アイルランドから帰国してすぐ、妖精に手紙を書いた。
妖精さま
その節はお世話になりました
木の実のパンおいしく、ギネスも格別でありました
作ってこそうたってこそ、の、わたしでありますから
お会いできましたご縁は今後一生たいせつにしていきたいと思います
覚和歌子拝
書きながら私はどこかでまだ、「本番前に噛むとアガらない木の根っこ」をあきらめきれないのかもしれないと思った。
追伸、として、メールアドレスを添えて出したら案の定、すぐに通信があった。
覚和歌子さんへ
和歌子さん紹介するべきようせい仲間が日本にいるですよ
その者は、谷川俊タ郎という名前をもっています
告げておくから遭いなさいね
和歌子と気が合う きっと合います と思います
ついでだが彼は三回りこんしています
ようせいのくせに人間と けこんなんかするからだめ
ははは
ではさようなら
ようせい
日本語変換ソフトを使用しているのはさておき、妖精の日本語は、会話力の方が作文力よりも勝れているようだった。
それにしても「谷川俊タ郎」とは、まさかあの国民詩人谷川俊太郎のことではあるまい。谷川俊太郎ならば通常の人間であって妖精であるとは聞いたことがない。
そして国民詩人はいみじくも、私にとって特別なひとなのだった。
出会いは、何十年も前の冬、成人の日の午後にさかのぼる。
そのころ私は自意識過剰な中学生で、鬱々としながらその鬱々に向き合わないように大声で笑うことで何とかごまかしたりする毎日を送っていた。その祝日はたまたま一人で家にいたために、誰かと気を紛らすこともできないで、自分の鬱々に押しつぶされそうになっていたと記憶する。
その日、「青年の主張」というテレビ番組のなかで、国民詩人は詩を朗読していた。はたちになった若者たちに向けた詩だった。
短い詩だったけれど、それはしんと満ちていた。上品だった。沈着だった。深遠で余裕があった。私に元気が出るような感じがした。嘘だ。ほんとうは何だかわからなかった。わからないのに、詩の朗読はいい、そう思った。明くる日また学校に行かなくてはならない祝日の昼下がり、それを観ている間だけは暗澹とうんざり感が混じった気持ちを脇に置かせたほどに。
それまで徳川家康や夏目漱石などと同じく、教科書のなかの人物にすぎなかった国民詩人が、その日をさかいに作品こみで私のイデアになり、テレビや新聞で顔を見るたび私は甘やかな物くるおしい気持ちをかみしめることになった。挙げ句今、私は詩を書き朗読しているのだからもうどうしようもない。
あのときの気持ちにはちっとも変化がなく、ここに至って名前を聞くたび、さらに甘やかにものくるおしい。仕事をしながら、できるだけ漢字をひらいた言葉を選んでしまうのは影響かしらねなどとひとり合点したりしている。
そういう相手に、告げておくからあいなさいね、と言われても困る。困るでしょう。
ふた月ほどが過ぎた。
コマツ市のサカキバラさんという女性からメールが届いたのは、その頃である。ALSという難病を抱える人たちを支援する活動をしていて、今年の末に「いつも何度でも」を歌う木村弓さんにコンサートをお願いしたいのだがどこに話をしたらいいのかわからない、インターネットで調べるうちに私のHPにたどりついた、そんなことだった。
メールにはまた、「HPで覚さんが谷川俊太郎さんがお好きと知り、そういった意味でもこのメールを書いています」ともあった。
確かに私のHPにはそういう記述がある。「谷川俊太郎/夫が死んだら結婚したいひと」とか書いてある。悪いか。だが、そういった意味とはどういった意味のことなのか。
とにかくサカキバラさんに連絡をつけてみることにした。
コンサートは、第一回目に依頼を快諾してくれた谷川俊太郎朗読ライブを中心に、ここのところ毎年行なわれているものだとのことだった。
サカキバラさんは言った。
予算さえあれば、覚さんにも出演していただきたいところなんですけれど。
やられた。と思うより早く、
お金はいらないです、出演させてください。
気がつくと、私の口が勝手にそう動いていた。
妖精はこのようにして人心を操るものであったか。しかも遠隔操作で。
サカキバラさんは、きゃーほんとうですかーありがとうございますうう、と言って電話を切った。
胸がどきどきして、三分後にはなぜだか物凄く後悔していた。
次の出来事はそれから一週間後だった。
写真家のイズミヤさんから唐突に、来週戸隠に行きませんかと誘われた。
何かあるんですか、と私は訊いた。
朗読会、谷川俊太郎の。と、イズミヤさんは言った。
え。あ。そのまま私は絶句した。
あれ?だめなの?好きだったでしょ、谷川さん。谷川俊太郎だよ。
何も知らないイズミヤさんは、何度も何度も私のイデアの名前をくりかえす。
妖精の、これまた周到なやりようである。
い、行きます。やっと私は答えた。イズミヤさんは重ねて言う。
主催者がぼくの知り合いだから、行ったら谷川さんに覚さんあいさつできるよ。よかったじゃん。
私はもう、へへへ、と笑うしかなかったが、膝がこまかくふるえていた。
「来週」はすぐにやってきた。
3日の間に2回も美容院に行って髪を切り、新しいシャツとアイシャドウを買い、死ぬほど悩んだ挙げ句結局それらを身につけるのをよしにして、やっぱり平常心がいちばんよね、などとひとりごちつつ、翌日の慣れない早起きに備えてふとんに入った。しばらくたってまじまじと思い出したのは、自分のHP中の記述である。
「谷川俊太郎/夫が死んだら結婚したいひと」
これは、いけない。初めましてのあいさつをして、名刺を渡したらそこに書いてあるHPアドレスから私のHPに訪問されるかもしれない。初対面で、結婚したいとは烈しいにもほどがある。削除しなければ。
ごそごそとふとんを這い出して、件の項目をめでたく処置し、万全の気持ちで眠りに就いた。
翌日の午後二時、無事に戸隠に到着した。
イデア谷川俊太郎は、リハーサル中の会場の奥から現われ、にこやかに、ああいらっしゃいサカキバラさんから聞いてます、と言った。またまた、妖精からのくせして、と心中毒づく一方で、それがずっと耳の中で鳴りつづけていたまぎれもない谷川俊太郎の声であることに私は気が遠くなりかける。向かい合っている少しくぼんだ瞳の光の強さにあとずりしそうになる。
にもかかわらず私は、一生分の集中力を使いきる思いで「縁あって年末に共演することになった単なる同業者(少し後輩しかも憧れを抱いてはいる)」の芝居をし、できるだけ丁寧に平然とごあいさつをした。いや本当はよくおぼえていない。本番後にあとでまた来ます、とお辞儀をして歩き出すと、足がよろよろともつれたことだけが事実である。
本番開始までの2時間を、イズミヤさんと戸隠神社の奥社に詣でた。
取り乱す心が沈静するように、神頼みとはこのことで、
こうなると妖精への思いも、感謝とも恨みともつかない複雑さである。
信州の秋の午後三時は、心細いほどひんやりしていた。自分の内のエネルギーの暴走を止めるすべを持たない私は、もう先刻以上の出来事は起こらなくていいなどと考えながら、左右の杉の大木に導かれるように、真っすぐな参道を1キロほども歩いたろうか。
本殿に着き、ありてあることのお礼を言い、帰ろうと歩きかけると、待たれよ、と声をかけられた。
振り返ると誰もいない。
歩き出すとまた、聞こえた。
悩ましきは悩ましきは小我の小我のゆえゆえゆえなりなりなりなり
声はこだまして本殿の奥からのようにも、梢のてっぺんからのようにも聞こえる。
イズミヤさんはもう参道の見えないくらいずっと先を歩いている。走りだすとまた、聞こえた。
叩けよ叩けよさらばさらば開かれ開かれんれんれんれん
叩きに来たんだからいいじゃん、もー。
参道の鳥居に向かって走りながら、私は追いかけてくる声を焦れながら背中で聞いていた。妖精はしつこい、とつくづく思った。
冷えた身体で逃げ込むように会場に戻り、谷川さんの朗読を聞いた。決して激しない声の響きは、濃い闇に耳を澄ますようで、終わる頃には、どんどん深くなる外の本物の闇と境目がわからなくなってしまうようだった。
終演後、楽屋を訪ねた私に谷川さんは、ああ、ありがとう。と言ってから、あわただしく、あれどうする?と年末コンサートの共演について訊いてきた。業務連絡である。
よろしければ東京に帰ってからリハーサルに伺いますけど。私がおどおど答える間にも楽屋への訪問者はひきもきらず、谷川さんはその一人一人と言葉を交わしている。
うーん。えと何だっけ、ああぼく、いつもほとんど即興だからリハーサルいらないな。
お忙しそうですよね。
まあねえ。ああ、どうもどうもこんばんは、お久しぶり。
谷川さんの一挙手一投足に、私の心はろうそくの火のようにふるえる。同意されないと嫌われているのかと思われ、目を逸らされるといてはいけないのかもと考えてしまう。
共演する詩編の選択を任され、それでは、と私はいとまを告げ名刺をお渡しした。
名刺に書かれたアドレスに目を落とした谷川さんは、顔を上げ唐突に早口で言った。
あなたのHP、観た。
たたみかけるように谷川さんは続けた。ずいぶんとラディカルなこと書いてあったねえ。
さらに、困ったような、笑っているような顔で言う。
ぼくさあ、あのことみんなに言いふらしちゃった。
谷川さんを見る自分の目がこじあけられるように大きくなっていくのがわかる。全身から血の気が引いていく。あのこと。昨夜削除したあのこと以外に何があるのだ。すべてが手遅れだったと思ったとたん、ぴきっ。と、私の耳のそばで音がした。世界にひびの入る音だった。
あの。
残った気力をかき集めて、それでも私は最後に確かめたいことがあった。
谷川さんは、妖精でしたか。
一瞬の間があって、谷川さんのくちびるが動いた気がした。そのとき開いているドアから、いやはやこれはこれはどうもどうもという声がなだれこんできて、あっという間に谷川さんは奪われていった。
もう一度、丁寧にお辞儀をして、私は楽屋を後にした。
戸隠の秋の夜空は満天の星明かりだった。
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