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■悪名高き「ショーペロ」
イタリアの国鉄は旅行者にたいへん評判が悪い(鉄道マニアたちの意見はわかりませんが)。その理由としては、(1)ストライキが多い、(2)よく遅れる、(3)切符を買うのに異常に時間がかかる、(4)すぐに到着番線などの予定が変わる、(5)電車がおんぼろ、などがあげられている。
たしかに事実だけをみればその通りだし、嫌な思いをしている人は多いはずだ。私自身は鉄道に関しては、これまで身にふりかかったトラブルを思い返してみても、旅行者という気軽な気分で利用することがほとんどなので別段腹を立てたことはない。どころか何だかユーモラスに思えて、どれもほんわかしたいい思い出になっている。
ストライキはイタリア語で「ショーペロ」。このショーペロという音を聞くだけで身の毛がよだつという人も少なくないようだ。基本的にショーペロは突然行われるわけではなく、テレビや新聞などで事前に予告される。そして春闘に行うケースが多いので、春の旅行の際は要注意だ。
ふだんはショーペロのニュースによく注意して移動などの予定を立てるが、たとえばこんな事態も想定される。10日間の日程でミラノとローマに個人旅行の計画をして、時間の無駄にならないよう、お気に入りのホテルの予約、オペラのチケットの手配など、日本で準備万端整えてからイタリアに行き、ミラノからローマへ移動する日がショーペロにあたっていたら、そしてローマでの最初の夜にオペラ観劇を予定していたら……。たしかに考えただけでもゾッとする。当初の日程どおり旅することはできなくはないがかなりめんどうくさい。
私も6年ほど前に予定外のショーペロに一度だけ遭遇したことがある。そのときミラノで用事をすませ、フィレンツェのアパートへ戻るためペンドリーノ特急に乗っていた。ボローニャを過ぎ、あと15分ほどでフィレンツェに到着というとき車内放送がなった。べつに注意もせずにいたら、「本日はフィレンツェ中央駅の職員がストのため隣の駅に停車します」という内容のことが耳にはいってきた。念のため前に座っている男性に確認すると、「たしかにそんなことを言っていたね」という。
実際、電車は隣のカンポ・ディ・マルテ駅に到着した。降りると、それほど大きくないカンポ・ディ・マルテ駅はものすごい数の利用者たちで大混乱である。ようは、中央駅に着く予定の電車がみんなこの駅に到着しているのだ。言葉のわからない旅行者やはじめて来た旅行者たちは、わけもわからず右往左往している。それはそうだろう私だって何が何だかさっぱりわからない。フィレンツェを経由してその先ピサやルッカなどに行く人たちは駅員を探し、事情を把握し解決法を模索するため大騒ぎ。それはそうだろう中央駅で乗り換えるはずの電車がないのだから。文字どおりパニック状態だ。
駅の外へ出ると、ピサやルッカ、フィレンツェ市内行の特別臨時バスが用意されていて、客たちは我先にと争うようにバスの入口に突進している。私は申し訳ないが30分も歩けばアパートにたどり着ける立場だったので、めったにない経験として半分楽しんでいた。それにしても、ひとつの駅だけがストライキをしているとはどういうことなのだろうか。
■電車の遅れにみるイタリア
遅れる、到着番線などの予定が変わる、というトラブルもたしかによくおこる。
遅れるということでいえば、イタリアでは駅構内の電光掲示板には、行先、発車時刻、番線のほかにRITという文字を見ることができる。これはritardoの略で「遅れ」ということだ。電光掲示板には最初から時間の遅れが書き込めるようになっているのだ。つまりかなり頻繁に遅れるという事態が予想されているのではないだろうか。そして私には原因は知る由もないがたしかによく遅れる。ただ飛行機とちがい、何時間も大幅に遅れることは稀で、いいところ30分以内というところだ。それに電車の場合は本数があるので別の電車に切り替えることもそうむずかしいことではない。
以前、団体旅行のガイド、通訳をする女性に聞いた話だが、20人ほどのある団体旅行の添乗をしていたときのこと、駅への到着が遅れ、発車時刻がせまり荷物の積み込みが間に合いそうもなかった。そこで彼女は電車の運転手のところへ行き、「荷物が積みきれそうにありません」とうったえると、
「荷物の積み込み? そんなこと俺は知らない。荷物のことはポーターに言ってくれ!」
こう言われた彼女は要求の仕方を切り替えた。
「電車の発車時刻を5分遅らせてください」
すると、
「5分遅らせろだって? それなら俺の仕事だ。まかせておきな」
そして無事、全員電車に乗り込んだとのことだ。
考え方によっては遅れることが容認された社会というのは悪くない。時間がくればどんな事情があっても予定通りに出発しなければならないよりも、個人の判断で臨機応変に対応できる社会のほうが人にやさしい気がする。時間よりも人間が大切にされる社会を私は好む。いいじゃないですか少しくらい遅れても。
到着番線の予定が変わる理由も、この時間の遅れが原因しているのだろう。これもよく起こる。予定されたホームでじっと電車の到着を待っていると、突如、場内放送がなる。
「14時1分発ミラノ行きインテルシティ574号は8番線から3番線に変更します」
ホームで待つ人たちは、別段不快な表情も見せず、不満ももらさず、足早に移動する。慣れたものである。人間が多少のことでイライラしないのは本当に気持ちがいい。
ただ、電車の遅れでひとつ困ったことがある。それは出発の遅れのときに起こる。
イタリアでは発車の際は、ベルが鳴ったりなどの前触れなしに、時間がくれば扉が閉まり出発する。だから乗客は、発車時刻を見計らって、見送りの人たちと涙ながらに別れの抱擁とあいさつをすませると速やかに車内へ入る。あとは窓越しに手をふったり、「また電話するね」というジェスチャーなど、最後の別れを惜しんでいるうちに電車はそっと動きだし、ああ、名残惜しいなあ、という駅につきもののドラマがとてもいい雰囲気のなかで幕を閉じる。
ところがである。これが予定時刻を過ぎても出発しないことがある。これは困る。見ているほうだって困るんだから、ドラマの主人公たちはさぞ照れくさいことだろう。ミラノで暮らす息子のところに訪ねてきたパレルモの両親が休暇を終えてシチリアへ帰るというシーンに遭遇したことがあるが、あれだけ抱擁し、涙をながし、また来年のクリスマスに会おうね、と名残惜しげに車内とホームに別れ、あとは出発するだけなのにそれが出発しない。それでも最初は手を振りあったりしているが5分もたてば気まずい雰囲気が漂う。見送りに来た息子も帰るわけにもいかずばつが悪そうだ。これはあまりに滑稽でちょっぴり気の毒だった。
私にも一度だけ経験がある。ローマのテルミニ駅からパリにむかったときのこと。友人がひとり見送りに来てくれた。抱擁まではしないが、別れのあいさつをすませると発車時刻が近づいたので車内へ入った。「では、また。元気で!」と手を振ってみるものの電車は出発しない。5分たっても、10分たっても……。その友人、よほどすることがなくて困ったらしく、とうとうホームに散らかっていた荷物を運ぶカートを駅員よろしく片付けはじめてしまった。照れくさそうに片付ける姿は今でも思い出すと笑ってしまう。よほど困ったんだろうなあ。ごめんね、笑って。
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