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■まずは、こんなこともありました
リストランテ、トラットリーア、オステリーア、ピッツェリーア……。その言葉を聞くだけで歓喜がよみがえる。あの、扉を一歩踏み込んだ瞬間から食欲をこれでもかと刺激し続ける芳しき香り、食卓をにぎわす饒舌な会話とカメリエーレ(ボーイ)の機敏にしなやかに立ち働く音、供せられるシンプルにして力強い数々の料理……。
イタリアを旅行することだけにかぎっていえば、私の楽しみの第一はなんといっても食事である。私はイタリアに行くと、よほどの事情がないかぎり、二週間であろうと一ヵ月であろうとイタリアの料理を食べ続ける(無理やり日本料理屋へ誘う奴らに災いあれ!)。もちろんイタリア料理が大好きだということもあるが、なによりもそれがいちばんおいしい。
どこで食べてもある程度はおいしいと思うが、出が卑しい私のようなものは、できるだけ旨いものを安い値段で食べようと思っているので、情報収集が必要となる。とくにヴェネツィアのような大観光都市になると、じゅうぶん注意をしていても、むやみに高い料金をふんだくられることが多々あるからだ。
忘れもしない、ある年の12月31日、ヴェネツィア。大晦日とあって、多くの店は、早じまいをしているか、予約がないとダメか、値段のはる年末スペシャル・メニューしかないか、といった状況だった。切り売りピッツァ(ピザ)の店やチェーン店のハンバーガー屋すら店じまいをする始末だ。もうほとんど夕食をあきらめかけたころ、たまたまとおりかかったサン・マルコ広場近くの路地に一軒の店を見つけた。気軽に入ることのできる雰囲気の店づくり。いっぱいのお客さんでにぎわっている。悪くはなさそうだ。残りわずかの席になんとかもぐりこんだ。
「明日から新年の休暇にはいるので、いつもよりもメニューが少ないんです」といいながらカメリエーレが、紙一枚に書かれたメニューを持ってきた。手書きで、値段も書かれていない、ずいぶんと簡略化されたものだ。
はじめて来た店なので、まずは無難に私はトマト・ソースのスパゲッティ、友人はペンネ・アラビアータ、ふたりでイカと小エビのフライをひとつ、そしてごくふつうの白ワインのハーフ・ボトルを一本注文した。この程度なら、ミラノあたりのどんな超高級レストランで食べても、ふたりで7万リラを越えることはないだろう。
まずトマト・ソースのスパゲッティがでてきた。湯がよくきれていないらしく、皿のなかが水浸しだ。麺は茹ですぎているらしく、ぐちょぐちょ。トマト・ソースにいたっては、ホール・トマトを缶からあけて、ちょっとだけ火をとおしたといった代物だ。パスタ料理でしてはいけないことをすべてやってみました、というような見事な仕上がりである。
友人が注文したペンネ・アラビアータは、あまりのかけ離れかたに、きっとペンネ・アラビアータを知らない人が作ったにちがいない、ということでおちついた。ちょうど、日本の喫茶店でウィンナー・コーヒーをたのんだときに、ふつうのコーヒーにウィンナーソーセージを添えて出されたようなものだ(じつは、私は東京・御茶ノ水の喫茶店で実際にやられたことがある)。
つづいて出されたイカと小エビのフライも、期待に違わず“素晴しい”出来映えだった。思わず、ヴェネツィアを交通の便の悪い、山のなかの小さな街と錯覚して、「こんなところに来て、海の幸なんかたのんですみません」とあやまりそうになった。
こうなったら不幸がふえないうちに退散するにかぎる。ところがここで異変にきづいた。となりのテーブルにいた男性ふたりが、店の人間にくってかかっている。
「なんでスパゲッティふたつとデザートふたつで、こんな値段になるんだ!?」
「今日は、年末なので特別料金です」と店側の答え。
そういえば、メニューには値段が載っていなかった。いやーな予感がした。おそるおそる会計をしてみると、なんとふたりで20万リラ。当時のレートで、日本円になおして約2万円。明細をチェックしてみると、オーダーしたものと足し算に間違いはない。ただたんにひとつひとつの料理の値段がべらぼうに高いだけなのだ。やられた、と思ったが後の祭。こんなことなら「値段のはる年末スペシャル・メニュー」の店にでも行っておけばよかった、などというのは結果論。このことは早く忘れようと、文句もいわずに店を出た。チップを置かないのがせめてもの抵抗だ。なんだかいやな年の瀬になってしまった。
この事件をきっかけに、私は、ひとから「オタク」よばわりされるほど、しつこくレストランの情報を収集し、資料をつくりだしたのだった。
■どんなレストランを選ぶのか
イタリアでは、レストランはいくつかの種類にわかれている。高級レストランの「リストランテ」、家庭料理が主体の大衆的な店「トラットリーア」、居酒屋のような大衆食堂のような「オステリーア」。この順番で高級から庶民的と一般的には区分されているが、それほど厳密なものではない。カジュアルな感じのリストランテもあれば、かしこまったトラットリーアもある。店の雰囲気、そして、店の外には必ず、メニューが張り出されているので、自分の見た目でだいたいの見当はつくと思う。
そのほかにも、ピザの専門店の「ピッツェリーア」、カウンター式の軽食堂「ターヴォラ・カルダ」や「ターヴォラ・フレッダ」、ビールと軽食を出す「ビッレリーア」などがある。
私のレストラン選びの基本は、まず、信頼できる人からの口コミ情報だ。嗜好、一回の食事に支払う予算など、自分の基準にあう知り合いからの情報、これがいちばん失敗がない。
たとえば私は、ヌオーヴァ・クッチーナ・イタリアーナと呼ばれる今流行の新しいタイプの料理を提供する店は好まない。イタリア料理の醍醐味は、シンプルさと力強さだと思っているので、フランス料理のように、手のこんだ、洗練されたものは望んでいない。
それに経済的な事情もあって、いくらおいしい店でも一回の食事で10万リラは払いたくない。かといって安ければいいというわけでもなく、自分のなかで、これくらいの味と雰囲気とサービスなら、いくらまで支払ってもよい、というような座標軸をもっている(まあ、こういえば聞こえもいいが、ようは金がないってことがいちばん大きい理由なんだけれど
……)。
そのほかにレストラン選びの参考にしているのは、ガイドブック、雑誌の類だ。
ガイドブックは、主なものに、赤い本で有名な『ミシュラン』、『エスプレッソ』、『ガンベロ・ロッソ』、『ヴェロネッリ』がある。個人的には、『ミシュラン』と『ガンベロ・ロッソ』を参考にしている。
『ミシュラン』は、コンパクトで、データ表記も見やすいのだが、すこしフランス料理寄りすぎていて(評価の良い店はとくに)、私の考えているイタリア料理のよさが正当に評価されているとは思えないので、ホテルの情報、地図、住所、電話番号などの基本データを利用するのに使用している。たまに『ミシュラン』で店を選ぶ場合は、なるべく安い店から選ぶようにしている。そのほうが、私の嗜好にあった店が見つかるからだ。
ただ『ミシュラン』も数年前から、それまでの「フォーク」の数、いわゆる「星」の数ほかに、新たな評価として、赤いミシュラン人形の「顔」を付した店を掲載している。このマークがつけられた店は、私の好みに合っている、つまり「安くて、うまい」場合が多い。
一方、『ガンベロ・ロッソ』は、ちょっと重いのでかさばること、ホテル情報がないこと(ホテル・ガイドは別売り)では、『ミシュラン』よりも劣るが、店の選択もいいし、店一軒、一軒に書かれたコメントは役にたつ。およその予算とコメントを検討して、店を選んでいる。
また『ガンベロ・ロッソ』は、都市別のものも出ていて、こちらのほうはぐっとコンパクトになる。ただし、地図が載っていないので(私の持っている「ローマ」版にかぎっていえば)、場所を調べるのに、別に地図が必要になるのが残念だ。
そのほか、私のレストラン選びの基準は、あまり大きな店ではなく、家族で経営しているくらいの店。そのほうがシェフの引き抜きや経営者がかわることなどもなく、味が安定しているからだ。大きな店だと、一度行っておいしかったので、つぎの年にもう一度いてみるとすっかり味がかわっていることもすくなくない。小さな、家族経営のおいしい店をみつけると、大切にかよいつづけている。
以前、フィレンツェに1ヵ月ほどアパートを借りて住んでいたとき、そういう店と出会い、何度か食べに行った。とくに、店の人と話をしたわけでもなかったが、その1年後、フィレンツェを訪れたときに行ってみると、店の人は顔を覚えていてくれて、
「やあ、元気だった? またフィレンツェにもどってきたんだね」
と、前菜をサービスしてくれた。久しぶりに食べた料理は、以前とかわることのない、安定した味だった。こういうことも小さな店ならではなのかもしれない。
雑誌では『フィガロ・ジャポン』や『ブルータス』などが、イタリアやイタリア料理の特集を組んでいるが、日本の雑誌というのは、びっくりするくらい情報が細部にまでいきわたっている。どちらかというと有名な値段もはる店が中心だが、イタリア人だって知らないような小さな店まで、まさに網羅されている感じ。最近ではヘタな地元のイタリア人より、日本人のほうがくわしいぐらいだ。
たしかに「網羅」なので、値段と味・サービスが見合わない店、昔はおいしかった店、というのも載っているけれど、「うわー、こんな店よくみつけたな」というところまで見事におさえている。本当に日本の雑誌おそるべし。
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