前回は「覆い」が持つリアリティの話だったね。なぜ人間は対象が覆われているときほど、そこに「なにかがある」感じ、つまりリアリティを感ずるのか。そういう話だ。これはとても重要な問題で、考えようによっては人間がおこなう、ありとあらゆる表現行為は、すべて「リアルな覆い」「リアルなみかけ」を作り出すことが目的と言っても過言ではないかもしれない。たとえば現代アートの世界は、ひどくコンセプチュアルで抽象的な世界になってしまっているけど、けっして「覆いのリアリティ」からは自由になり切れていない。いうまでもないことだけれど「いかなる表現も意図しない」という身振りが、すでにして立派な「覆い」になってしまうんだからね。アートという文脈の中では。
 で、唐突なようだけど、今回は「ヒステリー」について取り上げてみようと思う。なぜかって? まさにヒステリーこそが、「覆いのリアリティ」を語る上で、うってつけの対象だからさ。いいかえるなら「みかけ」と「本質」の関係性を知るうえで、ヒステリーは絶対にはずせないテーマのひとつなんだ。
 ヒステリーという言葉から、なんか女の人がキーッとなってるイメージを連想する人は多いと思う。「ヒステリック」なんて言葉もあることだし。でも、それはヒステリーのある特殊な側面を、かなりマンガ的にデフォルメしただけのものだ。そうした表象がポピュラーになっていく過程にも、「ヒステリー問題」の本質が現れているんだけど、こちらはむしろフェミニズムの議論になっちゃうかもしれないね。本当はこのテーマで一冊本が書けるくらいの問題なので、今回はできるだけ脱線せずに、あまり臨床から離れないようにして語ってみようと思う。
 ヒステリーは、その症状が実に多彩なことでも知られている。あまりにも多彩で、「これこそがヒステリー」と呼べるような、典型的症状はない。でも、いちばん良く知られているのは、やはり身体にあらわれるものだろうね。これがまた、実にさまざまなものがある。ざっと挙げるなら、ヒステリー球、卵巣痛、オピストトーヌス、感覚脱失、視野狭窄、ヒステリー性盲・聾、失声、いろんな麻痺、失立・失歩、けいれん、局限性疼痛など、といったところ。ちなみにヒステリー球っていうのは、のどにボールのようなものが詰まっているような感覚のこと。オピストトーヌスっていうのは、「後弓反張」ともいわれるけど、全身が弓なりに反っくりかえって硬直した状態を指している。もっとも、こういう派手な症状は、最近はほとんどみかけない。じゃあ最近はどんなか、という話はもうちょっと後でしよう。
 ヒステリーという病気は、かなり古くから知られていた。たとえばギリシャ時代、かのヒポクラテスの時代からね。なんでもプラトンにもその言及があったということだ。当時は子宮(ギリシャ語でhysteron)が移動することがこの病気の原因、みたいに考えられていた。つまり女性の病気ってことだね。ちなみに中国の古い文献にも、同じような記載があるらしい。さっきも話したように、ずいぶん派手な身体症状が出るものだから、「魔女狩り」が激しくなったルネッサンス期には、魔女とみなされて処刑されたヒステリー女性が多かったという。
 こういう発想は西洋ばかりじゃなくて、じつは漢方医学にも似たような考え方はある。そう、いわゆる「血の道」ってやつだ。ここには女性特有の更年期障害や、月経困難などに加えて、精神のいろんな不調も含まれている。漢方で「ヒステリー球」にあたるのは「梅核気」、つまり、梅のタネがのどに詰まったような感じとして知られている。なんでもストレスが原因で「気」が停滞するから起こると考えられているらしい。それと、昔からある「憑きもの」なんていうのも、いまならヒステリーに分類されるだろうね。いまはめったにみかけないけど、明治期くらいまでの日本では「犬神憑き」「狐憑き」など、いろんな憑依現象がよく知られていた。この関連でいえば、イタコや巫女だって、その憑かれやすさを職業にした人たちとも言えなくもないから、不謹慎を承知で言えば彼女たちは「プロのヒステリー」ってことになる。こちらも女性が多いのは周知の通り。洋の東西を問わず、こうした問題が、主に女性を中心にみとめられてきたっていうこと。まずはこのことを覚えておいてほしい。
 さて、時代変わって19世紀のフランス。すでに催眠やメスメリズムなどの視点からヒステリーの治療は行われていたんだけど、正規のアカデミズムがこの問題に注目したのは19世紀も末のことだった。いまでいえば精神科医と神経内科医を兼任していたような神経学の教授シャルコー(1825-1893)は、パリのサルペトリエール病院でヒステリー患者の治療を行っていた。シャルコーは神経学の視点からヒステリーを理解しようとしたんだね。ちなみに彼は精神分析の歴史からみると、とっくに過去の人だけど、神経内科的にはいろんな疾患にその名前が冠されている、かなり偉大な医師だ。だからヒステリー研究はその副産物というかオマケみたいなものなんだね、本当は。
 シャルコーはヒステリー患者を催眠を使って治療してみせた。その症状が催眠で変化するということは、ヒステリーが身体じゃなくて精神から生じていることを意味している。こうしてシャルコーは、「子宮の病」という古い考え方を一掃したんだね。彼はまた、男性のヒステリー患者がいることから、それが女性特有の疾患であるということも否定した。女性が圧倒的多数であるということには変わりなかったけれど。ちなみに僕が男にもヒステリーがあると初めて知ったのは、なんと漫画「巨人の星」、それもよりによって、かの伴宙太のセリフだったように記憶している。たしか「男のヒステリーをヒポコデリーという」というような内容だったけど、これは正確には「ヒポコンドリー(心気症)」。いろいろ体の不調を訴えるんだけど、調べても何の異常もないという症状を指す。もちろんこの症状も、男に限ったものじゃないけれど、まあ当たらずといえども遠からずで、いやはや、おそるべし梶原一騎。
 閑話休題。シャルコーはサルペトリエール病院で、ヒステリー患者たちを用いて講義をしていた。これが有名な「火曜講義」だ。ひどい人権侵害だって? でも、こういうやりかたは「患者供覧」と言って、医学教育では普通になされてきた講義スタイルなんだよね。ぼくも大学の精神医学の講義で、患者供覧の授業を受けたことがある。まあ、見ているほうが申し訳ないようなものではあったけれど。それはともかく、シャルコーはこの講義を、一般にも公開していた。つまり医学生じゃなくても、彼の講義を見物することはできたってわけだ。だから、さまざまなヒステリー患者がシャルコー教授の催眠術で発作を起こすさまを見物したのは、パリ社交界の人々でもあったんだ。シャルコーはそんな患者たちを多くの写真にも記録している。
 でもね、それはやっぱり一種の「見世物」ではあったんだね。供覧されたり被写体となったりした患者は、けっしてランダムに選ばれたわけじゃない。美人で、いかにもそれらしい「発作」を演ずることができる患者が選ばれたんだ。それも狂女の象徴ともいうべき、ハムレットのオフィーリアの格好かなんかさせられてね。とりわけ有名なのはオーギュスティーヌという名の少女で、彼女は発作の演技にかけては群を抜いた「才能」があった。でも、あんまり頻繁に「見世物」にされたせいか、治るどころか彼女の症状はどんどん悪化した(当然だ)。しばしば反抗的になり、ときおり凶暴になって暴れ、窓ガラスを壊したりするようになった。このため厳重に拘束されることが多くなったんだけど、結局彼女は病院から逃げ出してしまう。どうやら男装して逃げ出したらしいんだけど、もし事実だとすれば、なんとも皮肉な話ではあるね。ちなみにオーギュスティーヌに関心がある人には、J.ディディ=ユベルマン『アウラ・ヒステリカ』(リブロポート)をお勧めしておこう。サルペトリエールの患者写真も満載だ。ちょっと、文章は読みづらい本だけどね。…おっと、ずいぶんシャルコーで時間をとってしまった。でもヒステリーを理解するには、その歴史を理解することが欠かせない。だから、もう少し辛抱してくれ。
 シャルコーのもとには、フランス国内のみならず、国外からもおおぜいの学者が勉強しにやってきた。弟子の中でも筆頭格だったのはピエール・ジャネ。もちろんフロイトも短い期間ながら訪問している。このふたり、いずれ劣らぬ精神分析の創始者だ。ジャネについては本題からはなれるので、あまり詳しくはふれないけど、実はいま、精神科医のあいだでフロイト以上に再評価されているのはジャネのほうなんだよね。このところ急速に増えてきた「多重人格」のメカニズムを説明するために「解離」という概念がよく使われるんだけど、この概念の創始者がジャネなんだ。
 まあ、それはいいとして、フロイトはシャルコーの講義を受けながら、すごく感銘を受けた。そして帰国してから、精神科医のブロイアーと一緒に、ヒステリーの研究をはじめたのだ。この研究はフロイト最初期の重要な著作「ヒステリー研究」として発表されるわけだけれど、この本にはヒステリーの病因論としての性的外傷説や、無意識の意識化への抵抗、防衛、抑圧、感情転移などといった概念がすでに出揃っている。そう、フロイトはヒステリーの研究によって、「精神分析」を発明したんだ。だからヒステリーの存在は、精神分析にとってはまさに恩人みたいなものなんだ。
 フロイトがブロイアーと一緒にとりくんだ患者は「アンナ・O」という名前で知られているけど、もちろんこれはプライヴァシーに配慮しての仮名。彼女は1880年から2年間、神経性の咳や麻痺、言葉が話せなくなったり目が見えにくかったりといった症状に苦しみ、ブロイアーの診察を受けた。
 あるときアンナ嬢は、ひどくのどが渇いているのに水が飲めなくなった。彼女は催眠をかけられると、その理由を語りはじめた。彼女の嫌っていたイギリス人の侍女が、飼っていた犬にコップから水を飲ませているシーンを目撃して、すごく嫌な感じを持ったというのだ。まあ侍女に悪いからなにも言わなかったらしいけれどね。ところがアンナ嬢は、このことをうちあけた後で、急に水が飲みたいと希望し、大量の水を飲みつつ催眠からさめた。このエピソードから、症状の原因を話すことは、その症状を取り除くこと、つまり治療に役立つということがわかったんだ。もっとも、アンナ嬢がこれで完治したかどうかは疑わしいんだけどね。その後も想像妊娠とか、いろんな症状が起こってるし。
 これ以上の詳しいことは省略するけど(もっと知りたい人はぜひフロイトの「ヒステリー研究」を読んでみて欲しいな)、彼女は言ってみれば、言葉によって治療を受けたはじめての患者なんだね。アンナ嬢自身がこの治療を「お話療法」とか「煙突掃除」と命名した。そういう機知と行動力に富んでいた彼女の本名は、ベルタ・パッペンハイムという。彼女はのちに孤児院の院長をつとめたり、フェミニズム活動家としてたくさんの著作をのこした。
 さて、それではフロイトが考えたヒステリーのメカニズムとは、どんなものだったのだろうか。
 フロイトは多くのヒステリー事例を治療した経験から、それが「表象による病気」、つまりイメージによって起こる病気として考えるようになった。つまり、「自我が受け入れがたいある表象」を抑圧することが原因であると考えたんだ。じゃあ、「受け入れがたい表象」ってなんだろう。さっきのアンナの例で言えば、嫌いな侍女が犬に水をやっているシーンということになるんだけど、フロイトはそれをさらに一般化して、そういうイメージが幼年期に体験された性的経験から生じてくると考えた。つまり、ヒステリーの患者は、子供時代に大人から性的に誘惑されたというトラウマを持っている、というのだ。今の言葉でいえば「性的虐待」ってやつだね。このトラウマが、心の中にながく留まっていて、あるときから、まるで異物のように振る舞いはじめるってわけだ。これが「幼児体験」の「トラウマ」が「抑圧」され、のちに「症状」に変化するという、良く知られた精神分析の基本的考え方ということになる。
 もっとも、フロイトはこの誘惑理論を、のちに訂正することになる。つまり、性的虐待が実際にあったとは必ずしも言えなくて、それはしばしば「幻想」であり、患者にとっての「心的現実」であったりする、というふうに。この変節ぶりはずいぶん批判された。今フロイトの評判が悪いのは、実はここにその原因の一端があったりする。なぜかって? フロイトは、その衝撃的な理論が上得意である社交界に与える影響に配慮して、考え方を変えたと誤解されたのだ。そういう考え方は虐待者の罪を軽くすることになるというわけだ。でもぼくは、そういう政治的な背景がかりにあったにせよ、フロイトはよりいっそう精神分析を洗練するために、そうするしかなかったんじゃないかと考えている。ヒステリー患者の訴えるトラウマが、本当にあったかどうかについて判断することは、精神分析家にとって一番に大切なことじゃない。むしろ、それが事実であろうと幻想であろうと、「心的現実」という点では同じことなんだ。この姿勢に留まることが、もっとも誠実な分析的態度だと思うんだけど、どうだろう。
 さて、フロイトが考えたヒステリーには、二つのタイプがある。転換ヒステリーと不安ヒステリーだ。転換っていうのは、いろんな心の葛藤が、身体の症状に転換されるから、この名前がある。そう、まさにシャルコーが見世物にしていたタイプの患者たちは、この転換タイプだったわけだ。このとき「転換」っていうのは、葛藤が症状というシンボルのかたちをとって表現される、と考えることもできるだろう。まさにヒステリーらしいヒステリーだね。いっぽうの不安ヒステリーというのは、なにか外の対象に不安が結びつけられるもので、こちらは「恐怖症」という形をとりやすい。そう、対人恐怖症や高所恐怖症みたいなものだね。でも、今回ここでいう「ヒステリー」っていうのは、主に転換ヒステリーを指していると考えて欲しい。
 フロイトによれば、こういう転換症状の苦しみというのは、いわゆるオルガスムと同じものであるという。だから、症状が出ている体の部分は、いうなれば性感帯なのだ。彼はこれをさらに敷衍して、ヒステリー者は身体をエロス化するけれども、性器的な快楽は麻痺しているとする。こういう逆転が、ヒステリー患者を好色そうに見せる反面、いざとなると性関係を拒否するような態度にもつながる。セックスアピールを振りまきながらも、自分がセックスすることに対しては激しい嫌悪感を示したりする女性。こういう女性は、たしかにいるよね。たとえ身近にいなくても、映画や小説ではおなじみのタイプだ。フロイトは、こんなふうに性的興奮にたいして嫌悪感を示す女性はすべてヒステリーなのだと、ほとんど決めつけている。つまり、ヒステリー者の欲望は、常にこういう矛盾というか分裂を抱えているわけだ。では、こういった矛盾はなぜ起こるのか。
 ここでようやくラカンの登場だ。ラカンもヒステリーをすごく重視していたからね。彼は転換ヒステリーについて、こう考えていた。それは想像的な解剖学にしたがって起こる、と。例えば、体の右半分が麻痺したと訴える患者がいるとする。このとき、もし本当に脳内出血などで麻痺が起こっている場合は、麻痺の部分が首から上と首から下とで左右が逆転しているはずだ。顔の右半分の感覚や運動をつかさどるのは、大脳の右半球だけど、体の右半分を支配するのは左半球だからだ。正確な解剖学ではそうなるけれど、ヒステリーではそうはならない。ヒステリーの場合は、顔も体も同じ側に麻痺が生ずる。これは本当は、解剖学的にはおかしいんだけど、ヒステリー患者のイメージする解剖図にしたがって麻痺が起こっているとラカンは表現したんだ。このことはほかの症状、たとえば「ヒステリー球」にも当てはまるね。解剖学的にはなにもない場所に、そういうボールみたいなものが詰まっていると感じるわけだから。さっきもちょっと触れたように、フロイトはヒステリー症状が有害なイメージを抑圧することによって起こると考えていた。ラカンはこの考えに、ヒステリー症状はイメージを介して表現されるということを付け加えたわけだね。自分を表現するのに、そういうイメージの「覆い」を用いる主体。そう、ここにまず「分裂」の、一つのきっかけがある。
 さらにラカンは、ヒステリーは神経症の一種で、ちょうど強迫神経症と対になっている、とも考えた。それというのも、ラカンは神経症を「問いの構造」として説明しようとしていたからだ。つまり、ある形式の問いを発し続ける主体を神経症と呼ぶ、という具合に考えたんだ。そのとき強迫神経症は「自分が存在しているかどうか」、言い換えるなら「自分は生きているのか死んでいるのか」という問いかけをする主体ということになる。ちょっと難しいね。説明しよう。
 強迫神経症の症状って、過度な潔癖症とか、極端な几帳面さとか、何度も繰り返される確認行為なんかが代表的だけど、これは表面上は、ゆきすぎた安全確認行為に見える。もっと言えば、彼の行為は、死の恐怖をなんとかして逃れたいという、死にものぐるいの努力にみえる。ところが、ここにパラドックスが生じてくる。たとえば潔癖症がこうじると、手の皮がすりむけても手を洗い続けようとする。あるいは強迫的な確認行為をする人は、その行為に固執するあまり、自分の生活を破壊してしまう。そう、必死で死を免れようとする行為が、なぜか懸命に死を望んでいるように見えるという皮肉な事態が起こってくるわけだ。でもまあ、ややこしい理屈を並べるよりも、北野武の映画『ソナチネ』に出てくる主人公の「あんまり死ぬの怖がってると、死にたくなっちゃうんだよ」という言葉をよーく吟味してみれば済むことかもしれない。完璧に不死の存在っていうものがありうるとすれば、それはすでに死んでいる存在だけだ。実は不死と死というのは、同じことなんだよね。
 強迫神経症が自分の存在に対する問いかけであることは、これでわかったよね。ではヒステリーは何を問いかけているんだろうか。ラカンは言う。それは性をめぐる問いかけなのだ、と。つまりヒステリー者が問うのは「自分は男なのか女なのか」「女とは何か」という問いかけなのだ。そしてこの問いのかたちは、患者の性別とは関係がない。男だろうと女だろうと、ヒステリーはこのように問い続ける。もっとも、やはりこういう問いかけを懸命にするものは女性に多いんだけどね。これは、さっき説明した強迫神経症が男性に多いことと、ちょうど対になっている。ここはね、実際に臨床やってると思わずうなっちゃうところ。だって、本当にそうなんだもの。この部分、下手をすると「ひきこもり」が男性に多い理由にも応用できそうだなあ。こういう見事な整理は、臨床家ラカンの面目躍如という感じだ。
 ところで「性別への問いかけ」を、ぼくなりに翻案するなら、それは「関係性」への問いかけということになる。性、いわゆる「ジェンダー」なるものは、関係性の中にしか存在しないと僕は考える。だからここでは、「存在への問いかけ」と「関係への問いかけ」が対になっていると考えるべきなのだ。さらに極論するなら、あらゆる関係性は性的な関係性じゃないだろうか。ぼくにはそう思われて仕方がない。そしてヒステリーの存在こそは、いつの時代も社会制度や学問の枠組みを逸脱し、「性」すなわち「関係」を通じて、挑発を続ける存在だった、とも考えられる。
 そんなヒステリーのイメージは、実は女性のイメージと深い関係にある。ラカンの、有名かつ評判の悪い箴言に「女性は存在しない」というものがあるけれど、この言葉はまさにヒステリーと重なるところがある。このあたりのことについては、今回十分に展開しきれなかった「女とは何か」という問いかけと絡めながら、次回くわしく論ずることにしよう。


斎藤環(さいとうたまき)
1961年生まれ。爽風会佐々木病院医師。思春期・青年期の精神病理、病跡学を専門とする。著書に『文脈病』(青土社)、『社会的ひきこもり』(PHP新書)、『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)、『若者のすべて』(PHPエディターズ・グループ)などがある。