1.

 私たちは誰でもロールモデルというものを持っている。
 ロールモデルというのは、自己造型してゆくときの「鋳型」である。
 「おれは、持ってないぜ、そんなもの」と反論する人もあるやもしれぬ。
 しかし、その人の場合は「『おれは、持ってないぜ、そんなもの』と反論する人」を、ロールモデルにして自己造型しているのである。
 ロールモデルというのは「私」より次数の一つ高いレヴェルにいる。
 ロールモデルと「私」の関係は、まず「私」がいて、その前にタイプがいくつかあって、その中から「私」の気に入ったものを一つ選んで、「よし、これを私のロールモデルにしよう」と決定した上で成立する、というものではない。だって、ロールモデルを模倣して「私」ははじめて「自己造型」を果たすからである。
 「自己造型する前の私」というのは、「父母未生以前の我」、「象徴界抜きのデカルト的主体」みたいなものである。
 「ロールモデルの選択」にかかわるみぶりそのものを私たちはロールモデルから学ぶ。この順逆の転倒のうちに「おとなへの道」の秘密のほとんど全部が潜んでいる。
 私たちが師から学ぶのは、「師から学ぶ仕方」それ自体である。
 「私」があらかじめ確固としてあって、それが仮面や変装のように、勝手気ままに「ロールモデル」や「師匠」を着たり脱いだりできるのであれば、そのようなものは私の根本的な態度決定や、生き方に寸毫の影響も与えはしないであろう。「自己造型」というのはそんなお気楽なものではない。それは自分で自分の髪の毛をつかんで、宙に浮かせるような仕事である。「私」を宙に吊り上げるはずの「足場」は「私」の足元にはない。「私」の足元に「足場」がない以上、どこか「よそ」から借りてくる他ない。しかし、「よそ」に「足場」を借りに行くためには、「足場」がないとどこにも踏み出すことができない。
 そういうアクロバシーおける「足場」のことを私は「ロールモデル」あるいは「先生」と呼ぶのである。

2.

 師弟関係はそれ以外の情報やスキルの授受関係とある点で決定的に違っている。師弟関係では、情報やスキルではなく、情報やスキルの「習得の仕方」を学ぶことが最優先の課題だからである。
 例えば、自動車教習所での教員と生徒の関係は師弟関係ではない。
 なぜなら、そこで学ぶべきなのは自動車の運転という具体的で限定的なスキルだからである。その教員がどのような仕方で自動車運転技術を彼の「師」から学んだかなどということは誰も問題にしない。教員だって尋ねられたらびっくりするだろう。
 これと反対に、師弟関係では、何よりもまず学ばなければいけないのは、具体的な情報やスキルではなく、師から技芸と知見を継承する「仕方」である。これは「師はその師にどのように仕えたか」を学ぶというかたちで遂行される。
 能楽に『張良』という話がある。
 漢の高祖の臣下が黄石公という武芸の達人から奥義を学ぶ物語である。
 張良はあるとき、馬上の黄石公と行き会う。すると石公はわざと左の沓を落として、「おい、拾ってくれ」と頼む。張良はむっとするのだが、仕方なく沓を拾って履かせる。次に石公に会うと今度は馬上から両足の沓を落として「おい、拾ってくれ」と頼む。さらに「むむ」とする張良だが、その沓を拾ったとたんに武芸の奥義を究め、石公また「秘曲口伝を残さず伝え……」というお話である。
 この物語は伝統的な師弟関係の本質をみごとに活写している。
 張良が石公から学んだのは、「武芸の奥義」ではなく、「武芸の奥義へのアクセスの仕方」である。
 張良が「私は武芸を学びたいのであって、あんたの薄汚い沓なんか、拾うために、ここにいるんじゃないよ」と口を尖らせて抗議したなら、石公は黙って立ち去っただろう。
 もっと分かりやすい例を挙げてみよう。
 TOKIOの『ガチンコ』というヴァラエティ番組で「ガチンコ・ラーメン道場」という企画がある。サノというおやじが若いラーメン職人たちをしごき上げて一人前にする、というなかなか教育的な番組である。
 ここで集められた六人の若者にサノは技術的なことをまったく教えない。ラーメンのスープを徹夜で作らせては「まずい」といってドブに棄てる。そんなことを繰り返しているうちに、若者たちはどんどん混乱してくる。そして苛立った若者が「おっさん、いいから、うまいラーメンの作り方をはやく教えろよ!」と悲鳴に近い言葉をあげると、「おまえにはラーメンを作る資格がない」と背を向けるのである。
 数週間にわたるこの精神的拷問を通じてサノが教えようとしているのは、ただ一つのことである。それは「人にものを学ぶときの基本的なマナー」を知れ、ということである。
 それはまず自分の知っているすべての技術や情報をいったん「リセット」して、師から伝えられることを受け容れることのできる「タブラ・ラサ」の状態になることである。 「白紙」の状態になった人間だけが、その狭隘な枠組みに邪魔されずに師の教えを習得する資格を得る。
 それは、師は弟子からは及びもつかない遥かな境位に位置しており、師から授与されるスキルと情報は「無限」である、という「物語」を受け容れることである。弟子がまず学ばなければいけないのは、師を「知っていると想定された主体」と想定することである。それが「師に仕える」ということである。それさえ正しく学習できれば、スキル的なものは以後ほとんど自動的に、鼻歌まじりに習得されてゆく(張良は沓を拾ったあと謡本にして二行の間に武芸の奥義をことごとく究めてしまう。「ラーメン道場」でも「ガチンコ・ファイトクラブ」も、弟子たちが、「師に仕える仕方」に気づいたところでお話は終わる。そのあと、弟子たちがどれほど技芸に上達するかはもう単なる「時間の問題」にすぎないからである)。
 いまの学校教育における「教育崩壊」は、要するに、知識や技術を「学ぶ」ためには「学ぶためのマナーを学ぶところから始めなければいけない」という単純な事実をみんなが忘れていることに起因する。学校というのはほんらい「学ぶマナーを学ぶ」ためだけに存在する場所なのである。
 子どもというのは(教育学者が夢見がちに語るような)「無垢な存在」ではない。子どもの頭はみすぼらしい偏見と予断とトリヴィアルな知識であふれかえっており、子どもはそのゴミのような情報とスキルを命がけで守り抜こうとする。
 ゴミ知識とゴミ・スキルを量的に拡大することを「学ぶこと」だと思っている限り、子どもは永遠に子どものままである。
 「おとな」というのは、「いろいろなことを知っていて、自分ひとりで、何でもできる」もののことではない。「自分がすでに知っていること、すでにできることには価値がなく、真に価値のあるものは外部から、他者から到来する」という「物語」を受け容れるもののことである。言い方を換えれば、「私は***ができる」というかたちで自己限定するのが「子ども」で、「私は***ができない」というかたちで自己限定するのが「おとな」なのである。「おとな」になるというのは、「私はおとなではない」という事実を直視するところから始まる。自分は外部から到来する知を媒介にしてしか、自分を位置づけることができないという不能の覚知を持つことから始まる。

3.

 そろそろ漱石に話をもどさないといけない。
 ロールモデルを持たない人間は「おとな」になることができない。だから、ある社会集団の成員たちが十分な成熟を果たすためには、どのようなロールモデルを標準的なものとして採用するのかが、決定的に重要になる。
 一般的に言って、もっとも教育効果の高いロールモデルとは、どんな凡庸な弟子でも受け容れてくれて、人間的成熟のための道筋を示してくれる「先生」である。話は簡単だ。
 話は簡単だが、むずかしいのは、そのような芸当ができる「よい先生」は本質的に非標準的・非規格的な人間だということである。だって、あらゆるタイプの弟子に対応して、そのつど適切な教育的助言をなしうる先生というのは、「神様」でなければ、要するに「プリンシプルのない先生」だからである。
 「プリンシプルがない先生」とは、先生自身が矛盾し、分裂し、引き裂かれているために、つねに「フロー」の状態にあり、そのせいで弟子の持ってくるどんな無理難題でも、「うーむ、ま、そういうのも、ありだわな」的にゆるやかに包み込むことができる人である。
 これは困難な条件だ。
 「プリンシプルを持たないこと」をプリンシプルとするような人。
 それはいったいどんな人間なのだろうか。
 だが、この問いこそ明治40年代における「近代日本人のおとなのロールモデル問題」が直面していた本質的な問いだったのである。
 このような複雑な問いにもちろん文部官僚が答えられるわけはない。
 矛盾する要請に同時に応えるような存在者をありありと現前させる方法を経験的に私たちはとりあえず一つだけ知っている。
 文学である。
 どんな凡庸な若者をも受け容れ、ひとりひとりにその人間的成熟の道筋をただしく指し示してくれる、豊かで立体感があって、そして曖昧模糊とした「わけのわからないおじさん」を「近代日本人の成熟のロールモデル」として、文学を通じて日本国民の前に提示してみせること、それが「朝日新聞」に入社したときの夏目漱石がみずからに背負わせた歴史的課題だったのである。
 もちろん漱石自身はそのような「わけのわからないおじさん」を身近に知っていたわけではないし、彼自身が経験的に「わけのわからないおじさん」であったわけでもない。
 それは文学的虚構として造型されなくてはならない。
 さきに述べたように、師というのは、弟子がその人の弟子になった瞬間に結像する「幻想」である(沓を拾わない張良にとって石公はただの「沓をぼろぼろ落とすボケ爺い」にすぎない。ラーメン道を進むことを止めた若者にとってサノはただの「底意地の悪いくそ爺い」にすぎない)。
 師は弟子のポジションに身を置いたものだけがリアルに感知できるような種類の幻想である。その幻想に賭け金を置いた弟子にだけ、「底知れぬ叡智」を伝えるような種類の幻想である。
 だとすれば、「先生」についての物語は、「私」がある人に出会い、「私」以外のひとにとっては、ただの「ボケ爺い」に見えているかも知れないその人が「私の先生」であることに気づくという物語になる。「先生」についての物語とは、「先生その人についての物語」ではなく、ある他者のうちに「先生」を発見する「私の物語」となる他ない。
 漱石はそのようにして「おとなになるための方法叙説」を書く道を選んだのである。
 だから漱石はまず「内面を持たない青年」を活写する(それは理想的な「弟子」となるだろう)。そして、その「内面を持たない青年」がどのようにして「先生」を見出すことになるのか、その「出会いの物語」が語られる。
 『坊ちゃん』や『虞美人草』は「内面のない青年」の物語であり、『三四郎』や『こゝろ』や『吾輩は猫である』はそんな青年だけが出会うことのできる「底知れぬ智者」の効果についての物語である。
 次節では、それらの個々の作品に漱石のストラテジーがどのように貫徹しているのかをやや詳しく見て行こうと思う。


内田樹(うちだたつる)
1950年東京生まれ。神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想、比較文化論。著書に『映画は死んだ』(共著、いなほ書房)、『現代思想のパフォーマンス』(共著、松柏社)、『ためらいの倫理学』(冬弓舎)などがある。