ナンセンス特集72年5月1日号に、青木ゆうじの名で『屋台』という作品を発表している。建設業エリートから脱サラして屋台をひく男を描いた“社会派”作品で、ビッグコミック賞佳作入選作とある。が、その後長いブランクがあったようだ。