田口ランディ×玄田有史

15歳〜24歳男性の失業率が12パーセントを超え、ひきこもりの人口が全国で100万人を超える。この状況で、働くことについて、とりわけその希望について語るのは、ものすごくむずかしいことだ。だが、たとえ根拠なき確信からであっても、希望に火をつけるべく語ることは必要なのではないか。『仕事のなかの曖昧な不安』で、若年層に雇用の門戸が開かれない社会構造に目を向け、フリーター問題についての新しい視点を提示してみせた玄田有史氏と、ひきこもりをはじめ若者がぶつかる困難について発言を続ける田口ランディ氏に、働くことについて、コミュニケーションについて、人の能力が開花する契機について、存分に語ってもらった。


自分のことを自分の言葉で語れるか?

玄田 最近、働くことが言葉の問題になってきてるって、すごく感じるんです。

田口 玄田さんの言っている「働くことは言葉の問題」をもう少し説明してもらえますか。

玄田 リストラっていうのは、クビ切りだっていうイメージが強いでしょ。でもリストラっていうのは大体が、実際には退職金を割り増しでもらって自分の意思で辞める早期退職なんです。その意味では一方的な解雇というクビ切りではないことが多い。大企業で解雇という本当のクビ切りをやったのは山一証券と西武百貨店ぐらい。日産だって人員整理の解雇はしてない。
 でも、自分の意思で辞めた早期退職だけど、辞めた後にきまって起きるのは、アイデンティティの喪失感。「自分が働いていた二十何年間は、結局、何だったのか」って必ず思う。特に辞める最後の1週間がすごく重要で、そこで「お疲れさま」のひとことがなかったりすると、納得して辞めたつもりだったのが、急に空しさで一杯になったりする。
 そういうアイデンティティの喪失感やこころの空白感を感じながら再就職を必死にしようとする人たちを支援する会社があって、ずいぶんインタビューに行ったんです。再就職する人たちにどういうアドバイスをするんですかってきいたとき、ある会社で言われたんです。「これまで自分がどんな仕事をしてきたかを、4〜5行でいいから自分の言葉で書いてみてください」って。
 すぐできそうに思うでしょ。でも、これが出来ないんだ。「○○支店で○○部長を何年した」なんて、どうでもいいんです。むしろ履歴書には書かれていないことだけど、自分がどんな仕事をしてきたのかを、自慢でも自惚れでもなく、かといってつまらない謙遜でもなく、ささやかな誇りをもって淡々と、でも強く簡潔に自分の言葉で語れない人の再就職はすごくむずかしいだって。転職前に1500万円くらいもらっていて、転職してもそれくらいもらえるはずだなんて思ってる人にかぎって、その4〜5行が書けなかったりする。
 なんで書けないのかって考えてみると、そもそもいままではそんなこと考えたり、話そうとしたことがない。今の会社で一生安泰と思ってる人に、こういうことをしてきたんだってしゃべることなんか求められないし、本人もしゃべろうなんて思わない。でも組織から一歩離れると、聞かれるのは「あなたはどんな仕事をしてきたのか」。でも答えられない。だから苦しい。
 プロフェッショナルだ、スキルだというけれども、働くことの本当の根源的な問題は、自分のことを自分の言葉で語れないことから来てるんです。
 だから働いていくには、1年に1回、半年に1回でいいから、自分のやってきたことを自分の言葉でしゃべれるかを考えたほうがいい、って言ってる。そんな人が今、世の中に何割いるか知らないけど、3割でもそんな人がいるようになれば、社会は変わりますよ。ぜんぜんよくなる。中高年に限らず、若い人でも、男でも女でも。

田口 書けなかった50歳代の人たちは、どういうきっかけで再就職ができるようになっていくのかな。

玄田 結局は、その人が築いてきた人間関係。いまは付き合っていないけど、昔仕事で知り合った友人とか、年賀状の300枚に1枚1枚あたるとか。年賀状は書いたほうがいいよ、ほんとうに(笑)。

田口 そういう人の紹介?

玄田 紹介というか、アテにする。電話して「ちょっといま新しく人生をやり直そうと思ってまして。お昼30分ぐらいよかったら…」なんて。でも、どんなに資格や英語力があっても、そういう話しかけられる人がいなければどうしようもないんですよ。むかしから縁故とかコネというけど、そんなキュークツそうなのとは違う、もっとゆるやかなつながりが、これからの働き方のなかでは、すごく大きな意味をもってくる。
 まえに『仕事のなかの曖昧な不安』っていう本を書いたとき、いちばん反響があったのは、ウィーク・タイズ(註:たまにしか会わないが互いに信頼する人間同士が形成する、うすいけれどもつながった関係)という言葉だったんです。
 この言葉は、グラノヴェターというアメリカの社会学者が1960年代ぐらいに考えたんです。当時アメリカで一番の深刻な問題は、人種間の格差。なぜ黒人が恵まれないのか。これには2つ説があって、1つは環境説。黒人家庭に生まれると犯罪に手を染めやすいとか、生まれ落ちた環境によって規定されているという説。もう1つは、能力説。オリンピックの100メートル競争をみると1コースから7コースまでみんな黒人選手が並んでるように、みんなこころでは平均的な運動神経や瞬発力は黒人が高いって思ってる。だったら、事務とか、営業とか、企画とか、ビジネス社会での能力は、白人の方が高いから差が生まれるんだっていって何が悪いんだと。
 そのなかで、グラノヴェターさんのは、第3の説みたいなもんです。貧しい黒人が住むスラムという世界は、ヨソから来る人はとてもコワイ世界。でもそこに住んでいる人にとっては、これほど安心できる環境はない。貧しいけど、そこには、自分と同じような生き方をし、同じような物を食べ、同じような服を着て、同じような音楽を聞き、同じような言葉をしゃべり、同じような憧れを持つ人がいる。すごく安心な、ストロング・タイズ(註:ウィーク・タイズと反対に、日常的に濃密につきあう関係)な社会。
 でも「自分にはどういう可能性があるのか」を知ろうとしたとき、自分と同じような環境、同じような情報しかもっていない人だけの強いつながりの社会は、すごく不利なんです。もし黒人社会が変わるならば、そこから1歩出て違う機会をつくるか、逆にまったく違う異物が入ってきて、まったく自分とは違う人とのゆるやかなつながりを持たない限りは、変わらないだろうと。
 その話を聞いていたときに、これは黒人社会だけの話ではないなあ、日本人も選んできた社会なんだなあって。これからは日本で働くときにも、ウィーク・タイズを大事にしたいねって書いたんです。そうしたら、びっくりするぐらい反響があった。みんなそう感じてたんだ。


コミュニケーション能力とテレパシー

田口 「シックスディグリー」を知っていますか? たとえば1ディグリーというのは私と玄田さんの関係なんですよ。私の友だちの友だちが2ディグリー。さらにその友だちが3ディグリー。人類というのは6ディグリーあれば全員知り合いになってしまう。友だちの友だちの友だち…は絶対にどこかで繋がっていて、全人類を網羅できるらしいんですよ。計算式でいうとそうらしいんですね。
 こういう「友達の輪」的研究はいろんな人がしています。アメリカの東海岸から西海岸に向けて1通の手紙を用意する。手紙の受取人は西海岸に住んでいる。東海岸からその人の名前とおおまかな所在地と職業ぐらいの情報を与えて、郵便ポストに入れることなく手渡しで何人の伝達で手紙がいくかという実験があるんですよ。誰も受取人のことは知らないのです。さて、何人でいくと思いますか?

玄田 7人?

田口 そうです。だいたい7〜8人でいっちゃうらしいんです。それを考えると人間と人間が繋がる力は物理的にも潜在的にもすごくあるのだけど、もしかしたらそれは、ある程度、意図的に遮断されているのかもしれない。発揮すればすごいけど、発揮しない。隠している。

玄田 本人が?

田口 そうです。いま通信環境が発達したことで、人間がとても繋がりやすくなっているけれど、この状況は実はコミュニケーションの意味を逆に狭めているのではないかな。ただ繋がっていくというのではなく、さきほどのウィーク・タイズのような「薄い信頼関係」をベースにした人間の繋がり、そういう繋がり方をする力が、潜在能力としてあるのだけれども使わない。あるいは使えないと思っている、いや、使えないと思いこまされているのかもしれない。たとえば、交通手段、通信手段がなかった時代の貿易商人は、ほとんど超能力のようなコミュニケーションの方法で貿易をやっているでしょう。電話がないわけだし。手紙だってそれを誰が届けるの?って感じだし。だけど貿易をしちゃうわけだから。口伝えで。しかも縄文時代から貿易は成り立っていたわけです。もしかすると、コミュニケートする能力開発は、現代人が一番怠けているのかもしれないと思う。

玄田 電話、電子メールがない時代には、口伝えで情報が変わっていったんだろうけど、そこに新しいものが加えられていくところにビジネスが出来てきたわけね。

田口 そうそう。ちょっと間違って伝わったことが、おもしろいことになっていたりしてね。

玄田 大学生のときに読んだ岩井克人さんの本に、そういうのを「差異」って呼ぶって書いてあった。ちょっとした差異が経済の源なんだって。

田口 人間のコミュニケーション能力は、実はテレパシーに近いものではないかと私は思うんですね。コミュニケーションって、最後は人間対人間なわけで、超アナログなんですよ。そのアナログの曖昧な部分を切り落としたデジタルなコミュニケーションが横行していると思う。混乱させることによって可能性を生むとか、差異が経済を生むとか、そういうことも含めて複雑な能力として人間がもっていたものを一元化しすぎてしまったのではないか。だからそれによって、人の潜在能力や可能性がとても狭められた気がするんですよね。その結果として、契約とか約束とか、情とは別のものにしか頼れなくなった。再就職の問題はハローワークだけじゃ解決できないと思う。

玄田 コミュニケーションにたけている人とか、ひじょうに幅広い人間関係をもっている人が有利だと考えると、なんとかしてそんなコミュニケーション能力を持ちたいと、誰だって思う。
 でも教育社会学者の苅谷剛彦さんが言ってたけど、それは誰もが持てるものではなくて、実際にはその人が属する社会的な階層みたいなものの影響は大きいんだって。なぜエリートと呼ばれる人たちがサロン活動みたいなことを頻繁にやれるのかっていうと、それは経済的にも社会的にも恵まれた人脈があるから。そういう状況にない人に、ウィーク・タイズを持ちましょうといっても、カンタンにできるもんじゃない。
 それはそうだなあって。だとすれば、そんな有利でない立場の人たちはどうすりゃいいのか。1つは既存のコミュニケーションから、とにかく1歩まったく逆な方向に走ってみるしかない。いま持っているコミュニケーションを1回遮断するという選択をすることで、新しいコミュニケーションの可能性が生まれたり、遮断された者同士が集まることでまた新しい繋がりができたりする。ひきこもりの人たちも、おそろしいぐらい繋がりに対して敏感なんでしょう。なかなかそうカンタンには、ゆるやかに繋がれないよねえ。


類友で繋がれない理由

田口 繋がれない原因の一つに「類友」への拒否反応があると思うのです。お金持ちだったり、社長の類友だったらいいんですよ。でも「会社をリストラされた我々」という類友はイヤなんですよ。会社って巨大な類友集団だし、そこからはずれたことでショック受けてプライドがぺしゃんこになる。俺はまだ大丈夫だ。同類相憐れむなんてみっともない……みたいな気持ちになってしまう。だけどね、人がコミュニケーションを取るためには、まず類友で集まることが大事なんだなあ。いつかそこから出ていってもいいわけだし、とりあえず自分と環境が同じ、境遇、立場が似ている人たちがいちばんの理解者になるのですよ。ところが、そこに入る自分が許せない。何かつらいことが起きたときに、コミュニケータブルになれない最大の要因、それがプライドだと思います。でも、類友がいいのよ、楽で。私はそう思う。
 困っている人同士でたくさんの人が集まれば、皆それぞれ低いレベルで集まっていても、なんとなく打開策がでてきたり楽になったりしていくと思う。でもね、たとえば、犯罪被害者の方は被害者の会に入ることへのハードルがあるんです。被害者であることを認めるのは、とってもつらいことなのね。ひじょうに強い自我を持っていないと、私たちと一緒にやりませんかと言われても、ある程度時間が経過しないとそこに参加できない人が多い。弱い立場におかれたときに、弱い者同士で手をつなぐことに「落ちた自分」という嫌悪感があるんです。弱者であることを軽蔑するような、そういう社会になっちゃっている。類友でも繋がれないし、弱い自分で他者の前にも出て行けない。だから、こもってしまう。
 逆にインターネットだと、顔も姿も見えないから「弱者」と感じている人同士が繋がりやすい。

玄田 「べてるの家」は、どうなんですか。

田口 やっぱり類友だと思う。だって精神障害者の方達の集まりだから、徹底的な類友。でも、類友っていいのよ。楽だし。もちろん多少は閉じた関係になるのだけれども、切羽詰まったときは、閉じたところで無理せず少し休まないと外に出て行かれないでしょう。

玄田 「べてるの家」がすごく注目されるのは、類友の集団であると同時に、ものすごい高収益を挙げている集団なわけでしょう。そこにみんなナゼ?って思う。

田口 なにがすごいかというと、類友であることを完全にひらきなおっちゃったんです。だから、俺たち差別されるのオッケー。差別してくれると差異が生まれて、その差が大事なのだから、差別をなくそうなんて言わないでね。差別大歓迎という感じなの。われわれはヘンなんだから、ヘンなことをわかってくれればいい。「ほんとうにヘンなんだ」と腑に落ちてくれればいいみたいな。差別してはいけないということで括られて、あなたたちと同じことを強いられても僕らはできません。それをやると頑張って具合悪くなる。出来ないんだから差別してもいいよ、みたいな。

玄田 それは多様性を認めて欲しいということとは、違うんですね。自分たちみたいな生き方があってもいいじゃないか、というのとも。

田口 ちょっと違うと思う。これっきゃできないからさ、というギリギリの選択なのだと思う。これしかできない人たちが、目先の、これしかできないことだけを隙間産業的にやっているわけ。養豚場のゴミ処理、紙オムツの宅配とかチマチマした町の雑用を「1つのことは大勢でやるのがべてる流の効率」をモットーに「いつでも休める会社」を作り、着実に年収をあげている。類友も現実レベルで集まって心と身体とをぶつけあうと、そこに「場」が生まれて、そこから新しいノウハウを発見できる。ネット上だけの類友ではあのパワーは生まれないです。


矛盾することの大切さ

玄田 最近、会社のなかでは、人の多様性をパワーの源にしようと、本気で考えてる会社が出始めてるんです。IBMという会社も、90年代初期にものすごく経営がピンチになって、そこから本当に変わろうとして、多様性に本気で取り組むようになった。障害者でも外国人でも同性愛者でも、とにかくいろんな人がいた方がいい。これから何が起きるかわからないとき、誰かが対応できるようにするには、同じような考え方の人ばかりじゃダメなんだと。P&Gという会社もそうなんだけど、そこでね、「多様性がうまくいくには、ルールをやめてプリンシプルをつくらないといけない」っていわれたことがある。

田口 それは、どういうことですか。

玄田 ルールは、たとえば大阪から東京に出張するのに、とにかく「のぞみ」には乗ってはいけないっていう、決まった規則。プリンシプルは、お客さんのいちばん喜ぶ方法で、いちばんムダのない方法で行こうという原則というか、モットーというか、約束ごとみたいなもの。だから、そこでいちいち判断しないといけないから、すっごく面倒くさくはなるんです。でも、そこでみんなが何を大切にしたいかを共有できていれば、一人ひとりはそれぞれ違っていてかまわない、いや違ってたほうがいい。そういう組織は強いって。
 その一方で、そういう最低限で共有する意識や共有する基盤がないと、多様性なんていっても、ただバラバラなだけになってしまう。だから、多様性なんていうのは、ほんとうはすごく矛盾してるんです。多様な人がいて組織がうまくいくには、それぞれこれだけは絶対に譲れないよねっていう共通したものがないとダメなんです。これだけはイヤだ、自分のプライドとしてこれだけは譲れないということがお互いで最低限のところで共感できていれば、後は勝手でいい。すごく矛盾してるけど、その矛盾がいいんです。

田口 矛盾するのはすごく大事なことですよね。矛盾したことをなんとかしようとするところに、創造性、創意工夫が生まれてくる。それが仕事の愉しみなんじゃないかな。

玄田 先日のランディさんが出ていた「死生学シンポジウム」のときに思ったことだけど、あれは死の話だったけど、働くということにも通じるものがあると思ったんです。どういう死に方をしても社会的なものにならざるえない。事故で死んでも、ひとり孤独に死んでも、死はどうしても社会という文脈のなかで位置づけられてしまう。けれども、一人ひとりの死はどうやったって、きわめて個人的なところでしか語れない。この死はなんだとは社会的な文脈では絶対に語れない。そこにジレンマや不自由があるけど、実際には、そこに救いもある。
 働くこともそうで、どんな仕事も社会という文脈を離れて位置づけることはできないけど、「あなたの仕事は何ですか」って本気でしゃべろうとすると、どうやったって、個人的な経験にもとづいてしか語れないじゃない。そこをヘンに社会に通じるように話そうとすると、本質みたいなものがスルっと抜け落ちる。そういう社会的なものである一方で個人的にしか語れないことにジレンマや苦悩があるんだけれど、そんな簡単に一般化できないことに一人ひとりは救われたりするんだ。
 「どうすればもっと仕事ができるか」なんて本がたくさん出てるけど、嫌い。大事なことが、抜け落ちてる感じがする。さっきの話じゃないけど、個人でも仕事ができる人は、だいたいが本当はすごく矛盾してるんです。自分のために仕事をしながら、どっかで社会のことなんて考えてたり、すごく論理的なんだけれども、どこか直感的。すごく緻密だけど、ある部分、適当。そういう両面がない人じゃないと、いい仕事はできないよ。

田口 「べてるの家」を最初に立ち上げたのは、向谷地さんというソーシャルワーカーの男性なんです。私たちから見ると向谷地さんは、四六時中患者さんから相談を受けていて、夜中にも電話がかかってくるし、言い方が悪いけれども滅私奉公をしているようにしか見えないのですよ。
 で、向谷地さんにインタビューする機会があって「向谷地さんにとって、べてるの家は生き甲斐なんですか」と聞いたら「とんでもない。自分はこの仕事を生き甲斐だと感じたことはないし、それはわきまえとして感じないように自分にいつも言い聞かせている。べてるの家がいつなくなっても、私はまったく困らない人でありたいし、そうでないとやっていけない。私がやりがいだと思った時点で彼らと歩めなくなるから、そこだけは心得ている」とおっしゃる。
 どう見ても全人生をかけているとしか見えないのだけれども、彼自身は「わきまえている」という話をしてくれた。向谷地さんはたぶん《個人的な文脈の仕事》に対して《わきまえている》と語ったのだと思うのです。すっごい矛盾なのですが、彼は矛盾を自覚してやっている。これが働くことなのだと思って、私はとてもジーンときちゃったんです。個人と社会を両方自分のなかに回転させながら、矛盾のなかに身をおきつつ、わきまえとして自分はここに生き甲斐を求めないとしっかり自覚している。大人。

玄田 大人だね。べてるはNPOなの?

田口 立派な企業です。

玄田 企業でもNPOでも、うまくいってるのには、やっぱり立ち上げたリーダーが魅力的だったりする。でもそんなリーダーは立派さの一方で、どっか抜けてる感じもある。
 セブンイレブンではどういう事業主さんとフランチャイズ契約するんですかってきいたとき、セブンイレブンは「セブンイレブンで働く人とは契約しない」って、はっきり言われた。ちゃんとおにぎりが並んでいないんじゃいないか、アルバイトがまじめに働いていないんじゃないかって気になって、朝の7時から夜の11時まで自分がお店にいないと気がすまない人とは契約しないんだって。そういう人にかぎって、いつか切れちゃうから。女性リーダーたちが失敗しがちなのも、セブンイレブンになってしまいがちなことも、あるんじゃない?

田口 女の人は、男性社会に過剰に適応しようと頑張っちゃうのですよね。だってすぐ「だから女は……」と言われるので。

玄田 うまくやっている人に限って、どこか抜けてんだ。自覚的なのか無意識かは分からないけど。しかも、それが本人にとっては、全然矛盾じゃないんだよ。


根拠なき確信を熱く語れ!

田口 「自分の専門性から降りることをする人をプロとする」と「べてるの家」の精神科医である川村先生が言っていた。専門性をもっている人は専門性から降りられなくなって、破たんするんですよ。目の前に患者がいて、精神科医だったらこの患者を治さなくてはいけないと思ってしまう。その専門性から状況に合わせて一旦降りることができるのはプロだとおっしゃっていて、すごいと思った。
 そのとおりじゃないですか。専門性から降りられなくて、専門知識だけで何かやらなくてはという脅迫観念におびえるかのように何かをやってしまい、労働の質を非常にせばめてしまう。

玄田 僕はあなたの専門は何ですかと聞かれると、かなりドギマギする。一応、労働経済学ですっていうけど、よく考えると本格的に勉強した記憶がない。あなたはこれから何がやりたいですか、っていうのもかなり困る。正直いうと、やりたいことをできるだけ作らないようにしてるところがある。自分のやりたいことを決めた瞬間に、大事なものが見えなくなるような気がする。
 前に、村上龍さんが「この小説を書いたきっかけは何ですか」と聞かれて、「きっかけがないといけないのか。これができたのは、きっかけがあったからなんだって聞くことで安心しようとしてるだけでしょう」っていうようなことを言ってたし。

田口 高等教育を受けた人ほど、自分たちの専門性を探して右往左往するとおっしゃっていた。自分がこれだけ専門的に勉強したから、そこから簡単には降りられなくなることで、ものすごくいろいろな可能性を狭めてしまう。だけど専門性ってそれほど使えないのよって。

玄田 そうなんだよ。専門家は「よくわかりません」と言うけれども、本当は「よく」じゃなくて「全然」わかってないんだよ。わからないという言葉は、大事に使いたいね。

田口 私も「わからない」と言うセリフが多すぎると、読者から怒られる(笑)。私は自分のエッセイで「わからないことは何か」をはっきりさせたいだけで、答えを求めていないのだけど、結論がないと責められることがある。そういう人はよく「オマエそれでもプロか?」と言う。

玄田 僕もあるよ。前、テレビに出そうになったとき、「玄田さんは、よくわからないというけど、あれはやめてください」って。だから結局、出るのやめた(笑)。エコノミストなんて人は、経済のことをわかったようにしゃべって、こうすれば絶対うまくいくなんて言ったりする。でも、お医者さんも「こうしたら必ず治ります」というよりも、病気によっては「よくわからないけれども…」って正直な言い方に救われたり、自分自身でファイトしていこうと思うことってあるじゃない。

田口 プロとして治療しようとすると、精神病患者はなかなか良くならない……、と、やはり「べてるの家」の川村先生が言っていましたね。患者の方が「この医者はあてにならないから自分でなんとかしなくては」と、自分なりのやり方を編み出していったときに、やっと病気が患者のものになって、病気といっしょに生きていける。
 お医者さんが生真面目すぎると、患者は自分のからだと乖離してしまって、からだだけをお願いしますという感じになってしまう。なにもしないことを「する」ことの難しさについて話していただいて、なるほどな〜と思いました。

玄田 教育も同じかもよ。僕は十何年、大学の教員なんてしてるけど、自分のこころに火をつけていない子に火をつけることはできないし、無理に火をつけるとつらいことになる。
 僕はゼミで学生をクビにするんです。それである学生を呼んだとき、「先生が何を言いたいのかわかります。あなたは今日私をクビにするために呼んだのですね。最後に一つだけ言っておきます。先生はえこひいきがひどすぎます。教育者としてはあってはならないことだと思います」と言われた。実は、すごいショックだった。
 そのとき、向いの研究室の同僚に「えこひいきと言われてだいぶこたえました」て言ったら、その人に「えいこひいきは、していいんです」って言われて、すごく救われた気持ちになった。大学でもなんでも、自分で火をつけようとする人には、その火を消さないように応援することは、多少はできるのかもしれない。でも自分で自分の火をつけようとしない人には何もできない。ついていない火なんて、無理につけることはできないよ。
 失業の問題で考えると、本当にしんどいのは、そういう心の火が消えている人たちがいること。失業者は自分で仕事を探そうとしているからまだいいけど、もうそんなことすらあきらめてる人がたくさんいる。とくに高校中退の多くは、職探しすらしない。こっちのほうがずっと深刻なんだ。そういう子たちは騙すしかない。騙すでもなんでもして、とにかく自分で自分の火をつけてもらう!

田口 騙す!賛成です(笑)。不安だけ与えても火はつかないです。やはり何かこれから良くなるという希望がないと。騙すというか、根拠なき確信というかそういうものを熱く語れないと、消えた火は燃やせないものねえ。


火がつかなければみんな無能の人

玄田 さっきの専門家の話だけど、自分を防御するだけの専門家っているからね。よくわかっていないのに、わかっていると言いたがる人たち。本気でわからないというのが、もっと大事なのにねえ。

田口 私はフリーター時代が長くて、高校を卒業してから延々とフリーターをやっていたんです。単なるプータローですよね。職業を数限り無く転々としたなかで、OLを一度やったことがあるんです。丸の内にG商事という会社があって、両替機とか自動販売機を作っている会社の営業部門。そこで私は、前代未聞のダメな女子社員と言われた(笑)。数字を揃えて書けないのです。きれいに帳簿をつけなくてはいけないのだけれど、数字ごとに点をつけてきれいに揃えて書く才能がない。私の帳簿はぐちゃぐちゃで見づらいんですよ。
 それから、電卓が使えないの、私が決算をやると何度やっても数字が合わない。女子社員はその仕事以外に、お客さんがきたら羊羹を出すとか、給水場を掃除するとか、朝に男性社員全員にお茶をいれるという封建的な会社。羊羹の厚さが2センチ、お客さんによってお茶のランクが違うとか、それをいちいち覚えなくてはいけなくてとてもイヤだった。仕事もイヤだし、あまりにも仕事ができないので辞めちゃったんです。
 先輩女子社員からはいじめにあった。同じ部署の女子社員から仲間はずれにされて、毎日ひとりでお昼を食べて、ノイローゼのようになって辞めちゃうのですよ。私は無能なのかしら?とかなり真剣に思いましたね。
 でもね、広告代理店に入ったらすごい優秀だと言われたんですよ。企画書がうまいねとかさ。編集の仕事には火がついたんです。こういうことってあるんですよね。火が消えていると、本当に無能になっちゃう。

玄田 火がちょっとでも残っていれば、偶然のようなことも起こるんだよ。なぜその仕事をしているのかは、いろいろ理由はつけられても、多くの人にとって、ほとんどそれは何らかの偶然なんだと思う。

田口 だけど向かないと思ったら、辞めてみるのもいいと思うよ。私はあそこにずっといたら、ダメな人間として生きていかなくてはいけなかったし、半分病気になっていたからね。

玄田 逃げる力だ。

田口 そんなかっこいいもんじゃないけど、いつかは火がつけるとこに行けるかも、みたいな。とにかく、ここでないことだけは確かなんだから。

玄田 いまいちばん苦しいのは、電卓も打てない、いじめにもあう、けれども、その場所になぜか居続けてしまう人たちなんだろうねえ。その人たちに「そんなにつらけりゃ辞めればいいじゃない」というメッセージは届かない。

田口 私は、辞める前に出社拒否になっちゃったから。身体の方がノーを言う。感情は身体の言葉ですから。その感情を抑圧してると、身体は当然、反乱します。頭はウソつくけど、身体はウソつかないし。

玄田 出社拒否、登校拒否は、まともよ。何十年ぶりに高校の教室に入ってみると、どうしてこんなキュークツな場所に毎日いられたんだろうって愕然とする。いまは、一日いろと言われても無理。これに無意識のうちに慣れようとしていたこと自体が、いろいろ大切なものを失っていたんだろうなあと。辞めればすべていいというわけではないだろうけど、逃げ方とか運のつかみ方はあるんじゃないかと思うよ。

田口 OLの後で入社した会社ではすごく仕事が出来て、しかも私は26歳ぐらいのときに自分で会社を作ってしまうわけですよ。会社を作ったときに、ようやく雇われ根性が抜けたんですよ。社長になったわけじゃないですか。そうしたら、それまでいかに会社に過剰に期待をして、人から雇われることに安住していたんだろうと思った。そこがいちばんの転換点。

玄田 社長になろうと思ったのは?

田口 ほんとうに偶然。フリーになったばかりのときに、某企業のPR誌のコンペに個人参加したんですよ。年間1200万円ぐらいの大きな仕事で、どーせ個人が取れるわけないよなあ、と思っていたのが、勝ってしまったんです。ところが「1200万の金額は個人に出せないから、有限でも株式でもいいので企業にしてくれ」と言われた。まあ、当時は300万で株式会社が作れたので、有限より株式のがかっこいいかな、と株式会社を作ってしまったんです。バブルの頃と時期的にぴったりだったので、会社にした途端ガンガン仕事は増える、社員は増える、お金は儲かるで、8年間ぐらい会社をやることになっちゃったんです。

玄田 偶然というか運というか、それを引きつける何かがあったんだ。

田口 今でもなぜ勝ったのかわからない(笑)。当時の私なんていかにも貧乏そうな、経験もない編集ライターですから。

玄田 松下幸之助は、政経塾を作って若いリーダーを育てようとしたとき、面接で2つだけ見てたんだって。愛嬌があるかということと、運が強そうかっていうこと。「運が強そうな人なんてわかるんですか」って、元塾頭の人に聞いたら「わかるんです!」って力強く言われた。それからね、松下幸之助はね、面接の終わった後、部屋を出て行くときの後ろ姿をみて、合格にするかどうかも、考えていたんだって。さすが経営の神様は、言うことが違う(笑)。
 経営者なんていっても、所詮は、自分でできないことだらけでしょ。自分の能力なんて、たかが知れてる。まわりのサポートがないと絶対に乗り越えられない。だいたいうまくいくのも、どこからともなく助けの手が差し伸べられたり、幸運の風が吹いたりする。それが、外からみると、運がいいようにみえる。でもそういう人には、運が向いてくるような地道な努力している人もいれば、生来運を持っている人もいるんでしょう。いずれにしても、運が強そうに見える人でないと経営者としては成功しない。
 吉本興業の東京社長の横沢彪さんは、新入社員の面接で「これから絶対に社会の壁は乗り越えられません」とはっきり言った上で「なぜなら常識が通用しないから。だから壁の前でいつもオロオロしてるのが大事。そうするとある日、突然、チャンスがくる」って。

田口 そういえば、オロオロしない人が多いですよ。私は小心者で、トラブルにものすごく動揺してオロオロするんです。みっともなくて自分でも情け無いけど、どうしようもない。でも、案外とオロオロしてしまうと気が楽になる。自分がその程度なことが露呈しちゃうわけだから。オロオロするところを見せない人は、とことん肝がすわっている人もいるのだろうけど、案外バクッと病気になったり、ドタッとダメになったり、ある日トンズラしたり、自殺したりするんです。それでやっと、ああ、すごく辛いのを我慢していたんだなあってわかる。でもわかった時はもう死んでるんじゃ助けようもないし……。

玄田 急にバタッな人は、こころの窓がしまってるから、充満したときにバーンと倒れる。こころの窓が常に1カ所でも開いている人は、倒れないんだ。


正しい神だのみの仕方

田口 2年くらい前に日刊ゲンダイで「苦しいときの神だのみ」というコラムを書いたの。中年男性が読む新聞なので、中年が元気になるようなことを書いてくださいと言われた。それなら「神だのみ」だろうと思い、神だのみがいかに御利益があるかという話を書いた。そうしたら、すごく反響があった。
 最後の最後にどうにもならなくなったら、神様にお願いする。そのお願いの仕方があって、これが言葉なんです。神様とのつき合いは言語力が勝負なんです。たとえば、おみくじの引きかたがある。おみくじは神様の返事なので、ただ引いてもダメ。まず参拝するときになるべく自分の問題を具体的に、神様が答えやすいように自分の言葉で語る。「会社が倒産しそうなので、なんとかしてください」ではダメ。神様は忙しいからそれでは届かない。「○○のような理由で、何月何日までにで何百万円の現金を○○さんから貸してもらってください」とできるだけ具体的にお願いしないといけない。欲張ってはダメ。500万ですむところを1000万と言ってはダメ。それを神様に言っておみくじを引くと神様の答えが出てくる。オッケーだったら吉でダメだったら凶。凶が出たら、それは頼み方が悪かったわけだから、もう一回言葉を変えてお願いして、引きなおしていいんですよ。

玄田 それを日刊ゲンダイに書いたの? 

田口 すごく反響があった。そうやって具体的に自分の問題を神様に解決しやすいようにお伝えしていくうちに、結局は自分で解決ついちゃう。

玄田 それって、自分の仕事を4〜5行で書くのと同じだよ。

田口 同じでしょう? そうやって自分にケリがつくと、不思議なことに運が向いてきたりするんですよ。

玄田 おみくじで何をお願いするか、いつも具体的に考えてるの?

田口 考えてないですけど。困ったときはそうしろと教わったんですよ、私の神事の師承に。最初にその人が出雲大社に連れていってくれたんですよ。そのときも、おじぎだけはちゃんとしろ、よけいなことはしゃべらないほうがいいとか言われて。おじぎの仕方が下手な人は信用されない、と何度もその人から言われた。1回でいい、きちんとおじきをして、頭を下げろと言われた。確かにこれは礼儀正しくみえますね、ペコペコ何度もやるよりは。なぜ、おじぎをするかという理由を話してくれた。
 「おかげさま」の「おかげ」というのは神様仏様のことだと言われているけれども、おかげさまは背後にある自分自身の魂を指す言葉なのだ、と。おじぎをするときは相手にそれを見せるつもりでおじぎをしなさい。おまえが下がって、魂が相手の前に出るようにおじぎをしなさいと言うわけ。

玄田 経営の神様の松下幸之助も、後ろ姿に魂がみえてたのかもよ。

田口 そうかもしれないですね。自分という、つまらない自我を下げて、背後にあるものを相手にみせるのがおじぎの行為だから、自分をしっかり下げなさいと言われて、なるほどと思った。

玄田 なぜ挨拶をしなくてはいけないかと聞かれたら、いちばん伝わるんじゃない?

田口 私という自我の後ろにいるものが魂なのだから、それを相手様にちゃんとおみせする。そのために頭を下げるそうなんです。そして、魂は「仕事」ではなくて「働き」をするそうです。私という自我は仕事をするけれど、その仕事を通して魂がすることは「働き」なんだそうです。この話は、私が「仕事ってなんだろう」ってことを考え始めるきっかけになりましたね。

玄田 ぼくは出雲地方の松江市で育ったんだけど、結婚前に恋人同士が二人で出雲大社に行くとかならず別れるって、みんな言ってたよ(笑)。

田口 えー。縁きりなんですか。出雲大社の大黒様は縁結びではないの?

玄田 嫉妬するからだって。弁天様も、そうらしいけど。

田口 あれ、ちょうど1時間になったので温泉にでも行きましょうか。

(2003年8月1日 湯河原にて)


田口ランディ(たぐち・らんでぃ)
1959年生まれ。作家。『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』『コンセント』『ハーモニーの幸せ』『7days in BALI』『神様はいますか?』『聖地巡礼』『旅人の心得』など著書多数。オフィシャルウェブサイトhttp://www.randy.jp/
玄田有史(げんだ・ゆうじ)
1964年生まれ。東京大学社会科学研究所助教授。労働経済学。著書に『仕事のなかの曖昧な不安』、編著に『成長と人材』などがある。