フィリッポのイタリアひとり歩き術
第21回 サッカー Calcio

フィリッポ・蔭崎

■サッカー界の常識

 12月1日、韓国の釜山で2002年ワールドカップ・コリア・ジャパン大会の一次リーグ組み合わせが決まった(いやあ、対戦相手が決まると一気に気持ちも盛り上がってきますねえ)。わがイタリア代表は、日本ラウンドのグループGに属し、エクアドル、クロアチア、メキシコと一次リーグを戦うことになった。評論家たちの予想をみると、「イタリアは一次リーグ、トップ通過間違いなし」などといわれているが、3チームともそんなになめてかかれる相手ではない。どの選手も怪我などしないよう万全の状態で大会をむかえてほしいものです。
 それに先だって11月7日、イタリア代表は親善試合のため日本にやってきた。成田空港、幕張のホテルで待ち受ける日本人ファンの熱狂的な歓迎ぶりはニュースなどでもずいぶん放映されていたが、それはそれはすごい人気だった。当の選手たちはさぞかし驚いたことだろう。バスを取り囲んで歓声をあげるファンたちを見るネスタやカンナヴァーロのちょっとびっくりしたような笑い顔はとても印象的だった。親善試合とはいえ、イタリアでは決してこんなことはおきないだろうから……。
 フォワードのピッポ・インザーギは、雑誌のインタヴューで日本での印象をこう答えていた。
 「まるで自分の故郷でプレーしているようだった。多くの観客が、敵である僕のプレーに拍手や声援をおくってくれた。ちょっと不思議な体験だったけど、こんな遠くの国に多くのファンがいるっていうのは最高だね」
 とっても不思議だったちがいない。
 真剣勝負と親善試合のちがいはあるにしても、おなじく11月に行われたワールドカップ最終予選、ウルグアイ対オーストラリアでは、ウルグアイに到着したオーストラリア代表は、空港で待つウルグアイ・サポーターに殴る蹴るの暴行、滞在するホテルでもいろいろな妨害をうけていた。
 また、敵だけではなく味方からも暴行を受けることだってある。66年のワールドカップ・イングランド大会でイタリア代表は、一次リーグでロシアや北朝鮮に敗れて帰国すると、空港でサポーターから生タマゴを投げつけられるなど手荒い出迎えを受けた。日本でも98年のワールドカップの際、成田空港で城選手に水がかけられるという事件があったことは記憶に新しい。こういった行為が残念ながら、サッカーの世界では、まるで常識のようになっている。
 サッカー好きで知られる有名な某芥川賞受賞作家なども、「サッカーは戦争なんだ。その日の試合でミスして、それが原因で負けたときは、ミスした選手はファンたちからの暴行をおそれて、レストランなどで食事をすることすらできない。それが世界のサッカーなんだ。負けても拍手でむかえる日本のサポーターなんて考えられない」といったようなことを述べている。こうした行為を「これが世界の定説です」的な、間違った行為を肯定するような発言をされるとイヤーな気分になるが、たしかにサッカー界は暴力が蔓延し、危険にあふれている。だからこそ国を超えた日本のファンたちの行動は、「甘ちゃん」とか「平和ボケ」とからかわれるのではなく、賞賛されるべきだと思うのだが……。

■イタリア人のファン心理

 ここ数年、イタリアのサッカーは日本でも非常に身近になった。94年のカズ三浦を皮切りに、98年中田、99年名波と3人のセリエAプレーヤーを送り出したことがいちばんの原因と思われる。
 10年前には、イタリアのサッカー中継などは、日本ではほとんど観ることができなかったが、いまでは、生放送と録画放送を合わせれば、毎週9試合すべてが観戦できるほど、イタリア・サッカーは人気がある。本国イタリアでは、テレビで放映するとスタジアムに足を運ばなくなるという理由でいろいろな規制があり、テレビでは毎週2、3本程度しか観ることができない(数年前までは1試合も観ることができなかった)。日本に来たイタリア人は、これだけの試合が中継されているのを知り、みんなとても驚く。そして言う「よその国の、よその街のチームのサッカーの試合を観て、おもしろいのだろうか?」と……。
 都市国家イタリアでは、国としての結びつきより前に、各都市ごとの結束が強い。よほどの例外を別にすれば、ローマっ子もミラノっ子もフィレンツェっ子もボローニャっ子もナポリっ子も、みんな自分の街が一番で、自分の街の料理が一番で、自分の街の人間が一番で、自分の街のサッカーチームが一番、という郷土愛にみちている。そして、よその街と競いあうことも多い。その「よその街」も近ければ近いほど、ライバル心がむきだしになる。
 サッカーでは、同じ州や同じ街同士の試合は、両チームのファンとも自分たちのプライドをかけ白熱し、ときに暴力へとつながる。たとえばミラノの「A.C.ミラン」のファンは、同じ街のチーム「インテル・ミラノ」を決して応援しない。応援しないどころか憎んでさえいる。チームを応援しているので、自分の好きな選手が、他のチームに移籍しても、その選手の移籍先チームを応援するのではなく、自分の街のチームを応援し続ける。このあたりが日本人のメンタリティと一番ちがうところではないだろうか。
 日本では、高校野球などを例にみてみると、まずは自分の都道府県のチーム、つぎに同じ地方や近隣の都道府県のチームを応援し、遠くなれば遠くなるほど、応援する気持ちは離れていく。イタリアはこれとまったく反対なのだ。
 96年5月、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ決勝(ヨーロッパのクラブチーム・チャンピオンを決める試合)はオランダのアヤックスとイタリア・トリノのユヴェントゥスの間で争われた。決勝の会場はローマのスタディオ・オリンピコ。そのころ私はフィレンツェで暮らしていて、イタリア最大手新聞の朝刊を見るとユヴェントゥスが一面広告を出しているのが目に入った。
「ユヴェントゥスも“イタリア”のチームです!」
 トリノ以外のイタリア人がオランダのアヤックスを応援することを予想してだされた広告だと思うが、すべてを言い表しているようでおかしかった。
 フィレンツェっ子は、とくにユヴェントゥスが嫌いだ。昔、何度も優勝をさらわれたこと、わが街のクラブチーム、フィオレンティーナの至宝ともいわれたロベルト・バッジョをユヴェントゥスにとられたことが大きな原因となっているのだが、その嫌い方は半端ではない。私はその試合を多くのフィレンツェっ子といっしょに観たが、みんなオランダのアヤックスを応援していた。まるで会津の人々が、長州のチームと北京のチームの対戦をみるような感じである(本当にそんなものがあるかは知らないが)。結果的にはユヴェントゥスが勝ち、その年のヨーロッパ・チャンピオンの座についたのだが、翌日、フィレンツェのサッカーファンは皆一様に機嫌が悪かった。
 その翌年のヨーロッパ・チャンピオンズリーグ決勝はユヴェントゥスとドイツのボルシア・ドルトムントがミュンヘンで対決し、ボルシア・ドルトムントが勝利した。翌朝は前年とうってかわり、フィレンツェっ子の顔はかがやいていた。なじみのバールへ行くと、店のオヤジは満面の笑顔で、「ざまあみろユーヴェ! ウワッハッハッハー」とほえていた。
 しかし、いつもはこんなどの街の人々も、ワールドカップとなればイタリア代表をみんな応援する。イタリアがひとつにまとまるのはワールドカップのときだけだ、と言う人さえいる。
 90年のワールドカップ・イタリア大会、準決勝、イタリア対アルゼンチンは、ナポリで行われた。アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナは、ナポリのクラブチームに所属し、弱小ナポリを二度イタリア・チャンピオンに導いた。ナポリっ子にとってみればミラノやトリノなど北イタリアのチームを打ち破ってナポリに栄光をもたらしてくれた、英雄どころか神様のような存在なのだ。そのマラドーナ率いるアルゼンチンが自国イタリアと地元で対戦するという皮肉な組み合わせになってしまった。
 試合前、マラドーナは言った。
 「ナポリの人たちは僕を応援してくれる」
 それに対して、イタリアのストライカー、トト・スキラッチは反論した。
 「マラドーナはイタリア人をわかっていない。イタリアはひとつだ」
 そして、地元ナポリっ子はこう願った。
 「マラドーナが1点とり、イタリアが2点とる。こうすればマラドーナの名誉も守られ、イタリアも決勝に行ける」
 結果はPK戦のすえアルゼンチンが勝利した。そして、この試合の結果はいろいろな不幸をはこんだ。8年ぶりの優勝というイタリア国民の希望をどん底までつき落とした。予想外にナポリっ子からブーイングを浴び、大きく傷ついたマラドーナは、その後、麻薬所持などスキャンダルにみまわれ、イタリアを追われ、サッカー界を追われた。ナポリはもとの弱小チームにもどり、現在はセリエBで低迷している。