| 今思えばつまらないことにエネルギーを灌いでしまったものだ。福祉事務所内のある事業の立ち上げを巡って、せきなをめは日ごろから折り合いが悪かった係長と、ついに大喧嘩をしてしまったのである。
「……そんなに熱くなるなよ」
「だったら私は福祉事務所を辞めます!!」
そう口に出して言ってしまった瞬間から、突然なをめの頭の中に、今まで思ってもいなかった考えが出現した。そうだ、辞めよう。辞めてどこへ?そう「保健所」へ行こう!
「大学病院の小児外科の助手」という安定した仕事がすでに決まっていた1998年12月、東京のとある区の福祉事務所から「これはヘッドハンティングなんですけど」という一本の電話を受け取ってしまったがために、なをめの激動の人生が始まった。小児外科医としてのキャリアを諦めること、医者仲間からからかわれること、給料が半分近くに下がること、全て了解して、「保健所」なんかではなく、「日本で唯一つしかない、福祉事務所の係長級医師のポジション」という歌い文句に惹かれ、地方行政に飛び込んだ末が、この有様である。これが熱くならずにいられますか!!
「保健所」は、なをめにとって、はっきりいって何をやっているかよくわからない、「地域保健法」という法律で守られた、つまらない事業をこなしているサイテーの組織であった。医学生の頃から冴えない保健所実習に飽き飽きし、たまたま入ってしまった地域医療のクラブ活動の最中にも、地方の保健センターの保健師とのもめごとがよくあり、とにかくなをめの「保健所」に対する印象は大変悪かった。とはいえ医師職の異動先は限られている。喧嘩をしてしまったものの、やり残していることはまだまだたくさんある。この区に残るのだったら異動先は保健所しかない。
福祉事務所と同様に、東京都23区には、区ごとに1ヶ所ずつ保健所がある。なをめの区にも当然立派な建物の保健所があったが、いつも福祉事務所と折り合いが悪く、なをめは8月に保健所長室に乗り込み、
「保健所なんかなくなればいい、他の課の人はみんなそう思ってますよ、所長も早く異動した方がいい」
とけんかを売っていたばかりだったのに、困った末に泣きついたのは保健所長、その人であった。人生は何が起こるか分らない。
「先生、だったら私の保健所にいらっしゃいよ、今ならいい職員がたくさんいるわよ。将来国際保健協力の分野で仕事をしたいのだったら、日本の保健所で経験を積むことは必要でしょう。福祉部長も、関さんのように福祉を学んだ人が保健所で活躍するのはいいことだと、いつも話してたのよ」
確かにこれから先、本当に「公衆衛生」という分野で仕事を続けるのだったら、一度自分の国の保健所で働いてみることは、不可欠な経験である。今度は保健行政の王道に立ち返って、「地域保健法」の中に巻き込まれてみるのもいいかもしれない。そして本当に日本にとって保健所が必要なのか考えてみればいい。多分、私はずっとこんなだから、どこへ行っても私がしっくり来て、安住の地と思える場所はないだろう。そうならばどこへ行っても同じだ。
福祉事務所の仕事は忙しかったから、そろそろ暇を謳歌しに、保健所に行ってみるのもいいかも……。そんな考えが、「全くもって甘い」ということに、2002年4月、気がついたときにはもう遅かったのである……。
なをめの異動希望はちょうど保健所の係長級医師の異動時期と重なって、内々にあっという間に承認されてしまった。そして人事異動の発表は3月末にあった。福祉事務所から保健所への異動が正式に決まり、皆が意外な結末に驚く中、なをめの一番の懸案事項は、「どうやって暇を潰すか」であった。暇に任せてまた困っている人にちょっかいを出し、くだらないトラブルに巻き込まれてしまうんではないかと心配になったのである。心配のあまり、再びカウンセリングに行って相談してしまったくらいだ。そして異動の話をするたび、冗談がてら、
「保健所に行ったら弁当でも作ろうかと思っているんですよー」
「またまたー、そんなこと言っていると雨が降るからよしてくださいよ」
なんて会話をしていたのである。それくらい、なをめのイメージしている「保健所」とは「暇で暇で仕方ない所」だった。
ところが、である。初日は挨拶回りなどで仕事らしい仕事もせずに過ぎていったのだが、その翌日、朝の業務連絡会にわけも分からず参加した後、課長と前任者から業務の説明を受けているうちに12時の鐘がなり、二人はさっさとなをめを残して食事に出かけてしまった。呆然として職員の流れを見守っていたが、他の人々も忽然と姿を消してしまった。そしてなをめの机の上には未だ印鑑を待っている山のような謎の書類がある。どうしたものかとうろたえている間に、出て行った職員がわらわらと戻ってきた。そして1時の鐘とともに仕事を再開始したのである。あっという間に1時間の昼休みは終わってしまった。
福祉事務所では家庭訪問が中心だったので、職員が時間通りに休憩を取れることはあまりなかったし、事務所の奥にあった席でなをめはしょっちゅう時間を気にせず机で菓子パンを噛っていた。ところがここでは鐘がなってしまった以上、昼ご飯を食べる場所と時間がない!何しろせきなをめの席は課長の目の前で、相談窓口からも丸見えなのだ。せきなをめは想像を絶するこの状況に面食らった。
とにかく何か食べないことには仕方がないので、周囲の職員に「ちょっとそこまで出かけて来ます」と頭を下げながら、走って保健所の目の前にあるコンビニエンスストアーでバームクーヘンを買って来た。周囲を見回すと、窓際の保健師席が空いていたのでそこを占領し、外科医時代のように30秒の早食いをした。そんななをめの様子を見ていた栄養士が心配して、お茶を入れてくれたのだが、そうこうしている間にも電話相談はかかってくるし、ちっとも落ち着かない。これが保健所というものなのか??
次の日も、その次の日も、状況は同じだった。保健師はいつも忙しそうで相手にしてくれないし、事務職員は同じ職種同士でくっついている。区役所の時のように、いろいろな職種と連れ立って食事に行く、という雰囲気ではないし、保健所のある駅前の、雑然とした繁華街のどこに一人で行けそうなお店がどこにあるのか、さっぱり分からなかった。これでは本当に体が持たないではないか。
そこでとうとうなをめは意を決して、東急ハンズに行き、はじめて「お弁当箱」なるものを買った。冗談が冗談ではなくなってしまったのである。しかも選んだのは、普段の精神状態だったら絶対選ばないような、一番派手なオレンジ色だった。たかが昼ごはんごときに、それぐらい追い詰められていたのである。
なをめは早速準備を開始した。まずはご飯をまとめ炊きして小分けにした後、冷凍した。おかずになりそうな冷凍食品をスーパーで買い揃えた。面倒くさくなったらおにぎりに出来るよう、梅干と海苔も必需品である。毎食いろいろな方法で使えるような野菜もまとめ買いしておくのも忘れてはならない。かくして、朝ご飯を解凍し、おかずをオーブントースターで焼き、野菜を刻んでせっせと詰めるという毎日が始まったのである。
子どもやだんなのためではなく、まさか自分のために弁当作りに勤しむとは夢にも思っていなかった。しかし心は外科医のままのなをめは、基本的に手を動かすことが好きだったので、この生活は気分転換にもなって、予想外に楽しかった。そしてちゃんと買い物をしておけば、毎日バランスの取れた食事が取れる。なんて健康的なのだ。正に「国民の健康を守る公衆衛生医」の鏡のようだ。
保健所には多くはないが、何人か弁当派の職員がいた。そんな人たちといっしょにお弁当箱を洗っていると、不思議と話が弾んだりして、それはそれで新しい出会いの場にもなった。しかしながらなをめが流しに乱入した当初、保守的な彼らは驚きが隠せなかったようだ。つまりなをめの普段のがさつで男らしい行動パターンから、「料理をして、しかも弁当まで作る」というイメージはどうしても受け入れがたかったのである。
「何を言っているのだ、外科医にとって料理なんて手術と同じ、作業なんだから得意なのだ」
「困ったなあ、明日は子どもの遠足だから雨を降らすのはよしてくださいよ」
そんな会話が続くこのごろである。
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