永倉万治の『大青春。 明日はこう生きよう』(主婦の友社、1996年刊/のち幻冬舎文庫)のなかに「練習について 不可能を可能にする」という一文がある。
著者は、居酒屋で女子大生にむけてこんなセリフを語る。
〈私が脳溢血になって二年くらいたった頃のことだ。たまたまテレビドラマで小泉信三の家族の物語をやっていた。たしか山田太一さんの作品だと思う。その中にこの言葉が出てきた。“練習とは不可能を可能にする”。小泉信三が息子にあてた言葉だ。なんの変哲もない言葉だけど、私は思わず“これだ”といっていた。恐らく健康だったら、ハイ、ごもっともで終わっただろうな。あの時私は大病をして体が不自由になり、クサっていた。急に歩けなくなったり、言葉が喋れなくなれば、誰だってクサるよ。その時、この言葉が目に飛び込んできた。“練習は不可能を可能にする”。宝石のようだった。その時から私は、練習の人になると自ら決めたのだ。何でも練習すれば必ずうまくなる。できなかったら人の倍やればいい。練習すればできる。そう暗示をかけた〉
永倉万治は、一九八九年三月、JR中央線四ツ谷駅のホームにて脳溢血で倒れた。40歳のときだ。
若いころはレスリングの選手でからだは丈夫だと思いこんでいた。ところが、突然、右半身がマヒし、失語症になり、歩くことも、走ることも、喋ることも、書くこともできなくなってしまったのだ。
それが一年後には小説が書けるまでに回復する(後に奥さんがかなり手伝っていたことが判明するのだが……)。
そして『大青春。』の「習慣について 大いなる無為」では、
〈誰がいったか忘れたが、人間、三十過ぎたら習慣しか残らないという〉
と、のべている。
誰の言葉なのか気になるがわからない。ただ、古代ギリシアに「習慣は第二の天性なり」ということわざがある。「狂ったソクラテス」の異名をもち、数々の奇行で知られるディオゲネスのことばだそうだ。
それはさておき、このすこしあとにつづく、永倉万治の文章を紹介したい。
〈時間を守りたいと常々思っている。時間を守れば、一日が規則正しく、てきぱきとリズミカルに過ぎていくだろう。
ところが、実際は、なんだかわからないうちに時間がたってしまい、気がついてみると一時間も遅刻している。しかも弁解するのに嘘八百を並べ立てている。
もはや習慣が悪いのだと思うしかない。
良い習慣。
この言葉に憧れる〉
練習、練習、よい習慣。気がつくと、そうつぶやいている。
育ちのいい人は、きっと良い習慣が自然と身についているようにおもう。
私は長屋に生まれ育ち、両親もまた貧乏な家の生まれだった。
生まれ育ちは変えられないが、習慣は変えられる。そのために必要なものは、変えようとおもう意志(気合)だけだ。
でも悪い習慣を身につけてしまった人は、意志も弱い。意志が弱いから、努力が続かない。練習もしない。
つまり、よい習慣が身につかない。
明日から生まれかわろう。その明日が明後日になり、キリがわるいから来月から、来年からとひきのばしてしまう。
人生、努力の報われないことはいくらでもある。それはたいてい努力が足りないからなのだが、あきらかに無駄な努力というものもある。
練習はどうか?
結果だけを求めれば、練習しても負けることはある。勝負の世界は勝者がいれば、かならず敗者もいる。
でも練習すれば、練習しないよりはうまくなる。うまくなることはたのしい。練習なら、失敗をおそれる必要もない。
かくして私も、“練習の人”になろうと決めた。できないとおもったら、とりあえず、練習してみる。はじめのうちはギクシャクする。やっぱり向いていないとおもう。もっと練習する。練習の仕方をかんがえたり、うまくいっている人の観察する。とにかく、いろいろなやり方を試してみる。
もうひとつ大切なことがある。
指針、あるいは目標だ。
永倉万治のエッセイのおもしろさは、自己啓発書や経営の本に書いてあるようなことが、文学の装いをまとって物語や会話の中に溶け込んでいたりするところかもしれない。自己啓発書に抵抗感をもっているような、書店のビジネス書のコーナーを避けてしまうようなタイプの人間にも届く言葉で、その趣旨が書かれている。
私の好きな遠藤周作や山口瞳のエッセイにもそういうところがある。
永倉万治はこうもいっている。
〈私は、いつも正しい方が好きだ。不潔なこと、卑怯なこと、後ろめたいこと、いやしいこと、その全部が嫌いだ!
問題なのは、いつの間にか嫌いなことばかりしていることだ。
なぜ、そうなるのか?
不道徳で、怠惰で、不健康な習慣ほど身につきやすいのはどうしてだろう。
悪い習慣はなるべくつけないにこしたことはないが、まったくないのがいいのか。
それはまた別の問題だ。
世界は広い。
人間の幅は良い習慣ばかりでは生まれない。絶対そうだ〉(習慣について)
人間の幅を広げたい。寛容な人になりたい。
規則正しい生活を送っている健康な人でも、そうでない人にたいして不寛容であれば、人間の幅がせまいということになる。
ひたすら前向きなメッセージを私のからだは受けつけない。
それだけだと世界はとても窮屈なものになる。
永倉万治は一九八〇年代、『ホットドッグプレス』にコラムを連載していた。私の同世代の男子にすくなからぬ影響を与えたライターである。私はリアルタイムではまったく読んでいなかった。
惜しいことをしたとおもっている。
二〇〇〇年十月五日、五十二歳で永眠−−。
『大青春。』のおわりのほうに、〈若ければ、それだけ持ち時間が多いということだ。何度でもやり直しがきく〉ということばが出てくる。
ただしいつのころからか「持ち時間」が「残り時間」にかわる。
三十歳すぎたころから、人生の残り時間ということをかんがえるようになった。
「このままぱっとしないで……」というおもいがしょっちゅう頭をかすめるようになった。いかん、いかん。「今さら」とか「もう手おくれ」というかんがえをふりはらいつつ、なんとかもうすこしマシな人生をおくれるように気持の立て直しをはかる。
今もそのくりかえしだ。
それが習慣になっている。 |