安藤忠雄の教会

 あまり知られていないことだが、日本の建築界のみならず広く世界からも注目されるトップアーキテクト、安藤忠雄の作品にも結婚式教会がある。例えば、風の教会(1986)と水の教会(1989)だ。いずれも劇的なアプローチが演出されている。
 風の教会(六甲の教会)は、神戸の六甲山の頂近く、大阪湾を一望できる緑豊かな斜面に位置する。鐘楼のついたコンクリート打放しの礼拝堂は、そこへアプローチするためのガラスの筒のようなコロネードとともに設計された。コンクリートで構成されたフレームには、スリガラスが嵌め込まれ、それを透過した柔らかな光に包まれながら、礼拝堂へと誘われる。ちなみに、「風の教会」という名称は、快い風がガラスの筒を通り抜けることに由来している。礼拝堂は、光のコロネードを介して、さらに反転した先にある。鉄の扉を開くと、コンクリートを穿つ細いスリット、片側に展開する大きなガラスの開口、それを切りとる十字のスチール・フレームが織りなす、光と影に彩られた礼拝堂が待つ。安藤は、モダニズム的な手法を生かしながら、聖なる空間を現出させた。おそらく建築雑誌や作品集を見ても、それが結婚式教会であることはわからない。筆者も、学生時代に現場を訪れ、初めてホテルに付属する教会だと知った。
 水の教会は、北海道の夕張山脈の北東にある平野に位置する。付近を野生の樹木に囲われ、緑豊かな環境に恵まれたロケーションに、コンクリートの幾何学が立ち上がる。教会は、大小ふたつの正方形が重なり合うプランをもち、それをL字型の自立するコンクリートの壁が囲む。ポイントは、90×45mの大きな人工湖を建物に面してつくったこと。L字型の壁に沿って教会に向かうときは見えないが、端部に到達してまわりこむと、水面ごしにコンクリートの教会が視界に入る。建物の導入部では、上部のガラスフレームに十字架があり、それを通して自然の風景を眺める。礼拝堂に入ると、ガラス越しに湖の中にたつ十字架と厳かに対峙する。当初は、海辺の教会が構想されていたことから、ここでは人工湖をつくることになったらしい。自然と一体化する聖なる空間。屋外の十字架と幾何学的なフレーミングが印象的なデザインは、北欧の近代建築家グンナール・アスプルンドの名作、森の葬祭場を連想させるだろう。
 ほぼ同時期に、安藤はもうひとつの教会を設計した。中期の代表作となった光の教会(1989)である。ここではコンクリートの壁に十字のスリットを入れることで、光の十字架を出現させた。光の教会は、信者が集う本物の教会である。結婚式のためにつくられた風の教会や水の教会と決定的に違う。だが、構成や素材など、デザイン的な視点から見ると、いずれも共通した手法である。例えば、動線について言えば、目的の空間に到達するまでに、いったん方向を切り換えることを余儀なくされ、その先に劇的な演出効果を施された礼拝堂が出迎える。素材も、安藤建築を示すコンクリート打放しのボックスと、それを枠どるスチールのフレームを使う。実際、彼は建築雑誌への寄稿文において、本当の教会と結婚式教会のあいだの差に言及することなく、同じように「聖なる空間」を追求したことが語られている(『新建築』1989年4月号)。言い換えれば、結婚式教会に対しても、大衆性に迎合せず、本気でとり組んでいるのだ。

眺めのいい教会

 「結婚式教会」というビルディングタイプは、結婚産業によって建てられた奇妙な洋風建築だけではない。著名な建築家によってデザインされた美しい作品も存在する。いや、ポジティヴに考えれば、日常性にとらわれない空間を設計する貴重なチャンスといえるだろう。もっとも、筆者の知るかぎり、建築家による結婚式神社や結婚式寺院の「作品」はない。やはり、絶対数が少ないからだろう。そこで今回は、建築家による結婚式教会を対象として考察を加えてみたい。
 例えば、アーキテクトファイブによる、北海道のザ・ウィンザーホテル洞爺チャペル「G−CLEF」(2003)は、独特の形態をもつ。ここではリゾートホテル再生のプログラムの目玉として、チャペルの新築が組み込まれた。既存のザ・ウィンザーホテル洞爺のエントランスの前面に配置されたために、厳かな雰囲気ではなく、軽やかで洗練されたデザインが志向された。「G-CLEF」とは、ト音記号を意味するが、平面もその形態をなぞり、曲面の壁がうずを巻く。設計者によれば、「「ウィンター・ウエディングで雪に映える特徴あるチャペルを」というクライアントの要望と海を見渡す眺望を生かすこと」を考えたという(『新建築』2003年4月号)。つまり、既存の様式建築ではなく、個性的な外観が求められている。またチャペルは、洞爺湖と内浦湾を一望する見晴らしの良い場所にセッティングされた。そして外壁の切り込みから自然の風景をとり込み、屋外の十字架と向きあう。端部の控室も、ガラス張りである。
 幾つか見ていくと、やはりアトリエ系の建築家の作品は、マリエールや出雲殿といった結婚式業界の所有するゴシックの大聖堂を模倣したような形態とかけ離れたデザインになっている。また周囲の風景が良好であるものが少なくない。すなわち、独特なロケーションで、それを生かすタイプの教会だ。ゴシックや古典主義だと、外部に対して閉じてしまう。都市部や郊外の劣悪な環境ならば、そのほうがいいかもしれない。
 しかし、恵まれた環境ならば、建築家の創意により、自然と一体化する新しい空間が必要となる。実際、本物の教会が礼拝のための集会を目的とするならば、むやみに開口が多いと気が散るだろう。西洋の教会建築史を振り返っても、外光を導入する工夫はしてきたが、室内から外の風景を見ることは想定されていない。しかし、結婚式教会ならば、特別の瞬間に、美しい自然に溶け込む思い出の方が重視されるのではないか。前述した安藤の3つの教会も、よく似ているようだが、光の教会だけが開口を減らし、壁に囲まれた部分が多い。
 華奢なデザインで知られる建築家、池原義郎の大磯プリンスホテル・シーサイドチャペル(2000)も、海側が全面的にガラス張りである。美しい風景だが、おそらく本物の教会だとしたら、礼拝に集中できず、実用的ではない。このプロジェクトでは、既存のチャペルがホテルの奥まったところにあり、「海に開かれた景観を積極的に取り入れた、新しいスタイルのチャペルが望まれた」という(『新建築』2001年12月号)。
 おしゃれ外国人建築家のユニット、クライン・ダイサム・アーキテクトによるリゾナーレ・ガーデンチャペル(2004)は、壁が動き、眺めを演出する究極の教会建築だ。南アルプスや八ヶ岳に囲まれた景勝地として知られる山梨県の小淵沢にあるリゾートホテル「リゾナーレ」の一角に計画され、その造形は二枚の重なりあう葉をイメージしている。最大の特徴は、挙式のクライマックスにおいて新郎と新婦が誓いの口づけを交わすとき、ベールをたくし上げる様子とリンクさせて、わん曲した鉄の壁が上昇し、庭と池の景色が目の前に展開すること。ベールの見立ては、鉄板に約4700個の穴があき、繊細なレース・パターンのようになっていることからもうかがえる。逆に夜は、内部から光が漏れて、チャペル全体が大きなランタンのように見える。式の終わりに鉄のベールが上がると、外部の自然が視界に入り、列席者を外に導く。まるで二人の新たなる旅路を祝するかのように。庭側から見れば、大きな貝殻から現われたヴィーナス誕生のシーンのようだ。そして池の上の飛び石を渡って、芝生に向かう。
 クライン・ダイサム・アーキテクツらしい遊び心のあるデザインだ。リゾナーレ・ガーデンチャペルのランドスケープは、品川セントラルガーデンなどを手がけたオンサイト計画設計事務所が担当している。神聖な領域をつくるべく、既存の建築を見えないようにしつつ、庭とのつながりに配慮したという。またクライン・ダイサム・アーキテクツは、外観や演出だけではなく、白いウエディング・ドレスが映えることも意図している。以下に、その説明を引用しよう。「チャペル内部は挙式の白く明るい純粋性がより引き出されるように、その意匠は、黒く塗装されたスギ板の壁や黒御影石の床やアクリルの背もたれの黒い長椅子など、暗めな色調で抑えている」(『新建築』2004年6月号)。結婚式教会は、ウエディング・ドレスのための舞台なのだ。

結婚式教会への苦言

 一方で、そのような自由なデザイン思考が敬虔なクリスチャンから称揚されていないのも事実だ。多くの教会建築を手がける建築家、香山壽夫は、本人もクリスチャンなのだが、自作の教会建築と結婚式教会を対比させながら、信仰心のない奔放なデザインの建築やその設計態度に苦言を呈している。「今日のキリスト教会堂について」(『新建築』1997年2月号)において、彼は「教会堂をもたない教会はあっても、信徒の集団を持っていない教会堂はありえない」という。それは美術品を展示しない建物を美術館と呼ぶに等しい。「教会堂を論じるのに、このようなあたりまえのことから始めなければならないのは、今日の日本の社会では、こうした虚言が堂々とまかり通っているからである」。これはハコさえあれば、それで良いという形式主義への批判として興味深い。オウム真理教のサティアンをめぐる言説に触れたときに筆者も強く感じたのだが、日本では、建築がなくとも、宗教が成立しうるということが、しばしば忘れられているように思う。
 香山は、次のようなエピソードを紹介する。ある有名な「教会建築」を見にきたアメリカ人建築家が、「それがホテルに付属した結婚式場であることを知って驚いて帰った」。そして「宗教が単なる結婚の風俗となっていることに、すっかり頭が混乱してしまった」という。実際、建築雑誌のインデックスを調べても、「教会」や「チャペル」という項目はあっても、それが結婚式専用かどうかを厳密には分けていない。彼は、本当の教会堂までが自由な形の遊びを楽しむ傾向にあることに批判の矛先を向けているが、その貶められた教会建築の底辺に結婚式教会を位置づけていることは疑いようもない。なるほど、十字架の装飾をつけた「ウエディングホール」を「教会」と称していることは珍しくない。敬虔なクリスチャンである香山にとっては嘆かわしいだろう。
 真の教会は、共同体の総意として存在する。一方、イメージの消費者のために、結婚式教会は存在する。だが、本連載では、後者を宗教への冒涜として断罪することを目的としない。少なくとも、建築的には、眺めのいい教会という形式を独特に発展させている。むしろ、そうした状況を通して、「日本」の「建築」を観察することに意味があるのではないかと考えているからだ。


五十嵐太郎 1967年パリ生まれ。建築史・建築批評家。東北大学助教授。東京芸術大学、横浜国立大学、中部大学、非常勤講師。著書に『終わりの建築/始まりの建築』『新宗教と巨大建築』『戦争と建築』『読んで旅する世界の名建築』『過防備都市』ほか。

村瀬良太 1977年鹿児島生まれ。中部大大学院卒。バンタンキャリアスクールで非常勤講師。著書に『建築MAP 東京2』(共著)がある。

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