構成:三井ひろみ



 2001年12月4日(火)から2002年2月28日(木)まで、銀座の紙百科ギャラリーで編集者の個展「編集狂・松田哲夫展」が行われています。筑摩書房の名物編集者である松田さんの編集した本はもちろんのこと、子供時代の絵日記やマッチラベルのコレクションなどが展示されています。編集という作業が、本をつくるという行為にとどまらず、もっと幅の広いものだということを教えてくれます。昔からの松田さんの友人、装丁家でエッセイストの南伸坊さんを迎えて、1月19日(土)にトークショーが催されました。おふたりの楽しくもラディカルなおしゃべりを。



■南伸坊は、僕の教え子!
松田 
編集者の個展「編集狂・松田哲夫展」で、トークショーでもやろうかということで、むかしからの友だちの南伸坊くんに頼みました。南伸坊くんは、僕よりも4か月前に生まれているんですが、実は僕の教え子なんです。「美学校」の生徒だったんです。赤瀬川原平さんの教場に来ていたんですね。いま赤瀬川さんは平気で講演などをしていますが、かつては人前で話をするのがこわいという人だった。

南 そうそう。赤瀬川さんが最初に講議した時、部屋が真っ暗になっている。座っていると、手探りでコソコソって誰かが入って来る。それが赤瀬川さんでした。宮武外骨の雑誌から複写したものをスライドで映しての講議だったけど、ものすごく面白かった。

松田 描いている作品では過激な表現をしていたけれども、赤瀬川さんはものすごく気の弱い人。学生というのは糾弾したり吊るし上げたりするんじゃないかと、こわがっていた。僕は「学生運動評論家」と言われてまして、ヘルメットはかぶったことがないのにセクトの分裂の事情についてはいちばん詳しい。赤瀬川さんが僕のことを「学生運動のセクトまで編集してしまうヤツ」と言っていましたよ。だから、講義を担当するにあたって、味方がいたほうがいいんじゃないかってことで、赤瀬川さんと一緒に講議をやることになった。僕は勝手に「助教授」と名乗りまして、そのときに来た生徒が南伸坊なんです。ですから、教え子であるということで、間違いないですね。

南 ハイ、そうです(笑)。しょうがないですね。

松田 もともと生徒数も少ないところにもってきて、生徒もだんだん来なくなって、けっきょく南くんと3人で喫茶店に行って、ただ冗談を言いあったりしていた。南くんは授業料を払っているのに、これでいいんだろうかって(笑)。この冗談の延長線上に「論壇地図」なんかが出来た。いまから思えばよくあんなことをやったものだと思う。南くんには、500人ぐらい似顔絵を描いてもらったかな。1週間ぐらい駿台荘という旅館(大石静さんの「駿台荘物語」)に泊まり込んでやりましたよね。そんなことをやってきて、16年前から一緒に「路上観察学会」を始めた。それから「頓智」という雑誌をやるときも南くんを巻き込んだし、『老人力』(赤瀬川原平、筑摩書房)も一緒に作ったね。


■編集者と装幀家のいい関係

松田 編集者としていえば、僕はあまりいろいろな装幀者と仕事をしているわけではないんです。例えば南くんなら、細かく説明しなくても、どういう本をつくりたいか、よくわかってくれるから。細かい指示をしなくても僕が思った以上の装幀をしてくれる。だから、最近は南くんに頼むことが多い。

南 編集者と装幀家の関係としては、いちばん望ましいですね。僕は職人的な人間なんで「南にまかした」って言われるとものすごく頑張る。あれこれうるさいことを言われると腹が立ってきて「そんなに決まってんなら自分でやれー」って思っちゃう(笑)。そういう意味では、松田くんとは最初からゴチャゴチャする必要がない。装幀の仕事の場合、いちばん大変なのは本を読むことです。僕は本を読むのがものすごく遅い。でも、とにかく1冊読まないと装幀できない。斜め読みって、ボクできないんですよ。斜めに読んじゃうと何書いてあるかわかんない(笑)。

松田 正直なところ、読んでつまんない本とかある?

南 それはあるよ。でもそこでは僕はすごく助かっている。巡り合わせがよくって、仕事を忘れてつい読んじゃう本が多い。友達関係でつながってるんで、僕はすごくやりやすいですね。


■函入り、箔押し。贅沢が消えた。
松田 南くんには『装丁』(フレーベル館)という名著があります。装幀の本ってわりに作品集みたいになるでしょう。でも、この本はちょっとちがう。読んで見て楽しい本なんです。

南 「南さん、装幀の本を出しましょう」ってフレーベル館の木村さんに言われたときに、10年早いんじゃないって言った。だいたい装幀の本って、平野甲賀さん、菊池信義さんて偉い人ばっかりじゃない。「装幀の本なんて出せないよ」ってずっと断ってたんです。だいいち売れないから。でも一応重版になったんで、少なくとも初版だけは売れたみたい。それだけ装幀に興味もってる人がいるんだなってちょっとびっくりしましたね。


松田 30年以上編集者をやっているけど、僕がこの世界に入った頃って「書名と著者名が入っていればいい。余分なものはいらない」という編集者は多かったですよ。もちろん、優れた装幀とは何かを、身をもって示してくれる人もいました。例えば、筑摩書房にいた詩人でもある吉岡実さんの装幀は好きだった。『宮澤賢治全集』『萩原朔太郎全集』(筑摩書房)など、素晴らしい装幀ですよね。あの頃は一見すると、派手ではないけれど、箔を普通に使っていたり、特別に染めた布を使うとか、ものすごい豪華なことをやっていたわけです。いまは、たしかに編集者や読者も、造本や装幀などを含めて本を楽しむことが増えてきていると思うのですが、一方で言えば、本自体が売れないからコストをおさえなくてはいけない。むかしの布装とか函入りみたいな贅沢なことができなくなりました。流通の問題などからくる制約もあるんです。だから逆にいうと、南くんはブックデザイナーとしてはいちばん不幸な時代に注目されているような気もするんですよね。

南 そうかもしれないね。でも僕は青林堂ってものすごく小さい会社で装幀のデザインを始めた。それがだいたい豪華本なんですよ。函に入ったものとか布装とか。いま編集の人が「一度でいいから函入りの本を作りたい」とか言ったりすると、ワリィなァ、オレはとっくにやったよとか思ったりして……(笑)。「箔押し」なんか当然のようにやってたしね。

 前に筑摩書房で『顔』って本を出したとき、白に墨一色だけでやるっていったら「もうちょっと予算が出るから箔でも押しませんか?」って言われた。意味もなくはしっこに目と口を描いて「空押し」したんだけれども、誰も気がつかない(笑)。

松田 『老人力』のときも僕は箔でいこうって言ったけれども、とにかく、赤い本って決めていたんだよね。

南 最初に松田くんと話したときは、おめでたそうなものにしようと、イラストが隣にはいってみたいな話をしたと思う。

松田 南くんが描く仙人の絵が好きなので、「仙人でも描いて」と言った。

南 そういうことをちょっと言われると気にするんですよね。この人は仙人の絵が欲しいんだと思うと無視できないタイプ。やさしいからさ(笑)。でもけっきょく「老人力」って言ったって誰も知らないし、仙人とか入れるとかえってわからなくなるんじゃないかってギリギリまで迷った。最後に渡したときに、松田くんが「あれっ、仙人がいないぞ」って顔してたね(笑)。

松田 コントラストが強くてガンとくればいいわけで。結果的には金と赤という中国のお正月の飾りみたいになったのね。僕は南くんに「帯コピーも書いて」といったら、<?>だけつけてきたんです(笑)。南くんの場合は、編集者は何もしなくていいから楽でいい。『老人力』は言葉と中味も含めてインパクトが強かったとけれども、店頭であの装幀は強かった。


■「印刷されたもの」が好き。そのルーツは?
松田 『印刷に恋して』は、平野甲賀さんの装幀なんです。帯で隠れていますが、トンボが表紙についているのね。編集の人に聞いたんですが、色校が出たときにトンボが消えていた(笑)。印刷所としてはシマッタと思って、消しちゃったらしいんですよね。

南 (笑)印刷屋さんはそう思う。『印刷に恋して』ものすごくおもしろいね。内澤旬子さんのイラストもすごくいい。機械のグチャグチャと細かくなっているところ、僕だったらぜったいに描かないね(笑)。この本の冒頭に<なぜ印刷が好きになったか自分でもわからない>って書いてるけれどホントは、思い当たることあるでしょ?

松田 なんでだろうね。でも、印刷物って好きじゃなかった?

南 いや、僕は別に好きじゃない。僕はどっちかというと職人さんが働いているのを見たりするのが好きだった。むかし絵ビラ屋さんというのがあって(手描きのポスター屋)、パチンコ屋の開店ポスターに宝船に七福神が乗った絵を描くんだよね。何度も描いているから下書きもしないで、5〜6色ぐらい使って1枚づつヒュッヒュッと描いていく。最初は何が描いてあるのかわからないんですよ。それで僕は3〜4時間ずっと見ていちゃうんだよね。最後に黒で輪郭を描いて、やっとそこで宝船に七福神がのっているのがわかる。印刷よりもローテクなんですね。そういうところを見ているのが好きだった。僕の場合は、子どものときに好きだったことといまの仕事をつなぐのは何かといったら、職人的な部分ですね。松田くんは、小学生ぐらいのときから新聞読んでたでしょう。

松田 新聞は読んでいたかな。そうそう新聞といえば、畳の下に新聞紙が敷いてあるでしょう。大掃除の時、DDTの白い粉をはたき落としてその新聞を読むと、僕らの頃は若乃花時代なのだけれども「双葉山が何連勝した」とか書いてある。それがおもしろくってつい読んじゃう。そういう古い新聞紙を取っておいたりした。

南 僕は子どものとき新聞読まなかった。社会科の勉強になるから新聞を読むようにって先生から言われた日だけは読んでみたけど、すぐに飽きちゃう。だいたい字みてると飽きちゃうんだ、昔から(笑)。

松田 ぼくの場合、あとは親父かな。去年の暮れに死んだんですけれども、スクラップブックを作っていた。映画のパンフレット、入場券、旅行先の土産物のレッテル、レストランのコースター、喫茶店のマッチとかスクラップブックに貼っておくんです。

南 それがあるんだ! 展示物に日記があったじゃない。絵日記だから上に絵があって下に字が書いてあるのはわかるんだけれども、あそこにいきなりペタッと石ころが貼ってあったりしてた。子どものアイデアとしてすごいと思った。

松田 手抜きなんですよ。毎日描く絵がないから、レッテルを切って貼ってしまえとか、石をそのまま貼っちゃえとか。

南 展示のなかで僕がいちばんおもしろかったのが、あの日記。書いてあることが全部いまとつながってるんだよね。子どものときからけっきょく同じことやってんだね、人間っていうのは。

 僕はね、オリンパスペンて小さなカメラを姉貴に買ってもらって、それではじめて写真を撮った。ふつうカメラ持ったら、いちばん最初に家族や友だちを撮ったりするじゃない。僕がいちばん最初に撮ったのは、その辺においてある機械、わけのわからない捨ててあるヘンなもの、ストリップの看板。ほとんど路上観察なんだ、今の(笑)。あれはちょっと後で思い出してびっくりした。

松田 僕もそうだな。ときどき古い写真が出てくると映画館の看板とかへんなゴミを撮っている。なんか気になっているんだよね。

南 コンペイトウのケシツブみたいなもんでさ、1個あってそれからいくら大きくなっても根は同じことをやってるって気はしますね。少なくとも松田くんと僕に関してはそうだってのが、よーくわかった。


■印刷、ホントはわからないことだらけ。

松田 『印刷に恋して』は、おかげさまで重版になりました。これをやり出したきっかけというのは、「本とコンピュータ」という雑誌なんです。津野海太郎さんから「『本とコンピュータ』というテーマのメディア誌を立ち上げたい。一緒にやらないか」と言われた。出版界でも、営業の人たちって、ほとんどひとつの会社みたいに仲がいいんです。でも編集の世界は作家つながりしかない。ある社の編集者が他社の編集者とコラボレーションをやるってことはまずないんです。僕は津野さんを尊敬しているしおもしろい人だと思っているから、一緒にやれるのならばやろうと思った。

 僕は、印刷文化からデジタル文化への移行過程の問題について関心はあったけど、実はパソコンのことはあまり知らない。それに、僕はちょっと後ろを振り返るのが好きなへそまがりなんです。『ちくま文学の森』(筑摩書房)のときも、「文学全集はもうダメだよ」といわれるとちょっと違う文学全集をやってみたくなった、というのがきっかけなんです。『本とコンピュータ』は古い印刷からデジタル=コンピュータの方にいくというのが中心テーマの雑誌なわけだから、僕は印刷のほうをやりたいと思った。

 それともうひとつは、毎日の仕事として編集をやっているのに、印刷のことがよくわかっていない。印刷所へ出張校正にいくときに見学させてもらう程度なので、ちゃんと知りたいと思ったんです。でも、印刷現場のルポをやってみるとけっこう大変でした。いまの印刷はほとんどオフセット印刷なんですが、そのオフセットにしてもほんとうによくわかっていない。

南 具体的にいうと?

松田 僕は、なぜ印刷所の人は奥歯にものが挟まったような物言いをするのか、とずっと思っていた。ひとつわかったのは、経済の問題と会社の事情。印刷所さんは古い機械をたくさんかかえている。まだ原価償却していないし、古いシステムについて働く人がいるわけだから、簡単には捨てられない。徐々に移行していくしかないんです。ある部分を新しいほうでやって、途中から古いシステムにして、みたいなことをやっているわけ。だから、ある部分はブラックボックスにしておかないといけない。

南 頼むほうとしては、新しい機械でクッキリ出るならばそっちでやってほしいもんね。

松田 それに、印刷所は出版社によって個別に単価設定をしていますから、高く払っている出版社もあれば、安くやっている出版社もある。そういう中で、仕事をしているので、いろいろ見えにくいことがでてくるわけです。技術的なことでも、現場の人は「営業の人間には印刷技術の細かいことは教えていないですよ」と言う。

南 そうだね。デザイナーだったら、なんとなく最初に印刷のことを勉強するじゃない。たとえば『デザイン・ハンドブック』とか『編集ハンドブック』なんか、何度か読めば、大雑把にどういうものかがわかるでしょ。そのぐらいの知識で言っていることも、営業の人が知らなかったりするね。

松田 責了ですごくいい色が出ていても、本になったら色が全体に薄くなってしまった。理由を聞くと「校正機は1枚2枚で刷るのできれいにできるんですが、大量に刷るとこうなるんです」って営業の人は言うんですよ。ところが現場の人に言わせれば「校正機は小さな機械だからインクの盛り方に限界がある。大きな機械のほうがインクが盛れるから深みのある印刷ができる。だから、本機のほうが絶対にいい」というんですよ。

 インクの盛りについてさらに言うと、印刷現場の人は写真集でも文字中心なんです。たとえば、写真のなかに白抜きの文字が入っているとき、まず文字が潰れないようにということに留意するんです。だから、インクを盛ることには神経質になる。カメラマンやデザイナーが刷りの立ち会いにいくと、「インクを盛れ」って言う。現場の人間はすごくとまどっているわけ。「いいんですか、文字が潰れますよ」「明朝なんか部分的に潰れても読めさえずればいい、それよりも写真を大事にしてくれ」とインクを盛らせる。そうするとすごくこってりとしたいい色が出るんです。

 インクを盛っていくと、絵柄が潰れちゃうんじゃないかと思うでしょう。でも網点がないところはどんなにインクを盛ってものらないのです。インクを盛っていけばどんどん濃い方が濃くなってコントラストがついてくる。写真やフィルム段階では、焼きこみ方によって、全体に暗くなったり明るくなったりするという全体の問題になりがちだけど、印刷の場合は違う。インクを盛ることで、淡い部分には影響をあたえないで全体の強さが出せるのが可能。こういうことは意外と誰も教えてくれないのですよ。


■デジタル時代のアナログ職人

南 『山田風太郎明治小説全集』(筑摩書房)の装幀をやったとき、あれはもともと安治と清親の絵葉書だから、「絵葉書の色をそのまま出してください」って言ったんだけど、まるっきり違う色が出てきた。何度もダメで最後はむかしの職人さんがやってくれたんだけど、そうしたら1ぺんでキレイな色がでた。むかしの人はそれだけレベルが高かったということです。

松田 いまの製版でいえば、スキャナーを使ってデジタルで全部処理をしていく。色の調整は一つの方向性を選べば、ある程度きれいに仕上がるわけですよ。でも、ポジは透過光だし、印刷は反射光だから同じ色には絶対にならないわけです。再現しようとしても絶対に出ないところがあるし、ひじょうに感じすぎちゃうこともある。どこを目標にもっていくかというときに色の感覚みたいなものがないとダメだと思うんですよね。

 いま、カラーもので、いちばんうるさいのは資生堂などの化粧品の広告。肌にしみがあったりすると困るから、ファンデーションの広告は細心の注意を払ってつくりこんでいるわけです。最後に肌の色を整えるのにコンピュータの画面に向かって、担当者は自分の手にファンデーションを塗って、それを見ながら調整している。これをやっている人はけっこう年輩の人で、手作業でレタッチをやってきている人なんです。目の前にある色が紅版何%、黄版何%、藍版を何%と、経験的にわかっている。作業はデジタルでやっているのだけれども、最終的には自分の目で決めていくんです。

南 この色を出したいと思ってれば出たときに嬉しいわけじゃない。いまはそういう楽しみが仕事のなかに組み込まれていない感じなんですよね。

松田 雑誌とかはお得意さんが多いから、グラーデーションカーブが決まっているのね。ヌードでも肌を赤くしたほうが好みの雑誌とけっこう白っぽい肌に仕上げる雑誌がある。どんな雑誌でもそのグラーデーションカーブにのっとれば、ある程度はできるわけですね。でも、そのカーブを使っている現場の人に「これはどういうふうにできているのですか」と聞くと「ちょっと……」と言葉をにごす。最初にカーブを作った職人さんは、アナログとデジタルを往復しながらみているから説明できるんですね。

南 名人とかって言われると嬉しいじゃん。あの人にやってもらわないとできないって仕事があれば、そこで頑張れると思うんですよね。でもそうもいかないから、誰でも出来るようなシステムができてしまっている。

松田 凸版印刷の第二工場平版印刷部(二平)に吉田寛さんという名物男がいたんです。その人は横山やすしそっくりなんですよ。最初に祖父江慎さんと印刷所に立ち会いにいったときに「松田さん。酒買っていきましょう」と言うから、いまでも印刷所に一升瓶を持っていくなんてことあるんだと思った。むかしは現場にお酒をもっていって、「よろしく」というと仕事がていねいに出来上がることはあったけれど。二平に行くと吉田さん専用の冷蔵庫があって、昼間から「飲め」ってビールを出して飲まされるんですよ。

南 仕事ができないで、ただ飲んでたら単なるアル中だ(笑)。

松田 この人が、印刷機にむかうと目つきが違ってくるんです。僕らの目には「きれいじゃない」と思っちゃうんだけど、微妙な色調の違いを調整していくんですね。例えば、写真集の刷り出しで唇の紅が足りない場合は、オフセットでは製版をやり直すしかない。フィルムまで戻るしかないのだけれども、吉田さんは「いや、それできるよ」と言う。転写する版の唇があたるところに薄いパラフィン紙をあててやると少しインクのつきがよくなる。実質的に版を強くしたような効果がでる。

南 ほんとうに緊急時という感じでやるわけね。それができるようなシステムにした方がいいよね。いちいち全部やり直さないで、唇のかたちだけを修整できるようになればいいね。こんな話ばかりしてていいんですかね。

松田 紙百科ギャラリー主催なので、紙の話もしないといけない(笑)。

■ここにも、スローフードの風を吹かそう。
南 紙はよくわかんないですね。キラキラ光っているもの、ボコボコしているものは高そうにみえる。紙の見本帳に値段が入っていないでしょう。この紙の値段はいくらと決まっていなくて、ダブついていれば安くなるし、ある会社の関係ではこの値段で手に入るとかいろいろある。最近、何回か気に入った紙選んだら「製造中止になりました」っていわれたんですよ。なんでこんなにいいものがダメになるわけって。僕たちはそこの部分でしか見れないんだけど、紙の値段の付け方は複雑みたいだね。

松田 出版物に使う紙は小ロットなので、いつもいつも在庫があるわけではない。また、古いスピードの遅い機械で抄造していることが多いんですね。ところが、そういう機械が減りつつある。大量に使うパソコン用紙、コピー用紙、段ボールなどは高速で出来る機械のほうがいいんでしょう。でも、出版用の紙はそういう機械には馴染みにくい。スローフードではないけれども、いろんなスピードでやれるようなシステムというのが欲しいね。

南 紙は特に風合い、見た目、触った感じ、情感的な要素が多いと思うけれども、印刷でもかならずしも精密になっていく方向だけがいいわけじゃないよね。むかしの印刷のよさもあるじゃないですか。いまはメンコみたいにズレた印刷したいと思ってもできないよね。それからむかしのボロっちい紙が欲しいときにそういう紙ってないですよ。

松田 ある洋書屋さんにインドっぽい印刷の本があって、インドの本だと思ったらアメリカの出版社がインドに発注をして作った本だった。おもしろいなと思ったのは、紙も印刷もインド的になるんですよ。版がズレたり紙の厚さにムラがあったりとか。

南 ズレやムラはやろうと思うとなかなかできない。

松田 ある種、グローバリズムを逆に使っているんだね。

南 これから可能性としてあると思いますね。日本のプラスチック製のバケツ、ブルーのやつね、あれはどこでみても同じじゃない。中国のバケツはプラスチック作業過程でテキトーに着色してるらしくて、ムラがある。少しずつ色が違っててかえってきれいなんだよね。それと同じで、別な味付けが欲しい場合は外に出す。インドで印刷はかなりいいかもしれない。

松田 『踊るマハラジャ』みたいな感覚で、本が作れればいいね。

南 僕は中国のマンガを描いたりするので中国の資料とか買うでしょう。神保町の中国専門店で、豪華本なんだけれどもものすごくひどい製本。それでむちゃくちゃ高い。味のある製本は中国かもしれない(笑)。

松田 製版はメキシコでやるとかね(笑)。

南 そういうふうになってきて、それが全体の流れのなかに組み込まれるようになれば「印刷は世界中に仕事がある」。なかなかいい考えじゃないですか。


■ほんとうの贅沢がしたい。

松田 ある本を作るとしたら、何年経って増刷しても、あらゆる素材が同じでないと困る。そこで、安定供給できる紙を使うしかないんですね。だから、使える紙が限定されてしまう。

南 でもね、最初の部数が売れて次に刷るときはまた違うものになったって僕はかまわないと思うんだけどね。前に、太田出版から『笑う写真』て本出したときに装幀は自分でやったでしょう。版が変ると見返しの紙の色なんか全然変ってるの。末井さんに聞くと、「ああ、あの紙はないっていうんで」って(笑)。でも変ったから困るってほどのものでもないんだよね。

松田 僕はいま出版社にいて市販する本を作っていて、それはそれですごく幸せだしやりたいことが出来ていいと思っているんですが、流通の問題で返品があるから刷りっぱなしのまっ白な本はダメだとかよく言われるんです。それは出版社の人間としてはわかる。でもたくさん売れなくてもいいという本があってもいいと思う。そうすると、紙を大量に使うことを前提にしなくていいから、いろんな紙を選ぶことができる。予約販売にしたら、返品がないから、カバーなしの本でもいいということもできるしね。そうそう、僕は60歳ぐらいで会社を辞めたらやりたいことがある。流通に無関係の本を作りたい。10部だけ10万円の豪華本、ガリ版刷り100ページのパンフレット、表紙のない本とか、そういうことをやりたいんです。

南 決まりごとをこえたところで、この本はこういう装幀で、こういう印刷方法で、こういう活字にしたい、そういう本をかたちにすること自体が表現になっていく可能性はありますよ。

松田 そうだと思う。著者と編集者とデザイナーが一体化して本を作っていく。そういう本づくりをしてみたいですね。



松田哲夫
編集者。筑摩書房専務取締役。1947年、東京生まれ。学生時代より漫画誌「ガロ」編集部に出入りし、『現代漫画』(筑摩書房)の編集に携わる。70年筑摩書房入社。以後、編集者として、浅田彰『逃走論』、『ちくま文学の森』(全16巻)、赤瀬川原平『老人力』など、次々とヒットを飛ばす。著書に『編集狂時代』(本の雑誌社)、『これを読まずして、編集を語ることなかれ』(径書房)。共著に『全面自供!』(晶文社)などがある。
南伸坊
イラストレーター、装丁家。1947年、東京生まれ。雑誌「ガロ」の編集に7年携わる。イラストをはじめ顔の研究やエッセイと多彩な活躍をしている。著書に『李白の月』(マガジンハウス)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『歴史上の本人』(朝日新聞社)、共著に『平然と車内で化粧する脳』(扶桑社)、『解剖学個人教授』(新潮社)など多数がある。