ゲイでもクィアでもない男のセクシュアリティ考
第12回 「ファルスは存在しない」

豊福剛

 ペニスを持つ少女のことが気になっている。といっても、齋藤環が『戦闘美少女の精神分析』で提示した「ファリック・ガール」の文脈で気になっているのではない。そうではなく、ペニスを持つ少女を描いている二つの絵が気になっているのだ。
 ひとつは、砂の『ピアシング』(『フェミニズムセックスマシーン』収録)で描かれている「チンポを付けた女」だ。わずか先の未来、女がピアスのように気軽にチンポを付け始めた時代。なぜチンポを付けるのか。「デカいピアスみたいなもの」だと、その女は言う。
 「ピアスをすると軽くなるわ。古いカラダには他人の重さがしみついてる。だからピアスをして新しいカラダにする。新しいカラダは自分だけの軽やかなもの。チンポも同じよ。元に戻らないからイイのよ。」
 ラカンによれば、男はファルスを持つ存在であるのに対して、女はファルスを持たない存在である。そして、ファルスの他者、不在、欠如である女は、ファルスを意味付ける存在、ファルスである存在になる。ラカンは性差を、ファルスをもつこと(=男)とファルスであること(=女)の差異として定式化した。
 すると、ファルスである存在(=女)がファルスを持つとき、それはいかなる主体になりえるのか。ファルスを持つことで軽さが獲得されたのは、自分のカラダが他人の重さから解放されて、自分だけのものになったからだ。その軽さは、二つの行為で表現されている。ひとつは、街で男に「ね、私とセックスしない?」と声をかける行為として、もうひとつは、男に自分のチンポをしごかせる行為として。
 それにしても、この「チンポを付けた女」は、なぜ男(FTM=Female To Male)ではなく、あくまで女なのだろうか。もし男なのだとしたら、同性愛の話として読むことができるはずだが、そのような読みは拒まれているように思う。そうではなく、その女のチンポは、あくまで女の身体に接合された女の器官であり、男によって欲望されるチンポなのである。だとすると、はたして男はそのようなチンポを欲望することが可能なのだろうか。その女のチンポは、男が見た幻影なのではないのか。男の隠された欲望、女なしにファルスの現前を獲得したいという欲望なのではないだろうか。
 もうひとつの絵は、これと似ているようでいて、しかし、どこか決定的な違いがあるように思う。ハンス・ベルメールの絵が多数収録されている本(Piere Dourthe, "Bellmer - le principe de perversion")を見ていたら、ペニスを持つ少女の絵があった。ちょうど唇から長く伸びた舌のように、女陰からペニスが突き出ているのである。
 ベルメールが描く身体は、ある独得の仕方で、身体の器官と器官とが、騙し絵のように重ね合わされている。いや、重ね合わされているという言い方は、あまり正確でない。身体を認識するとき、身体のイメージは、ある種の統覚原理によって構成されているとしたら、ベルメールが描く身体においては、そのような統覚原理が徹底的に破壊しつくされているのだ。そして、身体の個々の器官は、いったん断片に分解された上で、それらの器官の強度によって、連想記憶的に配置し直されているのである。
 たとえば、屈んで突き出された尻がペニスとして描かれている。そこでは、尻はペニスであり、ペニスは尻なのだ。ベルメールの連想記憶的手法においては、目と女陰が、鼻とペニスが、互いに連結する形で描かれている。
 鼻とペニス、目と女陰といった対応は、表面的には陳腐なものに思えるけれども、ベルメールの絵には身体に対する無残で容赦ない視線があって、その視線が、身体のもつ本来的な生々しさを浮き上がらせている。その生々しさには、死体を見るときに通じるような、グロテスクで不気味な感触がある。
 ベルメールの人形の多くは、まさに死体であるかのような人形である。それは、身体イメージをモデル化したものではなく、むしろそのような身体イメージは破壊され、個々の器官は倒錯的に連結されている。それは慣れ親しんだ身体イメージとはかけ離れている。そして、身体イメージに還元されない器官そのものの強度が表出する。だから不気味なのだ。
 ベルメールの絵で描かれている身体では、ペニスだけが能動的なのではなく、女陰やアナルも能動的な器官として描かれているように思う。それらは、統覚原理によってではなく、器官の強度によって他の器官と連結されるのだ。そして、その連結可能性は、身体の表面における連結だけでなく、身体の内部に対しても開かれているし、さらには、自転車や便器といった機械に対しても開かれている。
 女はファルスであるというテーゼを、おそらくベルメールは冷笑するに違いない。ファルスなど存在しない。存在するのは身体だけだ、とベルメールは言っているように思う。