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1月×日
約束の15分前に新高輪プリンスホテルに到着。だれもいないはずのミーティングルームに入ると、曙親方がどっかりと座っていた。こちらが先に来なくてはいけないのにまずい。あいさつしようとすると、「おれは待つのが一番嫌いなんだ!」と一喝された。冗談でも怖い。身長203センチの巨体は座っているだけで迫力満点。おろおろしながらノートとテープレコーダーを取り出す。きょうは朝日新聞日曜版「あけぼの流」編集担当のHさんが出張中なので、私一人。それでも、親方はいつも通りに話をしてくれた。忙しくて昼食をとっていないときいて、ホテルの人が酸辛湯麺をもってきた。親方の意見を取り入れて、ホテル内の中華料理店「桃李」のメニューにのせた麺だという。猫舌なのだろうか。親方は丼から小さな椀に少しずつとって食べていた。取材を終え、親方を見送ると急にお腹がすいてきた。「桃李」に入り、親方ゆかりの酸辣湯麺を注文する。ピリカラでトロリとしておいしかった。
1月×日
市ヶ谷のソニーミュージックへ。ガラス張りのピカピカの新しいビルである。休憩コーナーには赤や青のカラフルな椅子がおかれ、コーヒーが飲めるようになっている。ゼネラルエレクトリック社のシルバーのかっこいい冷蔵庫もある。カジュアルな服装の人ばかりで、ネクタイをしている人は見当たらない。きょうはマリンバ奏者の三村奈々恵さんのインタビュー。三村さんと一緒に部屋に入ってきた女性をみてびっくりした。高校の同級生Fちゃんではないか。Fちゃんは最近会社をつくって、三村さんのマネージメントなどの仕事をしているのだった。部屋の空気が急になごやかになった。
1月×日
きのう取材した三村奈々恵さんは27歳。世界中を演奏旅行しながら、ボストンのバークリー音楽院の講師をしている。私は三村さんのCDではじめてマリンバの演奏をきいた。いくつもの音がボワーンと響き合って、恍惚となるような、ちょっと危ない世界にいってしまいそうな音色。昨年140万枚売れた「イマージュ2」という癒し系のアルバムにも参加している。黒いセーターに黒のパンツ、ストレートのロングヘアで耳にはピアスが2つ。スリムなのにパワフルな女性である。手をみせてもらった。人差し指に楕円形のタコができていた。鍵盤をたたく棒、マレットがあたるのである。写真撮影をして約1時間で取材終了。帰りに市ヶ谷のシェ・リュイでアイスクリームを食べ、駅前の書店で中村哲『医者井戸を掘る』を買った。
1月×日
ベストセラーになっている『世界がもし100人の村だったら』を企画をした、マガジンハウス宣伝事業部の大澤さんにお話をきく。「東洋経済ベンチャークラブ」の取材。Eメールでたくさんの人に転送されていた話をビジュアル本にしたもので、初版は8万部。2ヶ月で86万部になり、まもなく100万部を超えるという。大澤さんは、ふだんは書籍の宣伝をしている。ドイツ文学翻訳家の池田香代子さんとメールをやりとりする中から生まれた企画だったため、本の内容や版権については、書籍の編集部ではない大澤さんが担当した。マガジンハウスはそのへんは柔軟になっているらしい。勝因は、メールで流れていた話からアクを抜いて、万人向きにしたことだという。
1月×日
「東洋経済ベンチャークラブ」の原稿を送ってひと息ついていると、編集長から電話があった。静かな声で「お伝えしなくてはならないことがあります」という。原稿がまずかったのかなと思ったら、雑誌の休刊が決まったのだった。地味だけど内容が濃くて好きな雑誌だったのに。
1月×日
3泊の予定で与那国島にやってきた。気温は20度。Tシャツの人もいる。航空券は、JALのバーゲンフェア、ANAの超割、JASの火曜ウルトラ割得を組み合わせて、往復4万円で手に入れた。昨年、与那国織の取材をしたときにお世話になったSさん、Tさん姉妹が今回もいろいろと面倒をみてくれた。おかげで、地元の人の暮らしをちょっぴり体験することができた。ここでは住職接近なので、家に帰って夕食をすませても6時半か7時くらい。そのあとにさまざまなイベントがある。2日目の夜は、中学校の体育館でバドミントンの練習をした。帰ってお風呂で汗を流し、こんどは歩いて2分の居酒屋でヤシガニの味噌の軍艦巻をつまみながら泡盛を飲んだ。そして2軒目のカラオケスナックに流れ、気がつくと午前2時をすぎていた。
1月×日
それでもSさんTさん姉妹は朝7時に起きて朝食の支度をする。ひとり気ままに生活している私には、1日3回、家族そろってごはんを食べるというのが新鮮だった。Tさんが与那国のわらべ歌のプリントをつくるというので手伝った。教育委員会の小部屋でコピーを折っていると、プリントをみた女性の教育長が私の隣にすわって歌いはじめた。どこのだれだかわからない私に歌を教えてくれるのだった。プリントは与那国町文化財愛護少年団の子供たちに配られた。夜は公民館での踊りの練習にまぜてもらった。東京の友人から電話がかかったので、おみやげはなにがいいかたずねると、「物はいらないから踊りをみせてよ」という。そこで「クバ笠」という曲を必死で習った。
1月×日
ヨナグニサンは体長30センチの巨大な蛾である。数がへったため、何年か前まで人工飼育されていた。当時、幼虫の世話をしていた人にお話をきくことができた。最初は気持ち悪くてさわれなかった幼虫も、だんだんかわいくなってくるそうだ。エサはアカギという木の葉。山にとりにいって、毎日新しいものにかえる。多いときは1500匹の世話をした。1匹ずつ新しいエサの上にうつすので、朝から晩までやっても終らないほどだったという。天敵はクモ、ハチ、キノボリトカゲなどいくつかいるが、一番の敵は人間。外からこっそり採りにくる人がいるらしい。私はヨナグニサンには出会えなかったけれど、昼間、森の中を歩いているときに、オオゴマダラという大きな白い蝶がヒラヒラ舞うのをみた。
1月×日
曙親方は、前回はブルー系のシャツに水色のサングラスを合わせていた。きょうはグレーのスーツ。辛口のファッション評論家ドン小西に「これほどスーツを貫禄と個性で着こなせる人ってそうはいない」とほめられたこともある。細くて長い足は相撲ではマイナスになったが、スーツは似合う。貫禄はあるけれど、32歳で私より年下である。「なんだ、私のほうがおねえさんじゃないですか」と軽口をたたくと、「だからなんなんだ」とあっさり却下された。終ったばかりの初場所では、かつて彼の付き人をつとめた潮丸が、十両で11勝4敗という好成績をおさめた。これからの注目株である。潮丸は母親の女手ひとつで育てられた。15歳で入門し、17歳のとき、2年間使わずにためたお祝儀で母親の家を直したという。「孝行息子の快進撃」という見出しで、2月17日の朝日新聞にのることになった。
1月×日
地下鉄を明治神宮前でおりてぶらぶらする。メガネ店でサングラスを物色。ハナエモリビルのラ・メゾン・デュ・ショコラでチョコレートを眺めるが、あまりの値段に購入を断念。ほしかったのは2粒で1100円だった。表参道のスパイラルで、デザイナーの丸山正が着物を巻きつけるパフォーマンスを見た。舞台に直立する女性に反物を巻いて、和服を着ているような形にしていく。ひとつの形が完成すると、ほどいたり、その上に重ねたりして、また別の布を巻く。布が変わるたびに人物の印象がガラリと変わる。客席は満員。和服のせいか年配の人が多い。夜おそくなったので、ジョナサンで食事をして帰る。
1月×日
中村哲『医者井戸を掘る』は、旱魃に苦しむアフガニスタンの農村に井戸を掘る話。中村さんは義侠心の塊のような人である。そんな彼が「侍」と呼ぶ井戸掘りのエキスパート中屋氏など、魅力的な人物が登場する。午後から沖縄文化協会のオモロ研究会へ。きょうはシドニー大学のヒュー・クラーク教授の講演があった。夫婦で小浜島に住んで調査をしたことがあるそうだ。終ってから神保町にいき、『石神井書林日録』の著者、内堀弘さんの出版おつかれさま会に出席した。「彷書月刊」編集長の田村さんの司会がみなの笑いを誘い、あたたかい会だった。
1月×日
月の輪書林さんから内藤誠監督著『友よメキシコよ』が届いた。内堀さんの会でお会いしたときにお願いしたもので、酔っていたにもかかわらず、忘れずに送ってくださった。「どこかで、ぜひ、内藤誠著『インディアン日本をめざす』をみつけて読んで下さい。お元気で。」とていねいなメモがついている。鉛筆書きの文字が味わい深い。さっそく本をひらく。?
1月×日
神楽坂の関西割烹の店でミソジの会。雑誌の仕事をしている人たち数人で集まって、ときどき食事をしている。ふきのとう、たらの芽、竹の子、稚鮎のてんぷらを食べる。もうすぐ春だ。帰宅すると、10年以上会っていないY子ちゃんからハガキが届いていた。「あけぼの流」を読んだという文面だった。うれしい。新聞は雑誌にくらべて見ている人の数が多い。朝日新聞は830万部らしい。そのうち100分の1の人が読んでくれたとしたら8万3000人。すごい数である。曙親方との仕事はだんだん軌道にのってきたけれど、コラムを掲載している日曜版というページが、3月でなくなることになってしまった。
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