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■スーペルメルカート利用術
イタリアで「スーパーマーケット」は「スーペルメルカート」と呼ばれている。ただ、イタリアでは、アメリカ型のスーパーという存在はまだまだ一般的ではない。 スーパーマーケットといっても大型店は少なく、コンビニエンスストアもない。
日本で6年暮らしイタリアへ戻った友人のアンナリーザは、フィレンツェで再会すると開口一番こう言った。
「イタリアは本当に不便。コンビニはないし、店は日曜日休みだし、夜に出歩くのは恐いし……」
彼女は、6年の間にすっかり日本人になっていた。
私がフィレンツェで暮らしたアパートは、街の中心に近い、マザッチョの『楽園追放』で知られるサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の側にあった。ひまを見つけては、歩いて15分ほどのところに1軒だけあるスーパー「エッセ・ルンガ」まで出かけた。
「エッセ・ルンガ」はミラノなどにもあるチェーン店で、「スタンダ」とならんで、イタリアではもっともポピュラーなアメリカ型スーパーのひとつだ。品揃えもまあまあ豊富で、使いやすいスーパーだった。
こうしたアメリカ型スーパーというのは、日本でもイギリスでも香港でもタイでも、基本的なところは同じような構成だ。入口でショッピングカートやカゴを手にすると、まずは青果売場で、それに沿って壁面は魚介類、精肉売場がある。中の通路には、小麦粉類、塩、砂糖、スパイス、コーヒー・紅茶、シリアル、お菓子、乳製品……となっている。そして、そういった基本商品に混ざり込むようにして置かれた、各国独自の商品を見つけるのがスーパーの楽しみのひとつだ。
イタリアのスーパーマーケットの特徴は何だろうか。
まず、システムでいうと、ショッピングカートを利用する場合は、500リラ・コインを入れて、カギをはずさなければならない(すいません、ユーロになってからはいくらになったかわかりません)。使用後はカギを差し込むと500リラがもどってくる仕組みになっている。ところがカギをはずしたりつけたりするのが面倒臭い人は、使い終わったお客をつかまえ、500リラを渡して、カート使用権をゆずりうけている。
また、買った品物を持ち帰るのにビニール袋が必要なときは100リラ支払う。だからたいてい地元のお客は、袋なりを持参している。これは、地球の環境のためにもいいシステムだと思う。
商品の構成で特徴的なのは、やはりチーズ、生ハム、サラミ、パスタ類が豊富なことがあげられる。そしてこれまたお国柄かインスタントのパスタソースもかなりたくさんの種類がある。仕事帰りらしき若い女性がインスタントのパスタソースを買うところを眉をひそめて見ている年配の女性たち、という光景は、商品が違うだけで、世界で共通のことだろう。
もうひとつ、とてもイタリア的な商品といえば、それは「ヌテッラ」。これはイタリア人ならまず知らない人はいないし、私はこれまで「ヌテッラ」を嫌いだというイタリア人に出会ったことがない。友人のファビオなどは「ヌテッラ」という音を聞いただけで、いつもとろけるような笑顔になる。
これほどまでにイタリア人が愛してやまない「ヌテッラ」とは……それは、パンにぬって食べる「チェコレート・クリーム」のことだ(たしかヘーゼル・ナッツ入りだったと思う)。なーんだチェコレート・クリームか、などと侮るなかれ。一度食べると病みつきになることは必至だ。
日本でも「ヌテッラ」は入手可能だが、日本で売られている「ヌテッラ」はなぜかオーストラリア製だ。味はあまりかわらないと思うのだが、「オーストラリア製の『ヌテッラ』なんてちゃんちゃらおかしくて喰えるか! 『ヌテッラ』はイタリアだ!」というイタリア愛国主義者に会ったことがある。
私が旅行中にスーパーマーケットを利用するのは、おもにお惣菜コーナーと水売場。
チーズやハム、サラミ、その他、野菜類のお惣菜は量り売りなので、いろいろなものを少しずつ試してみると楽しい。ワインもデイリーユース向きの手頃なものがたくさんおいてあるので、ホテルに持ち帰って、軽い食事ができる。レストランに行って食べるほどお腹がすいていないとき、ひとり旅でレストランに入りづらいときなど利用している。
ミネラルウォーターは空気が乾燥しているイタリアでは旅の必需品。バールやホテルで買うと、350ミリリットル入りボトルが1本2000〜3500リラくらいする。スーパーでなら半ダース買ってもそれくらいの値段なので、ひとつのホテルに2、3日滞在するときはスーパーで6本入りを買っておく。いちいち買わないでもいいし、夜中にのどが渇いて起きてもこれさえあれば大丈夫(私が泊まるようなホテルだとルームバーがないことが多いので、トホホ……)。
■スーペルメルカートの恐い人たち
旅行ガイドブックを見ると、よく「イタリア人は人なつっこくて、陽気で……」などとステレオタイプなイタリア人像が書かれているが、そんな一般論をうち消すような最強の人たちが強烈な存在感でもって待ちかまえている。それはどこかって? もちろんスーパーマーケットのレジさ……。
スーパーマーケットのレジの女性たち。何がそんなに不満でつまらないのか、とにかく表情は暗いし、無愛想だし、突っ慳貪だし、面倒臭そうだ。こうした場面では、イタリア人はモチベーションの持ち方がはっきりとあらわれる。いやいや働いていることは間違いないのだ。気の弱い私などは眉間の皺を見るだけで「こんなつまらないものを買って、お手を煩わせて申しわけございません」という気持ちになる。
フランチェスカ・アルキブージ監督の名作『かぼちゃ大王』で、名優ラウラ・ベッティが舞台となる病院で働く掃除婦を演じていたが、彼女のかもしだすどうしようもない暗さは、まさに、スーパーマーケットのレジの女性たちの暗さに共通している。やりたくないことをやっている(やらされている)ときのイタリア人は、本当に底が見えないくらい暗く、悲しい。
買物を終えレジでお金を払うとき、うまくレジ嬢(嬢というか婆)のリズムに乗れないと、つぎの客のレジをはじめてしまうし、そのうえ5万リラ札などで支払おうものなら、擦ったり、透かして見たり、にせ札チェックだ。たしかにイタリアでは5万リラ札のにせ札が一時期横行したので、安全のためチェックをしているだけで悪気がないことはわかっているのだが、どうもあれだけふてぶてしくチェックされると、何か疑われているようなイヤな気持ちになる。もちろん「ありがとうございました」の「あ」の字もなければ、愛嬌など微塵もない。
もしも運悪くレジ嬢(婆)同士がおしゃべりに花でも咲かしていようものなら、疎外感はさらに強まる。そして、このおしゃべりがまたすごい。おしゃべりの最中も笑顔、笑い声はない。ずっと無愛想なままおしゃべりは延々とつづく。
心臓の弱い人は、間違ってもそのおしゃべりをさえぎるように質問など口を差し挟んではいけない。質問と同時に後悔がやってくるはずだ。まさに、質・量ともに世界最強のおしゃべりだ。これに匹敵するものがあるとすれば、ミラノのデパート「ラ・リナシェンテ」のレジ嬢(婆)たちのおしゃべりぐらいではないだろうか。
イタリアのスーパーマーケットに行ったら、レジ嬢(婆)にご用心。
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