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高校のとき、授業と関係ない本を読みふけるのは、いつものことだったのだけど、その日はエスケープ用の本を忘れてて、仕方がないので、現代国語の教科書をパラパラとめくっていたら、ポーの詩が載っていて、そういえば、子供のときポーの短編が好きで、黒猫とか黄金虫はもちろん、アッシャー家の崩壊とか赤い死の仮面なんかも読んだのを思い出して、ポーの詩ってどんなんだろうと思いつつ、最初の数行を読みはじめたら、どんどん引き込まれていったのを憶えている。
というのも、その詩のイメージというのが、中学のとき見た夢にそっくりだったので、驚いた。
なにせ、その夢というのが、夢精してしまった夢だったからだ。
生まれてこの方、夢精というのは三回しか体験がないのだが、それは生まれてはじめての夢精で、そのときはまだ、オナニーすらしたことがなかっただけに、起きたときは、パンツの中がぐっしょり濡れてて、やべえ、この年でおねしょかよ、と思いつつ、おねしょにしては糊みたいにベトベトしていて、奇妙な感触だったので、なんか変な病気にでもなったかと、少しばかり不安になったりもした。それで、剣道部のとある先輩が、着替えの部室で、なにかというと、カルピス、カルピスと連発していたのを思い出し、ああ、これがあのカルピスってやつか、と納得したのである。
で、夢精でベトベトになったパンツは、洗濯ものがたまっていた洗濯機の中に、こっそり押し込んだ。母親がそのパンツの異変に気付いていたかどうかは、いまとなってはわからない。たぶん、気付かなかったように思うのだが、ほんとうは知らないふりをしていたのだろうか。
それはともかく、夢精してしまった夢というのが、どんな夢だったかというと、文字にしてしまうと、なんともちんけな感じしかしなくて、情けない。
その夢の中では、濃い霧がかかった谷があって、何かに誘われるように、一人で谷を下りていくと、その先に小さな池があって、よく見ると、一人の少女が水浴びをしていた。その少女は長い髪を池の水で洗っていて、次の瞬間にはお互いの目があってしまった。で、少女は逃げるでもなく、こちらを凝視していて、その目に吸い寄せられるように、ぼくもどんどん近づいていって、とうとうその少女の肩に両手をかけた次の瞬間には、その少女を押し倒していた。
夢はここまでで、その先のことは憶えていない。たぶん、そのときは、キスもしたことがなかったので、押し倒したその先というのは、見たくても見れなかったのだろう。
それで、夢で見たその少女というのが、実は隣のクラスのある美少女だったので、あれれ、なんであの子が夢に出てきたんだろうと、戸惑ってしまったのだ。というのも、その子のことを好きだという気持ちがなかったからだ。でも、夢に出てくるくらいだから、ほんとうは好きなんだろうか、と考えたりして、自分で見た夢にもかかわらず、なんだか訳がわからなくなった。
その子は、入学早々に上級生に交際を申し込まれていたし、通っていた中学には専属のカメラマンがいて、校内の行事のときは、いつもその人が撮影していたのだけど、そのカメラのお兄さんも、なにかとその子を撮影していた。で、その子は、そういうのに慣れているという感じで、大人びたところがあって、なんとも近寄り難い存在だった。一度も話をしたことがなくて、いつも遠目に眺めているだけだった。
ぼくは剣道部だったのだが、体育館をバスケ部が半分、残りの半分を剣道部と体操部が使っていた。なので、稽古の後、横一列に並んで正座している目の前を、体操部の女子たちは、ボールを転がしたり、マットの上で足を開いたりしていた。その子も体操部だったのだ。
しかし、いわゆるスケベな気持ちというのはなくて、奇麗だなあ、と思うだけだった。そして、奇麗だなと思う気持ちはあっても、できればその子と仲良くなりたいという気持ちにはつながらなかった。奇麗だけど、きっと性格はきついんだろうな、とか、ぜんぜん眼中になさそうだし、とか、そういう否定的な感情の方が強かったのだ。
そんなわけで、夢でその子を見てしまったのには、戸惑ったのである。誰かを好きになるというのは、ある程度はお互いに気があって、そこそこ仲がよくて、もっと仲よくなりたい、という気持ちの延長にあるのだとしたら、それとは別に、イメージとしての異性というのが無意識の中にあるのだろう。そして、両者は必ずしも一致しないのだ。
そのときの夢をいま思うと、夢精したにも関わらず、たとえば胸の膨らみとか、そういう具体的な身体イメージというのは皆無で、いわば妖精のような穏やかな光の感覚だけで構成されていた。いったいあれは何だったんだろう、と思いながら、授業をさぼってポーの詩を読んだわけだが、さて、その詩をいま読んだら、どんな気分になるのだろう。
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