ライター仲宇佐のメランコリックな日常
2002年8月のダイアリー

仲宇佐ゆり

 フリーターという言葉もすっかり定着して、東大卒業してもフリーターになる人も少なからずいるという昨今、「プー」の別名とも言われたフリーライターという職業も、ものめずらしいものではなくなりました。でもこのフリーライターという職種、その実態はどんなものなのか謎な気がしませんか? いろんな人に会いに行けて楽しいんだろうかとか、ギャラはいいんだろうかとか、やっぱり寝ないで働いているんだろうかとか、普段なに食べているんだろうかとか、自分にもできそうな気がするんだけどとか……。そんな興味にお答こたえすべく、いま売り出し中のライター仲宇佐が、そのメランコリックな日々を日記で公開。はたしてその内実やいかに。

8月×日
 フォトショップのマニュアル本をつくっているデザイン事務所の人に、写真の提供を頼まれた。写真の明るさを変えたり、背景を花柄にするにはこうする、といった説明の素材に使うという。これまでに撮った西サモアやシベリアの写真を送ったら、謝礼3万円と、それを使った『フォトショップ7.0ビュンビュンブック』(アスペクト)を送ってくれた。ページをひらくと、うちで眠っていたサモアの子供やロシアの猫が元気に息を吹き返していてうれしかった。

8月×日
 午前中は原稿を書き、正午に赤坂へ。オフィスから昼食に出てきたサラリーマンの行進に圧倒される。35度の暑さでも世間は規則正しく動いているのだ。クイーンアリスベトナムでライターの友人と食事しながら近況報告。彼女は会うたびに、編集者とけんかしていたり、彼ができたりわかれたり、いろんなことが起きている。濃い人生だと思う。

8月×日
 渋谷のシネカノンの試写室でケン・ローチ監督の「ブレッド&ローズ」を見る。人にはパンだけでなく薔薇の花も必要という意味の題名。ローチがはじめてアメリカでとった映画だ。メキシコから不法入国した若い女性がロスのビルの清掃員になり、アメリカ人の活動家と出会って、労働者の権利にめざめていく。不法入国した彼女を迎える苦労人の姉の独白シーンは、涙なしでは見られない。姉妹のきずなが痛かった。俳優にまじって、本物のベテラン清掃員や同じような体験をした人たちが出演している。8月31日から銀座のシネ・ラ・セットで上映される予定。

8月×日

 神田の「みますや」に傘を忘れた。晶文社の中川六平さんは、「今ごろだれか使ってるよ。天下の回りものだ」という。そうか、お金も傘も回っているのか。

8月×日
 アエラの取材で、はじめて歌舞伎の稽古を見る。9月に江戸東京博物館で上演される「神霊矢口渡」。平賀源内の原作で、敵方に恋してしまう娘お舟が主人公だ。肝心なところは男が立ちまわる作品が多い中で、これはめずらしく娘役が大活躍する物語。監修する澤村田之助さんと演出の兼元末次さんの前で、若手の役者たちが台詞をいいながらざっと動きをつける。ビシビシ声が飛ぶというよりも、ここはこうしよう、ああしようと、相談しながらすすめていた。兼元さん以外はみな白紺の浴衣姿である。とくに田之助さんは粋で、和風のオーラが出ていた。

8月×日
 9月に村上春樹の長編小説が出るときいて、買ったままになっていた『ねじまき鳥クロニクル』を読む。おもしろいしこの世界に浸っているのは心地よいけれど、勤労意欲が大幅に減退することがわかった。ただでさえ少ない意欲なのに。しかも外蒙古での残虐なできごとのところを読んだら、肉が食べられなくなった。

8月×日
 ラオスにすむ友人から小包が届いた。茶色の包み紙の中から、鮮やかな刺繍のバッグとオレンジ色の袖なしブラウスがあらわれた。刺繍は少数民族モン族のもの。細かなクロスステッチで、同じ模様が全面に繰り返されている。ブラウスは日本ではめずらしい手織りの綿で、ザクッとした手触り。着てみるとサイズもぴったりだった。たまにメールで現地の様子を知らせてくれるけれど、こうしてラオスの物に手で触って、読めない文字の書かれた袋などをたたんでいると、遠い外国にいるんだなという実感がわいてくる。慣れない生活の中での心づかいに感謝。

8月×日
 先月、パソコンが壊れた人の話をきいて、「ふうん、たいへんだねー」と軽く流していたら、ほんとにたいへんだった。ラップトップパソコンのキーボードに水をかけてしまったのである。サポートセンターの女性は「中まで浸水している可能性が高いですね。CPUを交換すると21万円かかります」という。ぎゃっと叫んでしまった。高い。97年製の古い東芝ダイナブックなので、基板をそっくり変えないといけないらしい。とにかくみてもらおうと家から送り出した。思えばフリーになってから、このパソコンとは苦楽をともにしてきた。だれよりも長く一緒にいるヤツなのである(それも悲しいが)。もう他人とは思えない。しかし治療費が21万円となるとなあ。ハードディスクが無事だったとして、これまでに書いた原稿、インタビューといった資料を復活させるのに、21万円の価値があるだろうか。心は千々に乱れ、仕事が完全に中断して4日がたったころ、戻ってきた。キーボード交換2,2437円ですんだのである。というわけで、当分ウインドウズ95を使いつづけることになった。

8月×日
 「婦人公論」ではじめてお仕事をさせてもらうことになった。編集者のAさんと表参道で打ち合わせ。Aさんとは以前、別の雑誌で仕事をしたことがある。今回はウォーキングを長続きさせるコツを、専門家とイラストレーターの平野恵理子さんに教えてもらうという企画。

8月×日

 七五三からあと、和服を着たことがない。七五三の着物はたしか水色で、ユーミンの実家である八王子の荒井呉服店で祖母に買ってもらったものだった。着物好きの友人にすすめられて、去年はじめて、泥染めの黒い紬を自分で買った。しかし長襦袢も足袋もなにもない。そこで、きょうは思いきって銀座の履物店へ。初老の男性の店員さんが、これならどんな着物でも大丈夫という草履を出してきてくれた。ずいぶんほっそりしている。「私の足はとてもここには収まりません」というと、店員さんはあわてて「草履というのは、はみ出してはくものなんです」と教えてくれた。私はさらに「これ、ビニールですか」ときいてしまった。店員さんはひきつりながら、「裏までぜんぶ革ですよ」。そのあとは、ほかのふたりの店員さんが加わって、この草履のすばらしさを口々に説かれ、あなたの足にぴったりだ、あつらえたみたいだ、と持ち上げられ、鼻緒を調節してはかせてくれた。もう戻れない。購入することにした。この先、着付けに必要なパーツを買いそろえるのに、どのくらいのお金と時間と問答がいるのか、不安になった。

8月×日
 ラジオとテレビのふたつのメディアのちがいを、討論番組を通して書けないかと思い、評論家の宮崎哲弥さんにお話をきかせてもらった。宮崎さんは、テレビ朝日「朝まで生テレビ!」とTBSラジオ「アクセス」の両方の討論番組に出演している。朝生はプロ同士の討論、アクセスはリスナーとの討論というところが基本的にちがうけれども、出演していてメディアの差をどう感じているのかをききたかった。TBSの廊下で待っていると、オレンジ色のポロシャツを着た関根勤が通りかかった。そのあと宮崎さんがエレベーターからおりてきた。シャツからバッグまで全身黒。夜10時の生放送まであと45分しかないのに、悠々としている。さすがにお話は口から出た言葉がそのまま活字になってしまいそうだった。

8月×日
 ここ数日は、一日中パソコンに向かっている。楽しみは冷蔵庫に冷えている梨。梨ひとつでこんなに幸せになっていていいのだろうか。

8月×日
 ねじまき鳥のせいでしばらく肉から遠ざかっていたが、きょうは会食で豚の角煮を口にした。おいしい。不思議なもので、魚と豆と野菜だけですごしていると、肉を食べる人が野蛮に見えてくる。ベジタリアンには世界がこう見えるのだろうか。昔、南太平洋の小島、西サモアに遊びにいったとき、村の人は目の前の海でとれた魚とタロイモとココナツを食べていた。そして特別な日に子豚の丸焼きをしていた。私も肉はそのくらいでも大丈夫な気がする。といいつつ、焼肉屋に誘われるとホイホイついていくんだけど。