ゲイでもクィアでもない男のセクシュアリティ考
第7回 オリンピック選手のクールなセックスアピール

豊福剛

 最近のオリンピック選手は、美女が増えたといわれる。
 たしかに、70年代に活躍したオリンピック選手で、記憶に残っている美女といえば、札幌冬季五輪(1972年)のときのジャネット・リンとか、モントリオール五輪(1976年)のときのナディア・コマネチくらいしか思い出せない。
 80年代になると、かなり状況が変ってくる。まず何といっても、新体操。オリンピックに出場したのかどうか、憶えていないのだが、ブルガリアのリリア・イグナトバの演技は、いまでも自分の中では新体操を見るときのイメージの原点になってる。それから、ソウル五輪(1988年)のときのフロレンス・ジョイナーの長い黒髪と赤い爪。当時、江口寿史のマンガで、笑いながら疾走するジョイナーの、どこか不気味な感じをネタにした絵があったのを憶えている。
 ジョイナーは、それまでのオリンピックの常識を変えた気がする。まあ、新体操とかは別にして、たとえば陸上なんかでは、選手が化粧するのって、ある種のタブーだったのではないだろうか。100分の1秒を競う世界では、禁欲的であることが、暗黙の前提になっていて、化粧してもいいじゃないという発想すらなかったのではないか。もし日本人がジョイナーみたいに化粧していたら、そんな浮ついた根性だから、結果が出せないのだといって、バッシングされたに違いない。やれやれ。
 ただ、当時のジョイナーの写真を見たら、お臍までは出していなかった。そう、シドニー五輪では、多くの陸上選手が、お臍を出していたのだ。たとえば、走り高跳びの太田陽子選手の腹筋に、思わず息をのんだ人は、男女問わず多いはずだ。
 陸上競技全般で、肌の露出度が増えてきたのに対して、逆に水泳では、スパッツはもちろん、手首と足首まであるフルスーツ、袖なしで足首まであるロングジョン、袖なしで膝上まであるレッグスーツなど、スーツ系の鮫肌水着が台頭してきた。この傾向は、長野冬季五輪のときのスピードスケートを連想させる。縫い目の位置ひとつで、抵抗が変わる世界だ。筋肉の凹凸を補正する機能もあるらしい。もはやウェアではなく、全身を覆う人工的な皮膚といった方が適切なのだろう。
 それでは、体操はといえば、レオタードのデザインは凝ったものが多いし、もちろん化粧はしているしで、この10年くらいテレビで見てなかっただけに、浦島太郎状態になってしまった。そうか、最近はまたルーマニアが強くなったんだな、と思っていたら、ラドゥカンのドーピング問題で、まさかコマネチまで登場するとは。体操といえば、段違い平行棒の女王ホルキナは、まさかの転落で、ロシアの空気がお通夜みたいになるわ、ホルキナは泣き出すわで、一気にこっちが感情移入させられたところで、でも、最後の床で、見事に決めたホルキナ。もう一目惚れ。さらに種目別では、段違い平行棒にキスして、再び涙、でも今度は歓びの涙、というわけで、ああ、やっぱり女王様はこうでなくっちゃ。
 体操や新体操は、ロリコン趣味の人には、たまらないものがあるらしいが、ゲイでもクィアでもなく、もちろんロリコンでもないぼくは、やっぱり成熟した大人の女性、体操だとホルキナ、新体操だとウクライナのビトリチェンコ、といったあたりが好きなのだ。
 ロシアにしろ、ウクライナにしろ、フィギュアスケートや新体操での旧ソ連圏の女性たちが魅力的なのは、バレエの伝統と関係あるのだろうか。というのは、何か独特の「構築性」を感じるからだ。それは、中国や日本の選手たちからは、残念ながら感じることができない、何かである。もちろん、ロシアや東欧の選手だったら誰でも、というわけではなく、むしろごく一部の選手から例外的にそれを感じるだけなのだが。
 なんてことを考えながら、実はひとつ気になったことがある。体操女子団体で、ロシアの選手たちのレオタードの胸の乳首のあたりが、わりとはっきりと突起していたのだ。それは体操に限ったことではない。テニスのヴィーナス・ウィリアムスやドキッチだって、突起していた。
 たかが乳首のあたりの突起ぐらいに、男ってのはなぜかくも刺激されてしまうものなのだろう。
 実物を見たことはないが、乳首の突起を気にする女性は、ニプレスを貼ったりするらしい。すごく面倒くさいことなんだろうけど、やっぱり男たちの視線が嫌で、そうするんだろうなあと思うわけだ。そう考えると、問題は乳首のあたりの突起に向けられた男たちの視線にあるわけだ。
 でも、ぜんぜんそんなこと気にしてない彼女たちの振る舞いが、とってもクールでいいなあ、と思ったのだ。
 そのクールさは、たとえばビーチバレーを見てても感じた。5ポイントごとのコートチェンジやタイムアウトのとき、堂々と両足を開いて坐っている選手たちからは、男たちのスケベ視線をものともせずに、ただ力強さだけが伝わってくる。アタックやブロックが決まったときのガッツポーズも、抱き合う姿も、ただひたすら力強いのだ。その突き抜けたクールさが、とっても新鮮だった。
 圧巻はバレーボールだ。うっかりして、ブラジルやイタリアの試合は見逃したものの、キューバ×ロシアの決勝戦、第2セットまでのロシアの粘りに粘っての逆転に感動しつつも、第3セット以降のキューバの圧倒的な強さに、とても爽快なものを感じた。ロシアのアルタモノワのSMの女王様みたいな表情もいいけど、やっぱりブラックビューティ全開のキューバのトレスだ。ロシアもキューバも、どっちのスパイクも強烈だ。でも、ロシアの選手の動きは、どこか直線っぽいところがあるのに対して、キューバの選手の動きは、身体全体にバネのようなうねりがあって、とてもグルービーだ。
 それにしても、キューバの選手は、あのユニフォームでお尻とか気にならないのだろうか。ほんとうは嫌なのかもしれない。でも、それを気にしている感じはなく、むしろ自分たちのバレーに自信をもっているのと同じくらい、自分たちのお尻にも自信をもっている気がした。
 彼女たちのお尻ではなく、彼女たちの動きに感動した、といったら嘘になる。
 彼女たちのお尻にも、彼女たちの動きにも、同時に感動したのだ。