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そもそもペニスはどのようなメカニズムで勃起するのか。まず外部からの性的刺激に脳が反応して、血液中にNO(一酸化窒素)が発生するように脳から指令が出る。NOによって血管が拡張し、ペニスが勃起するが、これだけでは勃起は持続しない。勃起が持続している状態というのは、さらに動脈が拡張してペニスに大量の血液が流れ込み、海綿体が静脈を圧迫して血液の流れが押さえつけられた状態である。このさらなる動脈の拡張を引き起こすのがcGMP(環状グアノシン一燐酸)で、このcGMPというのは血液中のGTP(グアノシン三燐酸)がNOによって変換されたものである。
勃起不全(ED)は、このcGMPが少ないことと関係している。PDE-5(cGMP-specific type
5 phosphodiesterase)という酵素はcGMPを分解してしまう。そのため、PDE-5の分泌が多いと、cGMPが分解され、少なくなってしまう。
それでは、cGMPが分解されないようにすればいい、というのがバイアグラの原理であり、バイアグラの主成分であるクエン酸シルデナフィルがPDE-5を阻害するのである。
ということは、バイアグラの効果というのは、ペニスの勃起を持続させる点にあるわけであって、これを服用するだけで、ふにゃふにゃで萎えきったペニスがたちまち勃起するというわけではないのだ。
岸田秀は『性的唯幻論序説』で「基本的に不能である男をして性交ができるようにするための文化装置として、性関係における男の優位を認めるとか、女が性的魅力を振りまいて男に媚びるとかの性差別が必要になったわけだから、そういうことをしなくても、この薬を飲ませるだけでペニスを勃起させることができるのであれば、論理的に言って、差別的性文化はいっさい不必要になる」と書いているのだが、どうやら岸田はバイアグラを飲むだけでペニスが勃起すると誤解しているようだ。
岸田の「唯幻論」は、次のような基本モチーフが出発点になっている。
――人間は本能の壊れた動物であり、性本能も壊れている。人間は本能によってはいわゆる正常な性交ができない。人間は基本的に不能である。この不能を克服するために、人間は幻想に頼る。性にまつわる一切は幻想であり、文化の副産物である。
でも、ほんとにそうか、と思うのだ。
たとえば、いっさいの性的幻想に頼らずに、単にペニスをいじるだけで勃起できることがある。このような刺激−反応のメカニズムは、人間の本能と呼ばないまでも、身体に実装されているのは確かであり、いついかなる場合においても性的幻想に頼らなければペニスは勃起しない、というわけではない。
もちろん、それは体調や心理状態に大きく影響されるし、オナニーではなく、誰かとセックスしているときには、そうした影響はより強く作用する。でも、すごくリラックスして、お互いの身体を撫でたり摩ったりしているときの気持ちのよさは、叩かれると痛いといった身体の反応と同じように、あらかじめ身体に実装されている感覚である。そのような気持ちよさを感じる器官というのは、耳であったり、脇腹であったり、足指であったり、肛門であったりするわけであり、決してペニスだけに限定されるものではない。
そうした身体の気持ちよさの諸感覚は、ペニスの勃起だけを特別なものとして位置づける「幻想」によって、抑圧されたり、二次的なものとされてしまう。
フロイトは、人間の性欲は、口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、性器期というコースを辿って発達すると考えた。口唇リビドーや肛門リビドーは前性器的で倒錯的なリビドーであり、これらは性器期において性器の優位のもとに統合されるという。
この性発達図式で、男根期と性器期の違いがよくわからないのだが、男根期は胎内復帰願望と関係があるらしい。岸田は「文字通り胎児に戻って母親の胎内に帰ることはできないので、男根期において、自己の代表者であるペニスを胎内への通路である膣に入れるという形を取る」と説明している。
じゃあ女はどうなるのかというと、「女は男になりそこねた男である」とフロイトは説明しているらしい。「フロイトによれば、幼児は女の子も男根期までは男のつもりで、そのとき始めて男根がないこと、あるいは小さな男根(クリトリス)しかないことに気づき、依存対象を母親から父親へ切り替えて女として生き始める」と岸田は書いている。
男のリビドーは男根期と性器期で連続的であるのに対して、女のリビドーは男根期においていったん挫折してしまい、性器期において、男根を膣に入れるという能動的な性欲を、膣に男根を入れられるという受動的な性欲に逆転しなければならない。だから、「女の性欲は男より複雑で混乱している」と岸田は説明する。
この説明は、たしかにもっともらしい。でも、男根期の欲望がつまるところ胎内復帰願望なのだとしたら、なぜそれがペニスを膣に入れる形に代表されなければならないのか。
そうではなく、男根期のリビドーとは、単にペニスの刺激が気持ちいいというだけにすぎないのではないのか。その気持ちのよさは、胎内復帰願望とは何の関係もないように思う。とすれば、胎内復帰願望が、なぜこれほど強力な「幻想」として機能しているのかを問わなければならないだろう。
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