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パゾリーニやカサヴェデスの映画のグラフィック・デザインや写真を使ったシャープなブック・デザインで知られる坂川栄治さんは、大の写真好きである。事務所には、なにげなくオリジナル・プリントが飾ってある。 |
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資金がなければ真似ができないように思えるけれど、坂川さんに言わせると「工夫次第で、だれにでもできるよ」。 きれいに見える写真の飾り方、フレームの選び方、写真集を飾るコツ……。もっともっと日常的に写真を楽しもう。坂川流写真とのつきあい方を、坂川さんがコレクションしている写真集などを通して語ってもらった。第5回は、ユージン・スミス。『ライフ』で活躍したフォト・ジャーナリストの写真をお楽しみください。 |
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| ユージン・スミスの『ライフ』誌の仕事に「カントリー・ドクター」という名作フォト・エッセイがある。コロラド州クレムリン。デンバーから西へ115マイル。人口2000人ほどの小さな町のたった一人の医者、32歳の“何でも屋”の一般開業医を取材したものである。 名前はアーネスト・セリアーニ。何でも屋というのは、内科から始まって精神科や歯科までのあらゆる分野の知識を身に付けた上で治療に携わらなければならないからだ。彼の診療は朝8時から始めて、夜中に終わるというのは特に珍しいことではなかった。それだけ忙しくても、報酬は都会の専門医よりも安かった。 しかしセリアーニにとってそれに変わるものが田舎町にはあった。患者や隣人たちから必要とされていること。地域社会で高い社会的地位を得ていること。そしてうるさい上司がいないからすべてを自分の判断でできるという対価があること。 1948年ユージン・スミスは『ライフ』誌からコロラド州の小さな町の医師を撮影する依頼をうけた。彼はセリアーニに会ってすぐに意気投合し、密着取材と撮影が始まった。 ユージン・スミスは第二次世界大戦後、責任と高い道徳性を備えた慎重で正確なジャーナリズムにのっとり、複数の写真を使って自分の考えを表現するフォト・エッセイという手段を、より深化させようと考えていた。しかし彼がどう主張してもライフ誌は与えられたテーマの写真だけを撮るのが写真家で、記事にするのが編集者という考えを変えなかった。だから彼はいつも衝突した。彼のフォト・エッセイの考え方は記事の内容を書くことから写真のセレクト・レイアウトまで、伝えたいことが正確に伝わるようにすべてにおいて彼が責任を負う方法だった。やっとのことで彼が勝ち取り“穏やかで力強い手法と確固たるヒューマニズム”その独自の手法を貫いて出来上がったのが、この「カントリー・ドクター」である。 私が説明するより写真家の確かなテキストからのいくつか紹介してみようと思う。 リー・マリー・ホウイートリー。馬に頭を蹴られた2歳半の彼女の頭がい骨の骨折箇所を調べ額の大きな傷は縫合した。セリアーニはできるだけの手当はしたけれど、彼ができることはここまでである。彼女の潰れた左の目を救ってやることはできない。彼はそのことを両親になんと伝えたらいいのか言葉を探した。 |
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トーマス・ミッチェルという85歳の老人の左足は壊疽していた。老人は「市長に会いたい。市長はいつ来るんだ」と訳のわからないうわ言を言った。老人の脚は切断が必要だった。セリアーニは老人の体力が十分な時に、脊髄に麻酔を打って膝から下を切断した。老人は手術後しばらくの間自分の脚がどうなったのか知らないでいた。それなのに脚が痛いと言ったり、楽になったと言ったりした。 82歳になるジョー・ジェスマー老人が真夜中、心臓発作をおこし死にかけていた。意識はあったけれど痛みからか彼は憑かれたように助けを求めていた。セリアーニは牧師に病院まで来てくれるように頼んだ。 |
| そして彼はジョーを救急車で病院へ運んだ。セリアーニには彼を楽にしてやり見守ってやること以外にしてやれることはなかった。2時半頃ジョーにお迎えが来た。それからセリアーニは妻の眠る静かな自分の家へ向かった。 | |
| 夜中の2時まで続いた手術を終えて家路につく前に、病院の台所でコーヒーを飲み煙草を一服する。看護婦たちはもっと体を休ませないとと口を酸っぱくして言うけれど、言っても言うこを聞くような人ではないのを知っているから、彼女たちは彼のために一日中いつも入れたてのコーヒーを用意する。 |
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| 私が「カントリー・ドクター」のユージン・スミスの写真を初めて見たのはいつのことだったろう。確か20代だったと思うけれど、そのとき私が単純に驚いたのは医師のセリアーニ本人がまるで最高の演技をする役者のように見えたことである。そんなことは有り得ないことは重々わかっていても、彼のそばにカメラの存在がないかのように思えたのは、ユージン・スミスがセリアーニを撮ったのではなく、写真家はその場から消えてしまい空気になることができたからなのである。ユージン・スミスの強烈なヒューマニズムの力によって、カメラはかえってドラマチックな視点を獲得したのである。 彼の口癖は「自分の職業は言葉や写真によって単なる記録以上のことをなすことである」。まさに彼の写真は記録以上のものになった。 セリアーニの手術を終えた後の疲れ切った眼差しを、私は忘れられない。そこには一人の善良な人間の献身と、町に一人しかいない医師の劣悪な労働条件が見て取れた。「カントリー・ドクター」の一連の写真は英語がわからなくてもそうやって忘れがたいものになった。 |
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| ユージン・スミス。1918年カンサス州ウイチタに生まれる。14歳から写真を撮る。1937年ニューズ・ウイークの仕事をする。太平洋戦争中、沖縄戦で戦争通信員として働いてる時に重傷を負う。1947年『ライフ』誌に復帰、「カントリー・ドクター」「スペインの村」「助産婦」などのフォト・エッセイを発表する。1978年没。 | |
| 坂川栄治(さかがわ・えいじ) 1952年北海道生まれ。凸版印刷、百貨店宣伝部を経て、1987年坂川事務所設立。雑誌「SWITCH」のアートディレクターを創刊から4年間務める。その後、書籍の装幀を手がける一方、広告、PR誌、カタログ、CDデザイン、映画ポスターなど幅広いアートディレクションを行なう。1993年に講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。現在までに手がけた装幀本は2600冊を超える。代表作に、吉本ばなな『TUGUMI』、ヨースタイン『ソフィーの世界』などのベストセラー作品がある。 |