恋の相性を占ってくれるところは掃いて捨てるほどあるけど、だれも私にぴったりの相性の街を占ってはくれません。以前から不思議に思っていたことです。人間同士にも相性があるように、人と街にも相性があります。たとえば私は東京で大学に通い、会社で働いていましたが、私と東京の相性はあまりよくありませんでした。でもどこがいいかはだれも教えてくれませんでした。だから自分で探すしかありませんでした。それで私は世界七六ヶ国に行きました。
ことあるごとに街選びの話をいろんな人にしましたが、だれもあまり興味を持ってくれませんでした。日本人は恋人選びは時間をかけてしますが、街選びはあまり熱心にしない気がします。私にとって街選びはマイホームを買うくらい慎重に品定めして決めるものです。だからいろんな街に到着したときから、雰囲気はどうか、治安や物価や人々や言葉や考えかたはもとより、気温や湿度はどんな感じだろうと細かくシビアにチェックし、なにより私との相性を判断していました。ここに住むということを想像しながら旅をしていると、私が日頃の生活でなにを大切にしているかがとてもよく見えてきました。そしてやっと私にぴったりな相性の街をみつけました。それはオランダのアムステルダムでした。三年前からアムステルダムに住み始め、今も住んでいます。
私はアムステルダムで写真家をしています。写真家になろうと決めたのは、初めての海外旅行から帰ってきた直後でした。父から借りた安いカメラでネパールの町をフィルム数本分撮影しました。帰国後に最後にカメラに入れたフィルムをまだ使い切ってないことに気づき、もったいないので東京の自宅の周りを散歩しながら撮影しました。東京を撮影したのはその時がはじめてだったような気がします。
後日現像されたプリントを店で受け取り、家に帰る道すがら写真を見ていたときのことです。はじめてにしてはとてもよく撮れたと満足していたら、袋からプリントをバサーっと落としてしまい、道の上にネパールの写真と東京の写真がぐちゃぐちゃに混ざって散らばってしまいました。
それを見た瞬間に写真家になることを決めました。なぜかわかりませんでしたが、これは素晴らしい発見だという確信がありました。それ以来、色んな街の写真を組み合わせて作品にしています。どれもこれも自分がこの街に住むかもしれないと思いつつ撮ったものです。
自分以外の人も同じ経験をしているのか確かめたことがないのですが、私は小さい頃からある不思議な体験をしてきました。すっかり忘れていたどこかの風景が目の前に唐突に現れることがよくあるのです。たとえば、東京で自動販売機から缶コーヒーを取り出している時、岡山にある実家の台所から見える古墳に立つ大木の輪郭が視界をよぎっていったりします。この現象にどういう意味があるのかわかりません。でも、私はいつでもその瞬間をとても楽しんできました。目の前をよぎる風景が、その瞬間の私にまさに必要な風景だったりするからです。私にとってそれはコーヒーの甘みが足りないと感じたときに現れる砂糖のようなものです。現実に見えている風景とその風景は私の中で溶け合い、忙しい日常の中で全く余裕のない私をいつもどこか遠くに連れて行ってくれました。だから、混ざり合ったネパールと東京の写真を見たとき、この感覚がふいによみがえってきてとても幸せな気持ちになりました。
私は連載の依頼を頂いたとき、あの不思議な体験みたいな文章を書こうと思いました。たとえば東京で小田急線に乗っているときに目の前を通過する住宅地が、ブカレストのバスターミナルの風景につながる、いってみれば「どこでもドア」のような文章です。
ドラえもんの「どこでもドア」はのぞめば火星にも冥王星にもつれていってくれるかもしれませんが、私の「どこでもドア」には限界があって地球からは出られません。でも地球上ならどこでもつながることができるのです。人でごった返した新宿駅を歩いていたら、私は突然ドアでつながってチベットの峠にいました。そこには見渡す限り一家族しか住んでいません。私には彼らがどうやって生計をたてているかわかりません。そもそも生計という言葉を彼らはもたないのかもしれません。でも目をこらすとテントにはパラボラアンテナが立ち、離れたところに発電機があります。新宿駅を歩く人の多くが見たNHKの朝の連続ドラマを、彼らもチベットテントの中で見ているかもしれません。見てないなんて誰が言えるでしょう。
もしかしたら、新宿駅とチベットは「どこでもドア」がなくても最初からつながっていたかもしれません。でも私は新宿駅にいるとき、その可能性についてちっとも考えませんでした。そもそもチベットなんていう単語が頭をよぎることさえありませんでした。目に見えないだけで世界のさまざまな場所はすでにつながっているかもしれないのに、そのことに気づきもせず、あるいは気づいたとしてもすぐに忘れてしまっていたのです。それは私の限界であり、そしてこの文章の出発点です。私は世界のいろいろな街で見つけたつながりを忘れないように、もう一度文章としてつなぎたいと思っています。その文章を読むことで、日常の生活の中で失ったあなたと世界とのつながりを、何度でもあなたの手に取り戻すことができます。世界とのつながりを取り戻すこと、じつはそれが旅なのです。
さあ公園でコーヒーを飲みながら、満員電車の手すりを掴みながら、一緒にいろんな世界の街から街へと旅をしましょう。
*ご愛読いただき、ありがとうございました。本連載は来年、単行本として刊行される予定です。こちらも乞うご期待! |