刊行から1年半たった今も、多くの読者を獲得し続けているロングセラー『自分の仕事をつくる』の著者・西村佳哲さんは、西村たりほさんや仲間達とともに、デザインレーベル「リビングワールド」を主宰しています。そのリビングワールドが、7/23(土)〜8/25(木)に展覧会リビングワールドの仕事展「窓」を開催します。場所は、『自分の仕事をつくる』にも登場した、栃木県・益子にある馬場浩史さんのカフェ・ギャラリー「スターネット」。
展覧会の準備のために益子の地を訪れた西村さんが、馬場さんに8年ぶりのミニインタビューを敢行。『自分の仕事をつくる』のインタビュー時から8年がたち、馬場さんの活動はどう変わり、どう変わらないでいるのか? スターネットと西村さんたちの、スローでこまやかな関係づくりをご紹介します。


「自分」の切り売りはしたくない

馬場 僕はね、「自分の仕事をつくる」の読者は、若い人だけという感じがしない。社会に行き詰まりを感じ、何か違った生き方・暮し方を求めている人たちは多いんじゃないかな。

西村 本を読んでここ(スターネット)に来た、という人はいます?

馬場 いますよ。読んでいるから、みんな僕のことを知ってる。なんか、にこにこしているわけです。話をしたいのだろうなと思って声をかけてみると、わーっと出てくる。「実は…」となる。

西村 物語は1人ずつ違いますか?

馬場 違いますね。いろいろなところに行ってみたけれども、しっくり来ないとか。

西村 20代中盤の方が多いのかな。

馬場 そんなことはないです。この間会った方は40歳です。アートディレクターで、グラフィックでいろいろな賞を総ナメにしている。実力派でね。「とにかく一生懸命、上を目指してやってきたのだけれども、その先に何があるのか。もうちょっと暮らしのことをちゃんとやりたい」。

西村 それを思うようになると、大変ですよね。

馬場 みんな理想的な受け皿を探しているわけです。さまよい歩いて僕のところに辿り着くというのが多いですね。女性が大半。食に関わりたいという女の子には、アフタヌーンティーが入口で、そこで飽き足らなくなって別の店へ行き、さらに突っ込みたくなって探しているうちにここに来た、というケースが多い気がします。

西村 展覧会をやることになって足繁く通っていますが、きっかけは1年半ぐらい前、約6年ぶりにここを訪れたわけです。馬場さんはちょうど、ZONEというギャラリーを丘の上に建設中で、現場を案内してくれた。あのとき、ここで何か出来たら面白いなと思ったのです。

馬場 秋でしたか? キノコを取っていたとき。

西村 キノコ、いただきました。スターネットが成長している様子を目の当たりにして、感銘を受けた。「有言実行」ということ。8年前のインタビューでお話になっていたことを、ちゃんとつづけている。思っていたことを、思わぬ方法で、でも示した方向へちゃんと歩み進んでいる有様に、すごいなと思った。

馬場 方法は変わります。素材や人との出会いが大きい。でもやりたいこと自体は、大きなところではまったく変わっていない。一言でいえば「衣食住のクリエイティブな自給自足」ということです。

西村 「こういうのがいいと思うんだ」とか「やれたらいいと思う」とか「やってみたい」と言う人はたくさんいます。たとえば、海のそばで暮してみたいと言う人も・思う人も、たくさんいる。でも、実際に引越までする人は少ない。
 いつかそうしてみたいと思っている人は、すでにやってしまった人を見つけると、まるで同類に出会ったかのように「私も以前から....!」と語り出したりします。でもその両者の間には、大きな隔たりがある。無数のジャンプを重ねて、馬場さんはここまで来ているわけですが、ほんとうにそれをやってしまうというのは一体どういうことなんでしょうね。

馬場 自分の居場所をつくっているんだと思う。居場所がないわけですよ。自分の居場所がこの社会にない、と感じている。だから自分の居場所ぐらい自分で作ろうと(笑)。
 ただ、あまり主観的だとグロテスクになるので、もう少し輪をひろげ、仲間と一緒にやってみる。仲間のことも考えながら、1つの小さなコスモスでいいから理想的なものを作りあげる。賛同した人は参加すればいい。そういうことをやりたい。どうもね、ここから外に出ると居心地が悪くて悪くて、仕方がないんです。

西村 何歳ぐらいから、そのような心持ちに?

馬場 むかしからそうだったと思う。近年さらに激しくなっていますが、20代、トキオクマガイとの仕事で世界を飛び回っていた頃も、大事なCDを何枚かと、いちばん気にいっている自然素材のブランケットはスーツケースに畳んでいつも持ち歩いていました。どこへ行っても自分の場所を作るわけです。いつも小さな自分の場所づくりをしていて、それがいまちょっと広がっているということだと思うのですけれど。

西村 居場所づくりに、終わりはないのですか?

馬場 うーん。ないんでしょうね。だからね、他人(ひと)の仕事はあまり受けたくない。

西村 どういうことですか?

馬場 たとえば、店鋪のプロデュースにしても、外側だけ作っても仕方がない。経年変化というか、月日が経っていったときの受入れの仕方とか。そういう部分が気になるわけです。で、1年経過して再訪するじゃないですか。がっかりすることも、時にはあるわけです。
 そんな経験を何度か重ねていると、中身まで自分で見れないものはやってはいけないなと。ですけれど、やってますがね。やってますが、かなり近い関係での仕事に限っている。

西村 楽器の中に音楽があるわけではない。(これはアラン・ケイの言葉)

馬場 「自分」の切り売りになってしまうような仕事は、すごく辛いことですよね。東京で事務所をやっていた時代、企業から頼まれる仕事には、時代を先取りしたエコ関連のものも多かった。自然が大事だとか、ローマテリアルが大事だとか、手仕事が大事だとか、そういうことを考えながら関わるわけですが、けっきょくは消費されて消耗して終わってしまう。それは「自分」の切り売りですよね。
 どういうことがテーマであれ、これは一緒だなと思ったんです。最終的には、経済効率のための何かになってしまう。オーガニック・ブームもそう。循環型とかなんとか言っていますが、けっきょく経済効果のために使われている。言葉がひとり歩きしている割には、実体がどこにもないじゃないかと思うわけです。

西村 環境や持続可能性といった、これまでの仕事をこれまで通りにやる訓練をしている感じがする。

馬場 何も変わっていない。

西村 何も変わっていないです。やり方も目的もこれまで通りで、お題目の付け方だけうまく変えてやるトレーニングを、官民が一緒にやっているように見える部分があります。


企業でなく、個人と仕事をする

西村 さきの話に戻ると、ほんとうにやってしまう人とやらない人の違いは、何だと思います?

馬場 捨てるか、捨てられないかじゃないですか。自分がいま持っているものを捨てないと、やはり新しいところには行けませんよね。そこにはリスクが伴う。
 たとえば僕が東京からここに移った。これまでの仕事は一切なくなるわけです。自分のアイデンティティみたいなものも、この場所では崩壊していく。といったあたりで腰がひけて、着手できない人が多いのではないですか。生活がイメージできないとか。

西村 何かを選ぶことは同時に捨てることでもあるわけで、結局はそれが出来ない・難しいということですね。自分にもその心性はあると思います。また、東京を離れて田舎暮らしというと、隠遁するようなイメージがある。その人自身には深く分け入ってゆく作業で、とても充実した時間が流れているのかもしれませんが、端からみると閉じてしまうというか。
 馬場さんたちの田舎暮らしには、そうしたイメージが感じられない。風景に入り込んで見えなくなってゆく感じではなくて、そこから膨らんでゆくイメージがあります。別の言い方をすると、風景に馴染むというより、ますますイレギュラー感が強くなってゆく。スターネットの建物群も、躊躇なくどんどん増改築している。自分がつくったものに固執せず、次々に捨てられる理由は何でしょうか?

馬場 それしか残された可能性はないと思うから。東京ではけっきょく消耗して──東京という言い方はよくないのですが──、そういう社会のなかで消費されて消耗して生きていくのか、自分の理想に叶うものを、理想的な場所を見つけてつくっていくのか。僕のなかでは、もうそれしかチョイスがないわけです。
 場所探しという点では、20代の後半ぐらいから理想的な場所はずっと探していました。いろいろな所に行った。東京から2時間圏内ということで探していて、桐生だったり、山梨だったり、甲府からもう少し先とか。あとは房総のほう。一通り回って、でもどこも最終的にはしっくり来なかった。
 あるとき、ある人の紹介で益子にやってきて、この場所を初めて知ったわけです。なんていい場所だろうと思って、そしてその陶芸家のアトリエが茂木というところにあったのですが、そこに案内されると、またさらにいいわけですよ。

西村 他の土地では、家を探そうというところまではいかなかったのですね。

馬場 群馬県の水上のさらに山奥に、断崖絶壁、山の尾根で500メートルぐらい落ち込んでいる場所があって、冬場は3メートルぐらい雪が積もるのですが、そこに山荘を建てて週末住宅として使っていました。
 ただそこでは、音楽を作ったりは出来るのだけど、農作業は出来ない。暮しという感じが全然ない。そこでと思った時期もあったのですが、どうも生きるのには厳しすぎてダメなんですよ。

 そこは処分して、茂木というところに古い民家を借り、週末になると東京のスタッフと家族で過ごす生活を何年かしました。舞台の仕事があると、そこでお稽古したり作品についての打合せをしたり、囲炉裏で火を囲んでそういうことをやったのです。当然、畑もやっていましたし、すごくいい。
 まず、本格的にここに入るための入門編というか練習の期間があった。数年間。当時の僕は32歳ぐらいですね。

西村 ここは、来る度に変わっていますよね。どこか手が入っている。

馬場 より快適にすることは大事だと思うのです。ストレスに思うことについて、全部手入れしていく。日々、手入れし続けることが大事。
 このギャラリーも、最初は山でした。犬の散歩をしながら、ここに建てたらいいなとずっと思いつつ何年か過ごすわけですよ。それが3年ぐらい経つと、実行に移っていく。

西村 いや、みんなにとってはそこが不思議だろうな。いったい何故、馬場さんはそう出来ているのだろう。たとえば、お金はどうしているのかとか。僕も知りたい。

馬場 お金は必要なときに自分の必要に応じて、作ればいいわけでしょう。スターネットを建てるときも一文無しですよ。最初は持っているお金を全部集めて、たしか150万円だったかな。これだけあると思って、それを地主さんに持っていったわけです。
 家を建てる時も、いくらあるかを確かめる。でも十分なお金なんてない。なら、左官仕事を外注するのを止めて、その部分を自分でやろうと考える。粘土なんか安いわけです。内側はぜんぶ土壁で塗ったのですが、4トントラック一杯の材料が7万円ぐらいだったと思う。職人に発注したら、たぶん何100万円とかかる。足らないところは自分で埋める。埋めることで、技術を習得する。 
 お金は、必要に応じて。どうしても必要なときは何日かいなくなって、出稼ぎで仕事をしてくるわけです。デザインとかプロデュースとか。企業の仕事というより、個人相手の仕事です。30代の中頃は、東京の事務所で企業のCIとか、代理店の仕事もやっていました。新しい事業の立ち上げもやっていましたが、やりたくてやっていたというより、食べるためにそういう方向になった。でも企業との仕事は、自分の性格からいっても限界だなと思ったわけです。

西村 逆に日本では、いろいろな仕事が企業を介して流通しすぎているように思います。

馬場 そうですね。その結果、やっても薄まってしまうというか、アイディアとか出してみんな喜んでくれても、それが商品化されないとかね。それではエネルギーを費やす意味がない。商品化する段階で、いろいろなフィルターを通って、けっきょく違うものになってしまう。けっきょく、お金だけの仕事になってしまうように感じられて。それで、僕はやらなくなった。


選択肢の多さは豊かさかな?

西村 一年前、僕らは展覧会について、ドキドキしながら相談したのですが、直感的に選んでくれたのですか?

馬場 西村さんたちの仕事には、僕も注目していますから。スターネットというか、益子にすごく必要なものだと思っています。

西村 馬場さんにとって、益子に何が足りないのだろう?

馬場 主観的になりすぎている。つまり自分の側からばかり見ているというか。

西村 一種の作家主義みたいなことでしょうか。

馬場 それがね「抜けない」理由。ちょっと、いろいろなものが行き詰まっているんです。
 西村さんたちのお仕事は、どちらかというと俯瞰的でしょう。すこし離れて掴むというか、自分たち自身を離れて観るようなところがある。それが、何かを考えるきっかけになるといいなと思うのです。僕自身も今回の作品の断片を見せていただいて、「あー!」となった。

西村 今日、途中段階のものをいくつか見ていただきました。僕らにしてみれば、けっこうイチかバチか。まだ手探り段階のモノばかりで、ほんとうに間に合うのか!みたいな感じで。

馬場 西村さん達のお仕事には、前から興味を持っていたし、是非ここで紹介したい。益子という場所でああいう展示をするのはリスキーかもしれません。突然ですからね。今回どこまで新しい接点が生まれるかわかりませんが、ともかく1回やる。
 できれば、2回3回とつづけてほしいと思っている。そうしてこそ、最終的にやった意味が出てくるのだと思うのです。このギャラリーでお願いしている人は、全員そうです。去年やって良かったものは、また今年もお願いする。同じイベントばかりやっているように見えてしまうかもしれませんが、互いが腑に落ちるまで、手入れをしながら、「あっこれだ」と思えるところまでつづけることが大事だと思うのです。
 やる・つくる側だけではなく、観に来る側もあるわけですから、そこがちょうどいい関係になっていくまでね。

西村 ひとひとつの作品以上に、実は、その場を用意している人々のあり方や関係性が、強い影響を与えている。これは大切なことですよね。

馬場 すごく大切だと思う。そもそも僕は、そんなに多くの人の仕事を紹介したいとは思っていません。いいなと思う人は限られています。仮に、毎月毎月企画展をやるようなペースでギャラリー経営しようと思っても、やりたいものは実際そんなにはない。ですから、今のようなスケジュールになっているわけです。

西村 僕らはリビングワールドという会社をやっています。会社の資産とはいったい何だろうと考えると、数値化できないもののひとつに「関係性」があるよなと。それを大事にしたいと思っています。このギャラリーでやるにしても、場所を貸りて、やって終わりということではなく。これは馬場さんたちに関わることだ、と思いながらつくっています。
 個人的な話になりますが、学生時代は雑貨屋さんが大好きで、素敵な雑貨屋さんをよく見てまわっていました。でも20代後半に、まるで楽しめなくなっている自分に気づいた。きれいな食器がたくさん重なって展示されている。その中に、自分が作ったモノを加えたいと思えるかどうか。
 クラフトショップやギャラリーで、食器を何枚も重ねたり、すし詰めのように並べて陳列しているところがありますよね。手仕事をまるで大量生産品のように扱っている。あの有り様には、違和感を感じます。選択肢の多さが豊かさである、とは僕は思わない。

馬場 まだこれからですが、いろいろ楽しみたい。今回の展覧会。是非みなさんに来ていただいて、見てもらって、成功させたいですね。

西村 やるからには、他にないものをやらないとね。では「つづく」ということで。今日は、ありがとうございました。